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19話|届いた文書
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19話|届いた文書
王宮の執務棟に、重い沈黙が落ちていた。
長い机の上に並べられたのは、帝国から届いた正式文書。
封蝋はすでに解かれ、内容は各部門の上席に共有されている。
――帝国基準による通商枠組み案。
――選択肢は三つ。
――期限は、明示。
「……露骨だな」
財務官が、低く呟く。
「だが、拒否すればどうなる?」
「交渉は凍結。
市場は、さらに不安定になる」
誰も、軽々しく結論を出せない。
文書は、脅しではなかった。
だが、慈善でもない。
選択肢は用意されている。
そのどれを選んでも、一定の不利益は生じる。
だが――
選ばなければ、より大きな不利益が確実に訪れる。
「……巧妙だ」
年配の外交官が、深く息を吐いた。
「こちらに“決めさせている”」
その言葉に、全員が黙り込む。
ロネスは、文書の一節に視線を落としたまま、動かなかった。
通商条件の並べ方。
判断基準の置き方。
期限の切り方。
どれも、見覚えがある。
「……これは」
喉が、ひりつく。
否定したい。
だが、否定できない。
「……エルゼリアの手だ」
誰も、驚かなかった。
むしろ、納得の気配が広がる。
「だからこそ、だな」
財務官が言う。
「こちらの事情を、ここまで正確に突いてくる」
文書は、王国の弱点を列挙していない。
だが、迷っている箇所だけを、正確に押さえている。
――迷えば、期限が切れる。
――決めれば、前に進める。
単純で、残酷で、合理的。
「殿下」
側近が、慎重に声をかける。
「ご判断を」
ロネスは、ゆっくりと顔を上げた。
「……選択肢を、整理しろ」
声は、硬い。
「感情は抜きだ。
利と不利だけを並べる」
それは、かつてエルゼリアが常に求めていた姿勢だった。
会議は、長引いた。
各部門が、自分の立場から案を述べる。
反論が出る。
修正が入る。
だが、以前のような堂々巡りではない。
文書が、議論の軸を強制的に一本化している。
「……この案なら」
「いや、こちらの条件を少し――」
「時間がない。
どこを譲り、どこを守るかだ」
次第に、言葉が整理されていく。
決断の準備が、整えられていく。
ロネスは、ふと気づいた。
――自分は、今、判断できている。
それは、能力が急に上がったからではない。
判断できる形に、材料が整えられているからだ。
胸の奥に、苦い感情が広がる。
――これを、ずっと彼女がやっていた。
「……選ぶしかない」
最終的に、ロネスは言った。
「第二案を基軸に、条件を詰める」
反論は、出なかった。
それが、最善ではないと分かっていても、
最悪を避ける選択だと、全員が理解していたからだ。
会議が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
文官たちが部屋を出ていく中、
ロネスは一人、席に残る。
机の上には、帝国の文書。
そして、王国側の回答案。
「……皮肉だな」
呟きは、誰にも届かない。
彼女がいなくなって、
初めて、彼女の仕事の価値を、正確に理解している。
一方、帝国宰相府では、夜の報告が上がっていた。
「王国側、第二案を軸に検討中です」
ハインリヒ・ヴォルフは、短く頷く。
「想定通りだ」
視線を、向かいに座るエルゼリアへ向ける。
「……手応えは?」
「あります」
彼女は、即答した。
「王国は、もう迷う段階を過ぎています。
あとは、条件を詰めるだけです」
「王太子は?」
「……理解し始めています」
それが、彼女にとっても、複雑な部分だった。
「だが、遅い」
ハインリヒは、淡々と言う。
「帝国は、待たない」
「承知しています」
エルゼリアは、資料を閉じた。
彼女にとって重要なのは、
王国がどう感じるかではない。
帝国の利益が、最大化されるかどうかだ。
その結果として、
王国が持ち直す余地が残るなら、
それは副次的な成果にすぎない。
夜更け、執務室に一人残り、
エルゼリアは窓の外を見た。
帝国の街は、静かに動き続けている。
今日、自分が出した一手は、
確実に、隣国を動かした。
それは、復讐でも、誇示でもない。
ただ、役割を果たした結果だ。
――届いた。
その実感が、静かに胸に広がる。
エルゼリア・クローヴェルは、
再び机に向かい、次の資料を開いた。
これは、まだ序章だ。
