婚約破棄された悪役令嬢ですが、英雄にも聖女にもなりません

鷹 綾

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第17話 守ると決めた、その背中

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第17話 守ると決めた、その背中

 その日の夕方、アルヴェルの空は鉛色に曇っていた。

 ギルドを出た私は、いつもより遠回りをして宿へ戻ろうとしていた。
 人目を避けるため――そして、考えを整理するために。

(噂は、もう止まらない)

 第16話で理解した通り、
 私が何もしなくても、世界は動く。
 そして、私が動けば――もっと速く、もっと大きく。

 石畳を踏みしめながら、胸の奥にある“熱”を意識する。
 封印された力は、確実に私の意思に従うようになってきていた。

(……まだ、見せない)

 見せない。
 でも、使わないとも限らない。

 そのときだった。

 路地の奥から、荒い声が聞こえた。

「おい、逃げるなって言ってるだろ!」 「金を出せば、それで済む話だ!」

 反射的に足が止まる。

(……強盗?)

 アルヴェルは治安がいいとは言えない。
 それでも、ここまで露骨なものは珍しい。

 私は、物陰から様子を窺った。

 追い詰められているのは、昼間ギルドで見かけた若い薬師だった。
 腕に小さな籠を抱え、壁際で震えている。

「薬草を売った金があるだろ?」 「あるんだろ、ほら!」

「……あ、ありません……」

 嘘だ。
 声が、あまりにも震えている。

(……まずい)

 相手は三人。
 私は一人で、剣も持っていない。

 ――逃げる、という選択肢が頭をよぎる。

 目立たない。
 関わらない。
 それが、今まで選んできた生き方。

 でも。

 昼間の騒ぎ。
 粗悪な回復薬。
 誰かが傷つく未来。

(……また、見て見ぬふり?)

 胸の奥で、力が強く脈打った。

 答えは、もう出ている。

「……やめなさい」

 自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。

 三人が、同時にこちらを振り向く。

「なんだ、女か」 「関係ねぇだろ」

 嘲るような笑い。

 私は、ゆっくりと一歩前へ出る。

「その人は、何も悪いことをしていない」

「正義感か? ははっ」

 一人が、私に近づいてくる。

「痛い目見たくなきゃ――」

 言葉の途中で、男の足が止まった。

「……あ?」

 見えない何かが、足首を絡め取ったように。
 地面の影が、異様に濃く揺れている。

(……最低限で)

 私は、魔力を“影”に溶かした。
 光らず、音も立てず、ただ足を縛るだけの術。

「な、なんだこれ!?」

 男がバランスを崩す。

「てめぇ、魔法使いか!」

「違います」

 私は、はっきりと言った。

「……ただの、通りすがりです」

 残りの二人が、警戒して距離を取る。

 その隙に、私は薬師の前へ立った。

「下がって」

 小さく、しかし確かな声で。

 薬師は、こくりと頷き、私の背後へ下がる。

 影の拘束は、ほんの数秒。
 十分だ。

「……ちっ、割に合わねぇ」

 一人が舌打ちし、仲間を引きずるようにして路地の奥へ消えていく。

 足音が遠ざかり、路地に静寂が戻った。

「……だ、大丈夫ですか?」

 背後から、薬師の震える声。

「ええ。怪我は?」

「ありません……本当に、ありがとうございます」

 深々と頭を下げられ、私は慌てて首を振った。

「いいんです。
 早く、帰った方がいい」

 薬師は何度も礼を言い、駆け去っていった。

 私は、その背中を見送りながら、深く息を吐く。

(……使ってしまった)

 ほんの一瞬。
 ほんの微量。

 それでも――確実に、私は選んだ。

 隠れるより、守ることを。

「……やっぱり、気づかれていたか」

 不意に、低い声がした。

 振り向くと、路地の入口にルーカスが立っていた。

 甲冑は着ていない。
 だが、その存在感は隠しようがない。

「……いつから?」

「影が動いたあたりから」

 苦笑しながら、彼は言った。

「派手じゃない。
 だが、無駄のない使い方だ」

 私は、何も言えなかった。

「責めるつもりはない」

 ルーカスは、静かに続ける。

「君が動かなければ、あの薬師は今頃――」

 言葉を切り、彼は首を振った。

「……もういい」

 そして、私を見る。

「君は、もう“逃げるだけの人間”じゃない」

 その言葉は、重かった。
 同時に、不思議と温かかった。

「守ると決めた以上、
 君は、必ず何かに巻き込まれる」

 分かっている。
 分かっているから――。

「……それでも、後悔はしていません」

 そう答えると、ルーカスはわずかに目を細めた。

「なら、覚悟をしておけ」

 彼は、背を向ける。

「次は、もっと大きな選択が来る」

 その背中を見送りながら、私は胸に手を当てた。

 鼓動は、強く、確かだ。

(……私は)

(もう、処刑エンドから逃げているだけじゃない)

 誰かの背中を守る。
 その選択をした瞬間――。

 私の人生は、
 静かな逃避行から、意志ある物語へと変わった。

 そして、その物語は、
 もう後戻りできない場所へ、確実に進み始めていた。
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