本物聖女の力は無力でした ――見世物レベルの聖女のおかげで婚約破棄されました――**

鷹 綾

文字の大きさ
1 / 39

第1話 三十センチの奇跡

しおりを挟む
第1話 三十センチの奇跡

 王都中央広場は、朝から異様な熱気に包まれていた。

 露店の呼び声も、楽師の音色も、いつもなら雑多に混じり合うはずのざわめきが、今日はひとつの期待に収束している。人々の視線は、広場の中央に設えられた簡素な台へと吸い寄せられていた。

「本当に……奇跡が起こるんだって?」 「教会のお墨付きらしいぞ」 「聖女かもしれないって話だ」

 半信半疑と好奇心が入り混じった声が、波のように広がる。

 貴賓席の一角で、その様子を静かに眺めている少女がいた。

 アルトリア・カストゥス。

 カストゥス公爵家の令嬢にして、王都でも名の知られた存在だ。背筋を伸ばし、優雅に手を重ね、完璧な令嬢然とした佇まいを崩さない。その表情は穏やかで、誰から見ても「興味深い催しを見物に来た貴族の娘」にしか映らないだろう。

 ――だが、その内側は、少し違っていた。

(ずいぶんと人が集まりましたわね)

 冷静に、人数を見積もる。

(噂の広まり方からして、教会が裏で手を回しているのは明白……。さて、どれほどの“奇跡”をお見せになるのかしら)

 やがて、台の上に一人の少女が姿を現した。

 年の頃は十代半ばだろうか。華美な装いではない。むしろ質素といっていい服装で、場の熱気に怯えるように肩をすくめている。その様子に、アルトリアはわずかに眉を動かした。

(……随分と普通の子)

 少女の名が告げられる。

「ジャンヌ・テレーゼ」

 司祭の声に合わせ、場の空気が張り詰めた。

 ジャンヌは一度、大きく息を吸い込み、目を閉じる。そして――。

 ふわり、と。

 少女の足が、地面から離れた。

「……っ!」

 どよめきが走る。

 ジャンヌの身体は、確かに宙に浮いていた。だが、その高さは――。

(三十センチ、ほどですわね)

 アルトリアの思考は、即座に数値化する。

(人一人が躓いた拍子に跳ね上がる程度。落下しても怪我はしない。反動も……見当たりませんわ)

 浮遊は数秒続き、やがてゆっくりと地に戻る。

 それだけだった。

 だが、広場の反応は違った。

「浮いた! 本当に浮いたぞ!」 「神の御業だ……!」 「聖女だ! 聖女が現れた!」

 歓声と喝采が、空気を震わせる。誰かが膝をつき、誰かが祈りを捧げる。興奮は連鎖し、疑念を飲み込んでいく。

 アルトリアは、その様子を静かに見渡した。

(派手……ですわね)

 事実としては、たった三十センチの浮遊。それ以上でも、それ以下でもない。だが、人々は「浮いた」という一点だけで、そこに意味と価値を過剰に付与している。

(……役に立たない)

 結論は、あまりにも早く、そして揺るがなかった。

 戦で兵を救うこともできない。荷を運ぶことも、建物を越えることもできない。実用性は、ほぼ皆無。

 ――見世物としてなら、話は別だが。

 その瞬間、アルトリアの視界の端で、一人の男が立ち上がるのが見えた。

 王太子ルートヴィヒ・マシアス。

 高揚を隠しきれない表情で、台上の少女を見つめている。その瞳は、奇跡そのものではなく、「それがもたらすもの」を計算している者の光を帯びていた。

(……ああ)

 アルトリアは、内心で静かに息を吐く。

(派手さに弱いのは、昔から変わりませんのね、あの方)

 王太子が一歩前に出る気配がしただけで、周囲の空気が変わる。教会関係者がざわめき、貴族たちが視線を交わす。

 まだ、何も宣言はされていない。

 だが、アルトリアにはわかっていた。

(“使える”と、思われましたわね)

 視線を台上のジャンヌへ戻す。少女は、歓声に包まれながらも、どこか居心地悪そうに俯いていた。その姿に、胸の奥で小さな違和感が芽生える。

(……あの子は)

 奇跡を起こした張本人だというのに、誇らしさも、喜びもない。ただ、流れに押し流されているだけのように見える。

(聖女と祭り上げられるには、あまりにも……)

 アルトリアは、そこで言葉を切った。

 まだ、判断する段階ではない。

 だが、確かな予感だけはあった。

(これは――)

(面倒なことになりますわね)

 広場を包む歓声は、しばらく鳴り止まなかった。

 三十センチの奇跡は、人々の期待を大きく膨らませ、そして静かに、歪みを生み始めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜

水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。 魔王乱立の時代。 王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。 だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。 にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。 抗議はしない。 訂正もしない。 ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。 ――それが、誰にとっての不合格なのか。 まだ、誰も気づいていない。 欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。

病弱な幼馴染を守る彼との婚約を解消、十年の恋を捨てて結婚します

佐藤 美奈
恋愛
セフィーナ・グラディウスという貴族の娘が、婚約者であるアルディン・オルステリア伯爵令息との関係に苦悩し、彼の優しさが他の女性に向けられることに心を痛める。 セフィーナは、アルディンが幼馴染のリーシャ・ランスロット男爵令嬢に特別な優しさを注ぐ姿を見て、自らの立場に苦しみながらも、理想的な婚約者を演じ続ける日々を送っていた。 婚約して十年間、心の中で自分を演じ続けてきたが、それももう耐えられなくなっていた。

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)

蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。 聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。 愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。 いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。 ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。 それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。 心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです

古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。 皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。 他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。 救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。 セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。 だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。 「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」 今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました

日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。 だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。 もしかして、婚約破棄⁉

悪役令嬢の涙

拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。

完結 私は何を見せられているのでしょう?

音爽(ネソウ)
恋愛
「あり得ない」最初に出た言葉がそれだった

処理中です...