選ばされる側から、
選ばせる側へ。
その位置に、
彼女は、もう立っていた。
王宮の執務棟に、重い沈黙が落ちていた。
長い机の上に並べられたのは、帝国から届いた正式文書。
封蝋はすでに解かれ、内容は各部門の上席に共有されている。
――帝国基準による通商枠組み案。
――選択肢は三つ。
――期限は、明示。
「……露骨だな」
財務官が、低く呟く。
「だが、拒否すればどうなる?」
「交渉は凍結。
市場は、さらに不安定になる」
誰も、軽々しく結論を出せない。
文書は、脅しではなかった。
だが、慈善でもない。
選択肢は用意されている。
そのどれを選んでも、一定の不利益は生じる。
だが――
選ばなければ、より大きな不利益が確実に訪れる。
「……巧妙だ」
年配の外交官が、深く息を吐いた。
「こちらに“決めさせている”」
その言葉に、全員が黙り込む。
ロネスは、文書の一節に視線を落としたまま、動かなかった。
通商条件の並べ方。
判断基準の置き方。
期限の切り方。
どれも、見覚えがある。
「……これは」
喉が、ひりつく。
否定したい。
だが、否定できない。
「……エルゼリアの手だ」
誰も、驚かなかった。
むしろ、納得の気配が広がる。
「だからこそ、だな」
財務官が言う。
「こちらの事情を、ここまで正確に突いてくる」
文書は、王国の弱点を列挙していない。
だが、迷っている箇所だけを、正確に押さえている。
――迷えば、期限が切れる。
――決めれば、前に進める。
単純で、残酷で、合理的。
「殿下」
側近が、慎重に声をかける。
「ご判断を」
ロネスは、ゆっくりと顔を上げた。
「……選択肢を、整理しろ」
声は、硬い。
「感情は抜きだ。
利と不利だけを並べる」
それは、かつてエルゼリアが常に求めていた姿勢だった。
会議は、長引いた。
各部門が、自分の立場から案を述べる。
反論が出る。
修正が入る。
だが、以前のような堂々巡りではない。
文書が、議論の軸を強制的に一本化している。
「……この案なら」
「いや、こちらの条件を少し――」
「時間がない。
どこを譲り、どこを守るかだ」
次第に、言葉が整理されていく。
決断の準備が、整えられていく。
ロネスは、ふと気づいた。
――自分は、今、判断できている。
それは、能力が急に上がったからではない。
判断できる形に、材料が整えられているからだ。
胸の奥に、苦い感情が広がる。
――これを、ずっと彼女がやっていた。
「……選ぶしかない」
最終的に、ロネスは言った。
「第二案を基軸に、条件を詰める」
反論は、出なかった。
それが、最善ではないと分かっていても、
最悪を避ける選択だと、全員が理解していたからだ。
会議が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
文官たちが部屋を出ていく中、
ロネスは一人、席に残る。
机の上には、帝国の文書。
そして、王国側の回答案。
「……皮肉だな」
呟きは、誰にも届かない。
彼女がいなくなって、
初めて、彼女の仕事の価値を、正確に理解している。
一方、帝国宰相府では、夜の報告が上がっていた。
「王国側、第二案を軸に検討中です」
ハインリヒ・ヴォルフは、短く頷く。
「想定通りだ」
視線を、向かいに座るエルゼリアへ向ける。
「……手応えは?」
「あります」
彼女は、即答した。
「王国は、もう迷う段階を過ぎています。
あとは、条件を詰めるだけです」
「王太子は?」
「……理解し始めています」
それが、彼女にとっても、複雑な部分だった。
「だが、遅い」
ハインリヒは、淡々と言う。
「帝国は、待たない」
「承知しています」
エルゼリアは、資料を閉じた。
彼女にとって重要なのは、
王国がどう感じるかではない。
帝国の利益が、最大化されるかどうかだ。
その結果として、
王国が持ち直す余地が残るなら、
それは副次的な成果にすぎない。
夜更け、執務室に一人残り、
エルゼリアは窓の外を見た。
帝国の街は、静かに動き続けている。
今日、自分が出した一手は、
確実に、隣国を動かした。
それは、復讐でも、誇示でもない。
ただ、役割を果たした結果だ。
――届いた。
その実感が、静かに胸に広がる。
エルゼリア・クローヴェルは、
再び机に向かい、次の資料を開いた。
これは、まだ序章だ。
選ばされる側から、
選ばせる側へ。
その位置に、
彼女は、もう立っていた。
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