12 / 39
12話 権威という名の強制
しおりを挟む
12話 権威という名の強制
翌朝、アルトリア・カストゥスはいつもより早く目を覚ました。夜更かししたわけでも、悩み抜いて眠れなかったわけでもない。ただ、目を開けた瞬間に、昨日の光景が頭に浮かんでしまったのだ。
庭園の噴水。控えめな水音。
そして、俯いたまま告げられた小さな声。
「聖女にも、婚約にも、なりたくないです」
その言葉は、強い拒絶でも、怒りでもなかった。ただ困っている人が、勇気を振り絞ってこぼした本音だった。
(……困りましたわね)
アルトリアは天井を見つめたまま、内心で息をつく。
(困る、というより……想定していた“安全な答え”ではありませんでしたわ)
身支度を整え、いつもの完璧な表情を作る。だが、胸の奥には小さな棘のような違和感が残ったままだった。
午前、アルトリアは王城の回廊を歩いていた。公式な用事はない。だが目的は明確だった。ジャンヌ・テレーゼが、どのように扱われているのか――それを自分の目で確かめること。
最初に見たのは、回廊の一角だった。ジャンヌは数名の聖職者に囲まれている。
「ジャンヌ様、本日は三度目の披露です」
「市民の期待が高まっておりますので」
「笑顔を忘れずに」
口調は丁寧で、声も柔らかい。
「……あの……」
「少し、休ませていただくことは……」
ジャンヌがそう口にした瞬間、空気が一拍止まった。
「もちろんです」
即答だった。だが。
「ただし、本日は王太子殿下もご覧になりますので」
「“少しだけ”で構いません」
ジャンヌは黙って頷いた。
拒否はなかった。だが、選択肢もなかった。
(……“お願い”、ですのね)
アルトリアは胸の奥が冷えるのを感じた。
続いて、小広間ではルートヴィヒ王太子が貴族たちと談笑していた。話題は当然、聖女である。
「実に分かりやすい奇跡だ」
「民衆は派手なものを好む」
「婚約者として、私が支えねばならぬな」
責任、という言葉が、誇らしげに語られる。
(……導いている、つもりですのね)
午後、アルトリアは正式な訪問としてジャンヌの部屋を訪れた。
「アルトリア様……」
ジャンヌはほっとした表情を見せたが、その顔には疲れが滲んでいる。
「聖女のお務めについて、お聞きしますわ」
「断ることは、できますの?」
ジャンヌは一瞬言葉を失い、視線を落とした。
「……お願い、されます」
「皆さん、とても優しくて……」
「ですが?」
「断ると……がっかり、されます」
市民に。教会に。王太子に。
そのすべてに。
アルトリアは静かに理解した。これは命令ではない。怒鳴られもしない。脅されもしない。ただ、“期待”と“正しさ”で逃げ道を塞がれている。
「……それは、自由ではありませんわ」
ジャンヌは小さく頷いた。
「でも……皆さん、悪い人じゃ……」
「ええ、分かっています」
だからこそ厄介なのだ。
部屋を辞した後、回廊を歩きながらアルトリアは思う。
(……これは“お願い”ではない)
(権威で、従わせている)
それでも、まだ一つの考えに縋っていた。
(……立場があれば、守れる)
その判断が正しいのかどうか。
この時のアルトリアは、まだ答えを出せずにいた。
翌朝、アルトリア・カストゥスはいつもより早く目を覚ました。夜更かししたわけでも、悩み抜いて眠れなかったわけでもない。ただ、目を開けた瞬間に、昨日の光景が頭に浮かんでしまったのだ。
庭園の噴水。控えめな水音。
そして、俯いたまま告げられた小さな声。
「聖女にも、婚約にも、なりたくないです」
その言葉は、強い拒絶でも、怒りでもなかった。ただ困っている人が、勇気を振り絞ってこぼした本音だった。
(……困りましたわね)
アルトリアは天井を見つめたまま、内心で息をつく。
(困る、というより……想定していた“安全な答え”ではありませんでしたわ)
身支度を整え、いつもの完璧な表情を作る。だが、胸の奥には小さな棘のような違和感が残ったままだった。
午前、アルトリアは王城の回廊を歩いていた。公式な用事はない。だが目的は明確だった。ジャンヌ・テレーゼが、どのように扱われているのか――それを自分の目で確かめること。
最初に見たのは、回廊の一角だった。ジャンヌは数名の聖職者に囲まれている。
「ジャンヌ様、本日は三度目の披露です」
「市民の期待が高まっておりますので」
「笑顔を忘れずに」
口調は丁寧で、声も柔らかい。
「……あの……」
「少し、休ませていただくことは……」
ジャンヌがそう口にした瞬間、空気が一拍止まった。
「もちろんです」
即答だった。だが。
「ただし、本日は王太子殿下もご覧になりますので」
「“少しだけ”で構いません」
ジャンヌは黙って頷いた。
拒否はなかった。だが、選択肢もなかった。
(……“お願い”、ですのね)
アルトリアは胸の奥が冷えるのを感じた。
続いて、小広間ではルートヴィヒ王太子が貴族たちと談笑していた。話題は当然、聖女である。
「実に分かりやすい奇跡だ」
「民衆は派手なものを好む」
「婚約者として、私が支えねばならぬな」
責任、という言葉が、誇らしげに語られる。
(……導いている、つもりですのね)
午後、アルトリアは正式な訪問としてジャンヌの部屋を訪れた。
「アルトリア様……」
ジャンヌはほっとした表情を見せたが、その顔には疲れが滲んでいる。
「聖女のお務めについて、お聞きしますわ」
「断ることは、できますの?」
ジャンヌは一瞬言葉を失い、視線を落とした。
「……お願い、されます」
「皆さん、とても優しくて……」
「ですが?」
「断ると……がっかり、されます」
市民に。教会に。王太子に。
そのすべてに。
アルトリアは静かに理解した。これは命令ではない。怒鳴られもしない。脅されもしない。ただ、“期待”と“正しさ”で逃げ道を塞がれている。
「……それは、自由ではありませんわ」
ジャンヌは小さく頷いた。
「でも……皆さん、悪い人じゃ……」
「ええ、分かっています」
だからこそ厄介なのだ。
部屋を辞した後、回廊を歩きながらアルトリアは思う。
(……これは“お願い”ではない)
(権威で、従わせている)
それでも、まだ一つの考えに縋っていた。
(……立場があれば、守れる)
その判断が正しいのかどうか。
この時のアルトリアは、まだ答えを出せずにいた。
0
あなたにおすすめの小説
欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜
水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。
魔王乱立の時代。
王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。
だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。
にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。
抗議はしない。
訂正もしない。
ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。
――それが、誰にとっての不合格なのか。
まだ、誰も気づいていない。
欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。
病弱な幼馴染を守る彼との婚約を解消、十年の恋を捨てて結婚します
佐藤 美奈
恋愛
セフィーナ・グラディウスという貴族の娘が、婚約者であるアルディン・オルステリア伯爵令息との関係に苦悩し、彼の優しさが他の女性に向けられることに心を痛める。
セフィーナは、アルディンが幼馴染のリーシャ・ランスロット男爵令嬢に特別な優しさを注ぐ姿を見て、自らの立場に苦しみながらも、理想的な婚約者を演じ続ける日々を送っていた。
婚約して十年間、心の中で自分を演じ続けてきたが、それももう耐えられなくなっていた。
聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)
蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。
聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。
愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。
いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。
ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。
それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。
心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。
大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです
古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。
皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。
他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。
救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。
セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。
だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。
「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」
今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました
日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。
だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。
もしかして、婚約破棄⁉
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる