28 / 40
第28話 取り戻せないものと、まだ残っているもの
しおりを挟む
第28話 取り戻せないものと、まだ残っているもの
雨が降っていた。
激しいわけではない。
ただ、じわじわと地面を濡らし、
足元の感覚を鈍らせる、嫌な雨だ。
アラルガンは、魔導庁の裏手にある資材置き場で、
黙って帳簿をめくっていた。
屋根の下とはいえ、湿った風が入り込み、
紙の端がわずかに波打つ。
「……ここも、更新予定が飛ばされているな」
呟きは、独り言だ。
隣で工具箱を整理していた中年の技師が、
ちらりと視線を向けた。
「補佐官、
その区画は五回目です」
「……五回」
「はい。
“次の年度で”って言われ続けて」
アラルガンは、
帳簿の該当箇所を見つめる。
そこには、
毎年同じような注記が並んでいた。
――優先度低。
すべて、
自分の決裁だ。
「……悪かった」
思わず、
口から零れた。
技師は、
一瞬だけ動きを止め、
それから肩をすくめた。
「今さらですよ」
責める調子ではない。
むしろ、
淡々としている。
「壊れなかっただけ、
運が良かった」
その言葉が、
胸に重く沈む。
運に、
国の基盤を預けていた。
それが、
自分のやってきたことだ。
昼前。
資材置き場に、
若い技師が駆け込んできた。
「補佐官!
第三制御区画、
予備回路が不安定です!」
「……詳細は?」
「魔力逆流、
軽度ですが……
放置すれば危険です」
以前なら、
“様子を見ろ”と
言っていたかもしれない。
だが、
今は違う。
「……すぐ、
回路を落とせ」
自分でも驚くほど、
即断だった。
「予備を使え。
交換は、今日中だ」
若い技師は、
目を見開いた。
「い、いいんですか?
予算……」
「俺が、
責任を持つ」
その言葉に、
迷いはなかった。
「必要なものは、
全部書け」
「……はい!」
駆けていく背中を見送り、
アラルガンは深く息を吐いた。
「……これが、
判断か」
遅すぎる。
だが、
今はそれしかできない。
午後。
交換作業は、
予想以上に手間取った。
古い回路は、
想定より摩耗しており、
周辺にも影響が出ていた。
「……ここ、
ひびが入ってる」
「本当だ……
危なかったな」
技師たちの会話が、
耳に入る。
もし、
今朝の判断が遅れていたら。
もし、
“次に回そう”としていたら。
背中に、
冷たいものが走る。
夕方。
作業は、
無事に終わった。
魔導計器の針は、
安定した値を示している。
「……助かりました」
若い技師が、
頭を下げた。
「さっきの判断、
本当に……」
「礼はいらない」
アラルガンは、
首を振る。
「本来、
当たり前のことだ」
その言葉は、
自分自身に向けたものだった。
帰り際。
廊下の掲示板に、
新しい通達が貼られている。
《魔導基盤改善 第三期計画》
主導:
エルフレイド・ヴァルシュタイン。
実施責任者:
魔導庁。
補佐官名の欄に、
自分の名前はない。
当然だ。
もう、
主導する立場ではない。
「……それでも」
小さく呟く。
「……ここには、
いられる」
それだけで、
十分だと思った。
夜。
部屋に戻り、
簡素な机に向かう。
灯りは一つ。
静かな空間。
今日の報告書を、
まとめる。
作業内容。
判断理由。
結果。
すべて、
自分の言葉で書く。
「……失敗を、
繰り返さないため」
ペンを置き、
天井を見上げる。
失ったものは、
多すぎる。
王位。
権限。
尊敬。
だが――
まだ、
残っているものもある。
現場。
判断の機会。
やり直す余地。
そして、
自分が間違えた理由を、
理解する時間。
窓の外では、
雨が弱まっていた。
雲の切れ間から、
わずかに月が覗く。
「……全部は、
取り戻せない」
それを、
受け入れる。
だが、
全部を失ったわけでもない。
アラルガンは、
明日の予定を確認し、
灯りを落とした。
取り戻せないものと、
まだ残っているもの。
その区別が、
ようやく、
できるようになっていた。
そしてそれは、
王だった頃には、
決して得られなかった感覚だった。
雨が降っていた。
激しいわけではない。
ただ、じわじわと地面を濡らし、
足元の感覚を鈍らせる、嫌な雨だ。
アラルガンは、魔導庁の裏手にある資材置き場で、
黙って帳簿をめくっていた。
