本物聖女の力は無力でした ――見世物レベルの聖女のおかげで婚約破棄されました――**

鷹 綾

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6話 隠さなければならない事実

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6話 隠さなければならない事実

翌朝、アルトリア・カストゥスはいつもより早く目を覚ました。

薄いカーテン越しの朝日が、私室の床に細い帯を描いている。
まだ屋敷は静まり返り、遠くで鳥の声がかすかに聞こえるだけだ。

(……昨夜は、少しはしゃぎすぎましたわね)

ベッドの縁に腰掛け、背筋を伸ばす。
昨日の歓喜が嘘のように、頭の中は冷えていた。

喜びは確かにあった。
婚約という重荷から解放された安堵も、間違いなく本物だ。

だが――。

「……問題は、ここからですわ」

アルトリアは小さく呟き、机に向かった。
書類は一切広げない。ただ、考えるためだけの席だ。

三十センチの空中浮遊。

それが、ジャンヌ・テレーゼの“奇跡”。

「派手で、わかりやすくて……それだけ」

指先で机を叩く。

「治癒はない」 「防御もない」 「攻撃なんて、論外」

瞬間移動と念動力についても、昨日の会話で聞いた。

念動力は、手で持てる程度の軽い物だけ。
瞬間移動は、百メートルで百秒の精神集中。

(……歩いた方が速いですわね)

事実を並べれば、結論はひとつだ。

「“聖女”として、国家を救う力ではありません」

それどころか、軍事にも、経済にも、医療にも寄与しない。

――ただ、人目を引くだけ。

アルトリアは、そこまで考えて一度目を閉じた。

「この事実が、公になったら……」

想像する。

王太子は、即座に興味を失うだろう。
教会は、別の“象徴”を探す。
市民は、新しい娯楽へと移る。

そして、残されるのは。

「……平民の少女、一人」

それは、あまりにも脆い立場だ。

アルトリアは、ぎゅっと指を組んだ。

(いえ、切り捨てられるだけではありませんわね)

利用され尽くした後、
「役に立たなかった」と烙印を押される。

それは、最悪の形だ。

「……それだけは、避けなければ」

侍女がノックをする音がして、アルトリアは顔を上げた。

「お嬢様、朝食のご用意が――」 「後でいただきますわ。今は一人にして」

扉が閉まる。

再び静寂。

アルトリアは、ゆっくりと考えを整理し始めた。

(ジャンヌ様を守る方法は……)

力を隠す。
だが、それは不可能だ。

空中浮遊は、すでに多くの目に晒されている。
教会も、王太子も、その“派手さ”を手放すつもりはない。

(ならば、切り捨てられない状況を作る)

視線が、自然と窓の外へ向かう。

「……婚約」

王太子との正式な婚約。

それが成立していれば、簡単には扱えない。
王家の婚約者を、教会も、市民も、雑にはできない。

「檻ではありますけれど……」

口に出してみて、少しだけ眉を寄せる。

自由はない。
だが、安全はある。

(少なくとも、“使い捨て”にはされませんわ)

それが、貴族としての現実的な判断だった。

「……王太子殿下は、派手さしか見ていません」 「ですが、それでいい」

真実を知られなければいい。

三十センチという高さ。
実用性のなさ。
制約の多さ。

それらは、決して表に出してはならない。

「私が、その盾になります」

アルトリアは、そう決めた。

あくまで元婚約者として。
あくまで公爵令嬢として。

王太子の判断を否定せず、
教会の期待を裏切らず、
市民の熱狂を冷まさず。

「……すべて、表向きは」

ジャンヌにとって、最も安全な形を維持する。

(それが、“守る”ということ)

その考えに、疑問はまだ浮かばない。

むしろ、正しいことをしているという確信すらあった。

「まずは、ジャンヌ様に近づきましょう」

力の詳細を、正確に把握する。
無理をさせないよう、目を配る。

「そして、余計な真実は、すべて私の胸にしまっておく」

アルトリアは、静かに立ち上がった。

鏡に映る自分は、いつも通りの公爵令嬢だ。
凛として、冷静で、隙がない。

「……ええ、これでいいのですわ」

まだ、この時点では。

それが“檻”になるかもしれないなど、
彼女は、まだ本当には理解していなかった。

アルトリア・カストゥスは、
「隠すべき事実」を胸に抱えたまま、
次の一歩を踏み出す準備を整えた。

——その判断が、後に覆るとも知らずに。
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