『婚約破棄された公爵令嬢は、線を引く』――戻れない場所で、判断する席に座りました

鷹 綾

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第十八話 波紋

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第十八話 波紋

 王城に集まる視線が、確実に変わり始めていた。

 それは称賛でも、非難でもない。
 ――警戒だ。

「……最近の決裁、すべてクロイツ公爵令嬢を通しているそうだ」

「形式上は“外部協力者”だが、実質は――」

「王城の中枢に、彼女の判断が流れている」

 回廊の影で、そんな囁きが交わされる。
 声を潜めるのは、内容が事実だからだ。

 王城にとって、エヴァリーナ・フォン・クロイツは
 戻ってきた存在ではない。
 外から影響を及ぼす存在になっていた。

 執務室で、ヴァルターはその報告を聞いていた。

「貴族院の一部が、動いています」

「……反発か?」

「ええ。
 “王城の権限が侵食されている”という主張です」

 ヴァルターは、苦く笑った。

「侵食、か。
 今さら、何を守っているつもりなのだろうな」

 守るべきものを守らず、
 決めるべき時に決めなかった結果が、今だ。

「彼らは、君を問題視している」

 それは、報告というより忠告だった。

「承知しております」

 エヴァリーナは、王城からの連絡文を読みながら淡々と答えた。

「ですが、それは想定内ですわ」

 彼女は、感情で動いていない。
 そして、それこそが問題だった。

 感情的な反発は、交渉で抑えられる。
 だが、冷静な判断で積み上げられた成果は、否定できない。

「成果が出ている以上、表立って否定はできません」

 マティアスが言う。

「だからこそ、裏から揺さぶる」

「ええ」

 エヴァリーナは、書類を閉じた。

「次は、“正当性”を問われますわね」

 午後、王城では緊急の小会合が開かれていた。
 名目は、制度の確認。
 実態は、エヴァリーナの立場をどう扱うかの調整だ。

「彼女は、王城の人間ではない」

 ある伯爵が言い切る。

「それにも関わらず、最終判断を委ねるのは危険だ」

「だが、成果は出ている」

「短期的にはな。
 長期的に見れば、権限の逸脱だ」

 議論は平行線を辿る。

 ヴァルターは、黙って聞いていた。
 そして、静かに口を開く。

「……危険なのは、判断を曖昧にすることだ」

 視線が集まる。

「彼女がいるから回っているのではない。
 判断者が明確だから、回っている」

 一瞬の沈黙。

「その判断者が、王城の人間でないことが問題なのだ」

 別の声が重ねられる。

 ヴァルターは、即座に答えなかった。
 代わりに、はっきりと告げる。

「ならば、問う。
 王城の中に、同じ責任を引き受けられる者がいるのか」

 誰も、答えなかった。

 その沈黙が、答えだった。

 一方、クロイツ公爵家では、エヴァリーナが報告書をまとめ終えていた。
 内容は簡潔だが、数字と根拠が揃っている。

「……波紋は、広がっておりますわね」

 父である公爵が、静かに言った。

「恐れているのだろう」

「何を?」

「前例を」

 エヴァリーナは、頷いた。

「前例は、秩序を壊しますから」

 だが同時に、
 停滞した秩序を動かす唯一の方法でもある。

「……わたくしは、王城を壊すつもりはありません」

 彼女は、はっきりと言った。

「ですが、守るために止めるつもりもない」

 それは、宣言だった。

 その夜、王都では噂が加速する。

「クロイツ公爵令嬢が、実権を握ったらしい」

「王太子よりも、決断が早いとか」

「いずれ、正式な地位を――」

 どれも、尾ひれがついている。
 だが、火のないところに煙は立たない。

 王城のバルコニーで、ヴァルターは夜風に当たっていた。

「……波紋、か」

 自分が恐れていたのは、
 彼女が遠くへ行くことではなかった。

 彼女が、
 自分が守れなかった場所を、正しく埋めていることだったのだ。

 一方、エヴァリーナは灯りを落とした書斎で、静かに考えていた。

 次に来るのは、
 称賛でも拒絶でもない。

「……試されますわね」

 制度に、
 人に、
 そして――自分自身に。

 波紋は、もう止まらない。
 だがそれは、破壊ではない。

 世界が動いた証だ。

 エヴァリーナ・フォン・クロイツは、
 その中心に立ちながら、決して酔わなかった。

 なぜなら彼女は知っている。

 波紋の中心に立つ者は、最も冷静でなければならないということを。
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