屋根の下とはいえ、湿った風が入り込み、
紙の端がわずかに波打つ。
「……ここも、更新予定が飛ばされているな」
呟きは、独り言だ。
隣で工具箱を整理していた中年の技師が、
ちらりと視線を向けた。
「補佐官、
その区画は五回目です」
「……五回」
「はい。
“次の年度で”って言われ続けて」
アラルガンは、
帳簿の該当箇所を見つめる。
そこには、
毎年同じような注記が並んでいた。
――優先度低。
すべて、
自分の決裁だ。
「……悪かった」
思わず、
口から零れた。
技師は、
一瞬だけ動きを止め、
それから肩をすくめた。
「今さらですよ」
責める調子ではない。
むしろ、
淡々としている。
「壊れなかっただけ、
運が良かった」
その言葉が、
胸に重く沈む。
運に、
国の基盤を預けていた。
それが、
自分のやってきたことだ。
昼前。
資材置き場に、
若い技師が駆け込んできた。
「補佐官!
第三制御区画、
予備回路が不安定です!」
「……詳細は?」
「魔力逆流、
軽度ですが……
放置すれば危険です」
以前なら、
“様子を見ろ”と
言っていたかもしれない。
だが、
今は違う。
「……すぐ、
回路を落とせ」
自分でも驚くほど、
即断だった。
「予備を使え。
交換は、今日中だ」
若い技師は、
目を見開いた。
「い、いいんですか?
予算……」
「俺が、
責任を持つ」
その言葉に、
迷いはなかった。
「必要なものは、
全部書け」
「……はい!」
駆けていく背中を見送り、
アラルガンは深く息を吐いた。
「……これが、
判断か」
遅すぎる。
だが、
今はそれしかできない。
午後。
交換作業は、
予想以上に手間取った。
古い回路は、
想定より摩耗しており、
周辺にも影響が出ていた。
「……ここ、
ひびが入ってる」
「本当だ……
危なかったな」
技師たちの会話が、
耳に入る。
もし、
今朝の判断が遅れていたら。
もし、
“次に回そう”としていたら。
背中に、
冷たいものが走る。
夕方。
作業は、
無事に終わった。
魔導計器の針は、
安定した値を示している。
「……助かりました」
若い技師が、
頭を下げた。
「さっきの判断、
本当に……」
「礼はいらない」
アラルガンは、
首を振る。
「本来、
当たり前のことだ」
その言葉は、
自分自身に向けたものだった。
帰り際。
廊下の掲示板に、
新しい通達が貼られている。
《魔導基盤改善 第三期計画》
主導:
エルフレイド・ヴァルシュタイン。
実施責任者:
魔導庁。
補佐官名の欄に、
自分の名前はない。
当然だ。
もう、
主導する立場ではない。
「……それでも」
小さく呟く。
「……ここには、
いられる」
それだけで、
十分だと思った。
夜。
部屋に戻り、
簡素な机に向かう。
灯りは一つ。
静かな空間。
今日の報告書を、
まとめる。
作業内容。
判断理由。
結果。
すべて、
自分の言葉で書く。
「……失敗を、
繰り返さないため」
ペンを置き、
天井を見上げる。
失ったものは、
多すぎる。
王位。
権限。
尊敬。
だが――
まだ、
残っているものもある。
現場。
判断の機会。
やり直す余地。
そして、
自分が間違えた理由を、
理解する時間。
窓の外では、
雨が弱まっていた。
雲の切れ間から、
わずかに月が覗く。
「……全部は、
取り戻せない」
それを、
受け入れる。
だが、
全部を失ったわけでもない。
アラルガンは、
明日の予定を確認し、
灯りを落とした。
取り戻せないものと、
まだ残っているもの。
その区別が、
ようやく、
できるようになっていた。
そしてそれは、
王だった頃には、
決して得られなかった感覚だった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜
福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。
彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。
だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。
「お義姉さま!」 . .
