婚約破棄して「無能」と捨てた元婚約者様へ。私が隣国の魔導予算を握っていますが、今さら戻ってこいなんて冗談ですよね?』

鷹 綾

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第1話 華やかな夜会と冷たい宣告

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第1話 華やかな夜会と冷たい宣告

 王宮の大広間は、いつもよりも一段と眩しかった。
 天井から下がる幾重もの魔導灯が、宝石のような光を放ち、貴族たちの衣装をこれでもかと照らし出している。音楽は優雅で、笑い声は軽やか。誰もが今夜を「祝福の夜」だと信じて疑っていなかった。

 ――ただ一人を除いて。

 エルフレイド・ヴァルシュタインは、広間の端で静かに立っていた。
 公爵家令嬢にして、王太子アラルガンの婚約者。だがその肩書きを示す華やかな装飾は、彼女の装いにはほとんど見当たらない。過度な刺繍も、過剰な宝石もない。代わりにあるのは、実務を妨げない簡潔さと、無駄のない線だけだった。

「……相変わらず地味だな」

 背後から、聞き慣れた声がした。
 振り返るまでもなく、誰のものか分かる。

「今夜は夜会だぞ、エルフレイド。もう少し“可愛げ”というものを意識できないのか?」

 アラルガン王太子は、完璧に整えられた微笑みを浮かべていた。その腕には、柔らかな色合いのドレスをまとった少女が寄り添っている。ふわふわとした雰囲気で、いかにも“聖女”と呼ばれそうな外見だ。

 エルフレイドは、淡々と視線を向けた。

「夜会であっても、私は公務の延長線上におりますので。装いが業務効率に影響を与えるとは思えません」

「ほら、そういうところだ」

 王太子は肩をすくめ、まるで出来の悪い部下を見るような目を向けた。

「数字だの書類だの、いつも机にかじりついて。女としての魅力が感じられない」

 その言葉に、周囲の貴族たちがひそひそと囁き合う。
 同情と嘲笑が入り混じった、嫌な空気。

 エルフレイドは、顔色一つ変えなかった。
 ――この視線には、慣れている。

 彼女が王国の魔導具開発予算と運用管理を一手に引き受けるようになって、もう七年になる。誰よりも長く、誰よりも深く、国の“裏側”を見続けてきた。その結果が、今の王国の安定だった。

 だが、それを評価する者は少ない。

「さて、皆に集まってもらったのは他でもない」

 アラルガン王太子が一歩前に出る。
 音楽が止まり、広間が静まり返った。

「今宵をもって、私は――エルフレイド・ヴァルシュタインとの婚約を破棄する」

 一瞬、世界が止まった。

 ざわめきが、波のように広がる。
 驚き、興奮、期待。貴族たちの顔が一斉に輝いた。

「理由は簡単だ」

 王太子は、エルフレイドを見下ろす。

「無能だからだ。魔力は低く、華もない。王妃として国を導く器ではない」

 腕に抱いた少女が、恥ずかしそうに俯く。

「代わりに、こちらの聖女殿を新たな婚約者とする。彼女こそが、真に国を照らす存在だ」

 ――聖女(自称)。

 エルフレイドは、その言葉を心の中で正確に補足した。

「……なるほど」

 静かな声だった。
 感情の起伏が感じられないほど、冷静な。

 王太子が眉をひそめる。

「何だ、その反応は。泣いて縋ると思ったか?」

「いいえ」

 エルフレイドは、ゆっくりと首を振った。

「一点だけ、確認させてください」

「確認?」

「私が本日付で職務から外れる、という認識でよろしいですね」

「当然だ。お前の仕事など、誰にでもできる」

 王太子は鼻で笑った。

「……承知しました」

 エルフレイドは、一礼する。
 完璧すぎるほど、形式的な所作だった。

「では――」

 彼女は顔を上げ、王太子をまっすぐに見つめる。

「王国魔導障壁の維持管理、魔導炉の予算配分、魔石輸入契約の再交渉。それらすべてが本日で停止しますが、問題ありませんね?」

 空気が、凍りついた。

「……は?」

「引き継ぎには最低でも三か月必要です。ですが、私は“無能”とのことですので」

 エルフレイドは、淡々と続ける。

「今後は、優秀な方が対応なさるのでしょう」

 ざわめきが、今度は不安の色を帯びる。
 官僚の何人かが、明らかに顔色を変えた。

 だが王太子は、不機嫌そうに言い放った。

「脅しのつもりか? くだらない」

「事実確認です」

「もういい。出て行け」

 その一言で、すべてが決まった。

 エルフレイドは何も言わず、踵を返す。
 背中に突き刺さる視線を、気にすることもなく。

 ――ああ、これで。

 心の奥で、何かが静かに区切られた。

 王国のために積み上げてきた数字も、設計図も、予算案も。
 すべてを「誰でもできる」と言われた。

 ならば。

「……では、失礼いたします」

 彼女は最後に一礼し、大広間を後にした。

 その背中を見送りながら、誰もまだ気づいていない。
 今夜、この国が捨てたものの“重さ”に。

 ――魔導障壁が止まるのは、ほんの始まりに過ぎないということを。


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