本物聖女の力は無力でした ――見世物レベルの聖女のおかげで婚約破棄されました――**

鷹 綾

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26話 教会の沈黙

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26話 教会の沈黙

 王都の朝は、いつもと変わらず鐘の音で始まった。

 しかし、その音を聞いて安堵した者は、ほとんどいなかった。

 ――教会が、何も言わない。

 それが、貴族たちの間で共有された最初の違和感だった。

 これまで、教会は常に声を上げてきた。
 奇跡があれば称え、批判があれば反論し、都合が悪ければ「神意」を盾に押し切る。

 それが常だった。

 だが今回は違った。

 前日の告発。
 アルトリア・カストゥスによる、公の場での指摘。

 > 「拒否権のない状況は、強制です」

 あの言葉に対し、教会は――沈黙した。

 午前、王都中央大聖堂。

 礼拝は通常通り行われた。
 聖歌も、祈りも、形式だけは整っている。

 だが、説教の内容は、異様なほど無難だった。

「神は、すべての人に慈悲を与え給う」

 それだけ。

 奇跡についても、聖女についても、
 王太子についても、一切触れられなかった。

 参列していた市民たちは、首をかしげた。

「……あれ?」 「今日は、聖女様のお話じゃないの?」

 囁きが、列のあちこちで生まれる。

 だが、司祭は何も答えない。
 予定通り祈りを終え、静かに退いた。

 その様子を、後方の席で見ていた者たちは、別の意味で息を詰めていた。

 ――教会が、逃げた。

 午後。

 貴族向けに開かれるはずだった小規模な聖務会合が、直前になって中止された。

 理由は、簡潔だった。

「協議事項の整理が必要になったため」

 それ以上の説明はない。

 名を連ねていた貴族たちは、顔を見合わせた。

「整理、ですか」 「今さら?」

 皮肉を含んだ笑みが、誰からともなく漏れる。

 整理すべきものが何かは、全員が理解していた。

 ――弁明の言葉が、見つからないのだ。

 夕刻、王宮内。

 リシュリュー枢機卿は、執務室に籠もったままだった。

 普段であれば、すでに声明の一つや二つは出ている。
 あるいは、王太子を擁護するための、巧妙な言い換えが用意されていたはずだ。

 だが――
 今回は、それができなかった。

 理由は単純だった。

 アルトリアの告発は、感情論ではなかった。

 ・婚約を前提にしていたこと
 ・拒否すれば立場を失う状況だったこと
 ・奇跡の行使が事実上の義務になっていたこと

 どれも、事実だった。

 否定すれば、証言が出る。
 誤魔化せば、さらなる追及を招く。

 そして何より――

「神意」を持ち出せなかった。

 神が、人の意思を無視してよい理由にはならない。
 少なくとも、この件に関しては。

 沈黙は、最善の選択だった。

 だが、それは同時に――
 教会が王太子を切り離した、という意味でもあった。

 夜。

 貴族たちの間では、すでに評価が固まりつつあった。

「教会が守らない、ということは……」 「そういうことだ」

 誰も、はっきりとは言わない。
 だが、理解は共有されていた。

 ――この件、教会は勝てないと判断した。

 アルトリアの名が、再び話題に上る。

「彼女は、教会を敵に回していない」 「だからこそ、教会も動けない」

 それは、高度な読みだった。

 意図したかどうかは別として、
 アルトリアは「教会を糾弾」していない。

 あくまで、事実を提示しただけ。

 だから、教会は沈黙するしかなかった。

 沈黙は、中立ではない。
 沈黙は、敗北の一形態だ。

 王太子ルートヴィヒは、まだ理解していなかった。

「教会は、いずれ私を支持する」 「時間の問題だ」

 そう信じていた。

 だが、その背後で――
 支えは、一本ずつ外されていく。

 声高な非難もない。
 断罪も、宣告もない。

 ただ、守られなくなった。

 それが、この国における、最も静かで、最も確実な終わり方だった。

 教会は、沈黙した。

 それは、王太子が
 もはや「守る価値のある象徴ではない」と
 判断された証だった。
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