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プロローグ
しおりを挟む私の婚約は、祖父の遺言で決まった。
“孫娘であるセラフィーネは、クレシャス侯爵家の男性と婚姻をするように”
今、思えばお祖父様は、何てはた迷惑な遺言を残したものだと言いたい。
私がこの世に誕生した時、すでに件のクレシャス侯爵家には2人の息子がいた。
そのどちらかと結婚しろという遺言。
両家のお祖父様同士の話し合いで決まった事なのだと聞かされたけど詳しい事情は知らない。
ただ、単純に両家の縁を結びたかったのかもしれない。
2人の息子のうち、どちらでも良さそうだった事からもそう思われる。
そして、本当に婚約は結ばれた。
私の意思など関係なく。だってその時の私はまだ8歳だった。
相手は10歳。
よく分からず言われるがまま結ばれた婚約──
その結果が“コレ”なのだ。
「──セラフィーネ、申し訳ないけど君との婚約を破棄したい」
そう言って私の目の前で頭を下げる男性。
名前はマルク・クレシャス。
遺言で決まった私の婚約者。
クレシャス侯爵家の息子2人のうちの弟だ。
侯爵家の嫡男である兄ではなく、我がラグズベルク伯爵家の跡を継ぐために、弟である彼が婿入りする方が良かろうという結論で決められた婚約者。
かれこれ、婚約してもう10年になろうかというところ。
そろそろ、結婚式の日取りを確定して──といった話が出始めた矢先の事だった。
セラフィーネに大事な話がある、という先触れを受けてお父様と私で待っているとやって来たのは、クレシャス侯爵と2人の息子だった。
応接間に案内し腰を降ろした後、マルク様の開口一番の言葉がこれだ。
「顔を上げてくださいな、マルク様」
「いや、だが……しかし」
「このままでは、話も出来ません。ちゃんと説明してくださいませ」
私がそう口にすると、渋々彼は顔を上げて事の経緯を語り出す。
────まぁ、説明されなくても知ってますけどね?
私はそう思ったけれど、それは心の中にだけで留めておく。
「僕は運命の人と出会ってしまったんだ!! もう彼女以外を愛する事なんて出来ない!!」
────えぇ。そうでしょうね。だってそれ“運命の恋”なんでしょう?
「君は悪くないんだ! セラフィーネの事は好きだよ。でも、それは恋では無かったんだよ。僕は彼女に会って運命の恋に落ちたんだ!」
あぁ、やっぱり“運命の恋”なのね。
そう語る、婚約者を私は静かに見つめる。
別に、私はこの人に恋をしていたわけではない。
それはマルク様も同じだ。そんな事はこうなる前から知っていた。
それでも、お互いが将来の伴侶となる相手なのだと理解し10年も婚約者として過ごして来た。
燃えるような愛情なんか無くても、うまくやっていけると思ってたのに。
だけど、そんなものは、“運命の恋”の前ではあっけなく壊れるものらしい。
────こうなる事は知っていたわ。 “彼女”が現れ、私が記憶を取り戻した時から。
「私達も説得したんだが、息子の意思が固く……こんな事になってしまい申し訳ない」
マルク様の父親である侯爵が、申し訳なさそうに口を開く。
その言葉を受けて、今まで沈黙を続けていた私のお父様もようやく口を開いた。
「娘、セラフィーネはもう18歳。今から婚約者を新たに探せと?」
「本当に申し訳ない……」
「それに、お互いの前当主の遺言だってある」
「……」
我が、ラグズベルク伯爵家とクレシャス侯爵家の婚姻に関する遺言は、私のお祖父様だけの遺言ではない。もちろんクレシャス侯爵家にも同じ遺言が残されているのだ。
「……もう、いいではないですか、お父様。お祖父様の遺言に添えられないのはとても心苦しいですが、こうなった以上は、私とマルク様の婚約は続けられません」
「しかし、セラフィーネ……」
私がそう窘めてもお父様は、納得いかない顔をしている。
それもそのはず。突然の婚約破棄の申し出により、娘である私の将来、お祖父様の遺言など考えなければいけない事がたくさんだ。
「お祖父様もこればっかりは仕方が無いときっと許してくださいますわ! 私もお祖父様のお墓の前で謝りますから、ね?」
「セラフィーネ、ならばお前の結婚はどうする? 10年もマルク殿の婚約者だったお前が、今更新しい相手を探すのは難しすぎる」
なかなかお父様は折れてくれない。
別に構わないのに。私は結婚に何の憧れも想いも抱いていないのよ。
しなくて済むならそれで構わないの。
だからこそ、1人で生きていく準備は始めてたのだから。
「そんなもの、どうにでもなりますわ。私は別に生涯1人でもーー……」
「心配は無用。セラフィーネは僕と結婚すればいい。それで全ての問題は解決するんじゃないかな?」
突然、それまで一言も言葉を発する事の無かった人が口を開き割り込んできた。
「……何を仰っているのですか? ーーレグラス様」
レグラス・クレシャス。
彼はクレシャス侯爵家の嫡男、すなわちマルク様の兄である。
実は、なぜ彼が本日この場にいるのか私には最初からよく分からなかった。
だから、敢えて挨拶以外では声もかけなかったのに!
「何って、簡単な話だよ。君と僕が婚約し、結婚すれば祖父の遺言も遂行出来るし、今後の君の嫁ぎ先の心配もなくなる。全て解決出来るよ」
「いえ、お待ち下さい! レグラス様には婚約者がいらっしゃったはずでは?」
「その情報は古いね。今、僕に婚約者はいないよ。だから、この提案には何の問題もない」
「!?」
そうニッコリ笑って言い切るレグラス様からは、有無を言わせない圧力を感じる。
「──これで良いよね? 父上もマルクも……ラグズベルク伯爵も」
誰も反論する者はいなかった。
お父様なんて願ってもない事だって顔をして大きく頷いている。
お祖父様の遺言も私の嫁ぎ先の心配も一気に解決出来る提案だから当然の反応ではあるのだけど、ちょっと待って!!
「皆、賛成みたいだね。後は君が頷くだけだ……どうかなセラフィーネ?」
────どうしてこうなったの!?
おかしい。こんな展開は私の知っている筋書きとは違うわ。
婚約破棄までは順調だったのにどうしてなの??
私は婚約破棄された後はそのまま自由に生きようと……思ってた、のに。
そりゃ、お祖父様達の遺言に関しては申し訳なく思うけど。
マルク様に婚約破棄された後の私は、もうこの世界にとっては不要な存在。
ならもう自由に生きてもいいはずなのに。
なのに、どうして。
どうしてよりにもよってあなたが……
だってあなたは私の事が嫌いで……
そして、何よりあなただってこれから“運命の恋”に落ちるはずの人なのよ?
つまり、ゆくゆくはマルク様と同じ事になるんじゃないの?
さすがに、いくら何でも婚約破棄されると分かった上で婚約するのは御免だ。
目の前でニッコリ笑うレグラス様を前に私は何も答える事が出来ず、
あぁ、そういえばここ最近は、ほぼ毎日この人のこんな顔ばかり見ていたな……
と、1人頭を抱えながら、最近のこの人の謎の多い行動を思い返していた。
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