「姉などと呼ばないでください、メリルさん」
しかし、今はまだ辛抱のとき。
セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。
──これは、20年前の断罪劇の続き。
喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。
※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。
旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』
※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。
※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。
婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです
藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。
家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。
その“褒賞”として押しつけられたのは――
魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。
けれど私は、絶望しなかった。
むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。
そして、予想外の出来事が起きる。
――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。
「君をひとりで行かせるわけがない」
そう言って微笑む勇者レオン。
村を守るため剣を抜く騎士。
魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。
物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。
彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。
気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き――
いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。
もう、誰にも振り回されない。
ここが私の新しい居場所。
そして、隣には――かつての仲間たちがいる。
捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。
これは、そんな私の第二の人生の物語。
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、
冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまう
リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、
悪役令嬢として断罪された少女が、
「誰かの物語の脇役」ではなく、
自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、
彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
【完結】元婚約者であって家族ではありません。もう赤の他人なんですよ?
つくも茄子
ファンタジー
私、ヘスティア・スタンリー公爵令嬢は今日長年の婚約者であったヴィラン・ヤルコポル伯爵子息と婚約解消をいたしました。理由?相手の不貞行為です。婿入りの分際で愛人を連れ込もうとしたのですから当然です。幼馴染で家族同然だった相手に裏切られてショックだというのに相手は斜め上の思考回路。は!?自分が次期公爵?何の冗談です?家から出て行かない?ここは私の家です!貴男はもう赤の他人なんです!
文句があるなら法廷で決着をつけようではありませんか!
結果は当然、公爵家の圧勝。ヤルコポル伯爵家は御家断絶で一家離散。主犯のヴィランは怪しい研究施設でモルモットとしいて短い生涯を終える……はずでした。なのに何故か薬の副作用で強靭化してしまった。化け物のような『力』を手にしたヴィランは王都を襲い私達一家もそのまま儚く……にはならなかった。
目を覚ましたら幼い自分の姿が……。
何故か十二歳に巻き戻っていたのです。
最悪な未来を回避するためにヴィランとの婚約解消を!と拳を握りしめるものの婚約は継続。仕方なくヴィランの再教育を伯爵家に依頼する事に。
そこから新たな事実が出てくるのですが……本当に婚約は解消できるのでしょうか?
他サイトにも公開中。
【完結】「めでたし めでたし」から始まる物語
つくも茄子
恋愛
身分違の恋に落ちた王子様は「真実の愛」を貫き幸せになりました。
物語では「幸せになりました」と終わりましたが、現実はそうはいかないもの。果たして王子様と本当に幸せだったのでしょうか?
王子様には婚約者の公爵令嬢がいました。彼女は本当に王子様の恋を応援したのでしょうか?
これは、めでたしめでたしのその後のお話です。
番外編がスタートしました。
意外な人物が出てきます!
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。
もう私、好きなようにさせていただきますね? 〜とりあえず、元婚約者はコテンパン〜
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「婚約破棄ですね、はいどうぞ」
婚約者から、婚約破棄を言い渡されたので、そういう対応を致しました。
もう面倒だし、食い下がる事も辞めたのですが、まぁ家族が許してくれたから全ては大団円ですね。
……え? いまさら何ですか? 殿下。
そんな虫のいいお話に、まさか私が「はい分かりました」と頷くとは思っていませんよね?
もう私の、使い潰されるだけの生活からは解放されたのです。
だって私はもう貴方の婚約者ではありませんから。
これはそうやって、自らが得た自由の為に戦う令嬢の物語。
※本作はそれぞれ違うタイプのざまぁをお届けする、『野菜の夏休みざまぁ』作品、4作の内の1作です。
他作品は検索画面で『野菜の夏休みざまぁ』と打つとヒット致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる