本物聖女の力は無力でした ――見世物レベルの聖女のおかげで婚約破棄されました――**

鷹 綾

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17話 方向転換

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17話 方向転換

 その朝、アルトリア・カストゥスは鏡の前に立ち、いつもより長く自分の顔を見つめていた。

 完璧に整えられた髪。
 公爵令嬢として非の打ちどころのない身だしなみ。
 誰から見ても「正しい位置」にいる女。

(……その“正しさ”が、どれほど多くのものを見えなくしてきたのか)

 昨夜の思考は、眠りの中でも途切れなかった。
 守るつもりで縛っていた――その自覚は、想像以上に重かった。

 アルトリアは、ゆっくりと背筋を伸ばす。

(では、どうするのか)

 問いは明確だった。
 だが、答えは簡単ではない。

 これまで選んできた道は、「安全」だった。
 王太子と聖女の婚約を維持する。
 聖女という立場を強化する。
 そうすれば、ジャンヌは利用されながらも、表向きは守られる。

(……いいえ)

 その考えを、今ははっきり否定できる。

(それは、ジャンヌの人生を“預かる”という名の支配ですわ)

 選ばせない。
 逃げさせない。
 「あなたのため」という言葉で、すべてを正当化する。

 アルトリアは、ゆっくりと息を吐いた。

(私がすべきなのは、檻を強化することではありません)

(檻そのものを、是としないこと)

 それは、これまでの貴族的思考を根本から覆す判断だった。

 ――聖女の立場を守らない。
 ――婚約を維持しない。

 その結論が、はっきりと胸の中に落ちる。

 守らない、という選択。

 それは、見捨てることではない。
 管理しない、という意味だ。

(……ようやく、同じ場所に立てましたわね)

 アルトリアは、そう心の中で呟く。

 その日の午後、ジャンヌは再び披露の準備をしていた。
 白い衣装。
 聖女として用意された、柔らかく、逃げ場のない装い。

「アルトリア様……」

 声をかけられ、ジャンヌは少し驚いたように振り返る。

「今日は……ご一緒では?」

「いいえ。今日は違いますわ」

 その言葉に、ジャンヌの表情が揺れた。

「違う……?」

 アルトリアは、はっきりと頷く。

「これから先も、です」

 沈黙が落ちる。

 ジャンヌは、何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。

「……私、何か……」

「いいえ」

 アルトリアは、きっぱりと言った。

「あなたは、何も間違っていません」

 その声には、迷いがなかった。

「私はこれまで、あなたを守っている“つもり”でした。けれど、それは違いましたわ」

 ジャンヌは、戸惑いながらも耳を傾ける。

「私は……あなたを、聖女として守ろうとしていました」

 そして、一拍置いて。

「――それを、やめます」

 ジャンヌの目が、大きく見開かれた。

「やめる……?」

「ええ」

 アルトリアは、静かに、しかし確固として告げる。

「聖女の立場も、婚約も、守りません」

 それは、ジャンヌにとって予想外の言葉だった。

「で、でも……それでは……」

「怖いですわね」

 アルトリアは、あえてそう言った。

「立場がなくなるのは、不安でしょう。けれど……」

 視線を、まっすぐジャンヌに向ける。

「あなたの人生を、立場で固定することの方が、私は恐ろしい」

 ジャンヌは、唇を震わせた。

 何かを言おうとして、言葉にならない。

「私はこれから、“聖女ジャンヌ”ではなく」

 アルトリアは、はっきりと言う。

「ジャンヌ・テレーゼ本人を、守るために動きます」

 それは、まだ具体的な方法を伴わない宣言だった。
 王太子も、教会も、簡単に黙るはずがない。

 それでも。

(方向は、決まりましたわ)

 アルトリアの中で、進むべき道は定まっていた。

 安全な檻を選ばない。
 管理という名の保護を拒否する。

 その代わりに――。

(正面から、壊します)

 権威が人を縛るのなら。
 その構造そのものを、是としない。

 アルトリア・カストゥスは、この瞬間、完全に方向を転換した。

 守らない、と決めた。
 だからこそ、本当に守れるものがあると――初めて信じて。
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