24 / 34
24. 失ったもの
しおりを挟むなんとなく覚えているのはとにかく“苦しかった”こと。
同時に“こんなにも辛い思いをしていたんだ”という気持ち。
“それ”は想像していたよりも酷くて、すぐに“死”の恐怖を感じた。
こんなにも分かりやすく削られていく命───どんな思いで毎日を過ごしていたの?
ずっとずっとこの辛さに耐えて恐怖と闘っていたのかと思ったら胸が痛んだ。
───そんな朧気な記憶だけを持って目が覚めた私は、びっくりするくらい豪華な部屋にいた。
「……?」
ガバッと起き上がって部屋の中を見回す。
とにかく広い部屋だった。
豪華な家具に高そうな絵画や花瓶。床にはふわふわしていそうな絨毯。
何より、このベッドの寝心地も最高。
───で、ここはどこ?
まず、最初にそう思った。
けれど、すぐに“自分”のことすらも分からず私は誰? と思った。
(なにこれ……何にも分からない……)
えーー? これは、どういうこと?
自分がどこの誰でここで何をしているのか思い出せない。
そんな軽いパニックに陥っていたら、部屋のドアが開いて男性が二人並んで入って来た。
なんだか深刻そうな顔で話している。
そして、そのうちの一人は起き上がっている“私”の姿を見るなり、ハッとしてベッドへと駆け寄って来た。
「───マーゴット!!」
マーゴット?
それが、私の名前?
分からない……
「良かった……目が覚めたんだな? 無事でよかった……!」
「……」
「どこか、苦しいとか痛いところはないか?」
ぼんやりした記憶の中では“苦しかった”けれど、今はそんなことはないので首を横に振る。
「そうか、本当に良かった……このまま、目を覚まさないのではないかと……! ナイジェル殿もまだ、目を覚ましていないがお前のおかげで大丈夫そうだ。安心するといい」
「……」
ナイジェル殿?
その名前に胸の奥が疼いた気がした。
けれど、“マーゴット”同様に誰のことかは分からない。
「……? マーゴット、どうした? どこか苦しいのか?」
「……」
さすがに私の反応が無さすぎて目の前の男性が不安そうな表情になる。
その人に手を握られたら、何だかあたたかい物が身体の中に流れ込んで来てすごく心地良かった。
「……マーゴット」
もう一人の男性も私のそばにやって来てそう呼んだ。
なので、“マーゴット”は間違いなく私の名前らしいことが分かる。
これ以上黙っているのも良くないので、私はようやく口を開いた。
「───ごめんなさい。何も覚えていないんです。“マーゴット”というのは私の名前で合っていますか?」
「なっ!?」
「なに……」
そう口にした瞬間の二人の男性の絶望した表情は、今も忘れられない。
何が何だか分からない私のために、二人の男性はゆっくり説明をしてくれた。
そしてやはり、私の名は“マーゴット”だった。
私はどうやら記憶を失っているらしい。
「君は私の娘、名前はマーゴットだ」
「娘……」
なるほど!
最初に心配そうに駆け寄って来たのは父親だったからなのね、と納得。
では、こちらの父親と同年代の男性は誰?
そう思って視線を向けると目が合った。
「私はマーゴットの義理の父にあたる」
「……義父、ですか?」
「君は……私の息子の妻……なのだ」
「……つ!」
私、まさかの人妻だった!?
更なる説明によると私は伯爵家の娘で嫁ぎ先はなんと公爵家だという。
「そ、そうでしたか……えっと、それでは私の“旦那様”はどこに?」
(……どうしてかしら?)
“旦那様”という響きに不思議な感覚がする。
なんだか呼び慣れていない、そんな気持ち───……
「……?」
そんな父親と義父の二人は私の質問に気まずそうに顔を見合わせた。
そこで私はピンッと来た。
「なるほど……わ、分かりました……!」
「え?」
「何をだ?」
気まずそうな表情を浮かべていた二人が今度は不思議そうな顔をする。
「私の夫は名ばかりの夫! 浮気をしていて愛人の元に入り浸っているのですね?」
「「は?」」
二人の声が綺麗にハモった。
「あ、もしかして愛人は一人ではない? もしや、旦那様は複数人の女性を囲っていやいや娶ったであろう妻の私を蔑ろにしていた? そして跡取りの子供も私とではなく、愛人との間に儲けた子供を養子にしようと企んで…………それで私はそんな生活が辛くて耐えられずに…………」
不思議なくらいスラスラと頭の中から言葉が出て来た。
これは……間違いない。
きっと遂に夫の浮気三昧に耐えられなくなった私は記憶を失っ……
「阿呆! 落ち着け、マーゴットーーーー!」
「は、はい!?」
父親が真っ赤な顔をして止めに入る。かなりお怒りだ。
「いいか? 今お前が垂れ流した妄想は、お前が昔から好きな物語の話だ! も・の・が・た・り!」
「も、物語?」
「そうだ。何故か知らんがお前は昔からドロドロした愛と陰謀が渦巻く物語が好きで……完結するまで実家ではこれでもかと読み耽っていた!」
「ええ!?」
どうやら違った。
私は耐え忍ぶ妻ではなかったらしい。
「……そんな趣味を隠し持っていたのか…………コホンッ、マーゴット。君は私の息子を助けてくれたのだ」
「……助ける?」
「そして、おそらくその代償で君は記憶を失ったに違いない」
「代償……?」
それは、先程の妄想とは別の意味でおどろおどろしい言葉に聞こえた。
「記憶を失くす前の君が話してくれたことによると、“代償”は下手をすれば命の危険にも関わるかもしれないとのことだったが……まさか、記憶を持っていかれるとは」
「……」
これはつまり、私が夫を助けるために、何かをしてその代償に記憶を失くした……ということ?
そう首を捻る私に二人はゆっくり事の説明をしてくれた。
間違えてしまったという求婚から、私が記憶を失うまで────
───────
───……
(幸い、夫は無事だったと聞いたわ)
義父は涙を流しながら何度も何度も私と父親に向かって頭を下げていた。
そして、これからの“私”をどうするか……を話し合った結果、記憶を失う前の私の気持ちを汲んでくれて、義父の紹介でこの治療施設でお世話になることが決まったわけだけど。
私は目の前に現れた男性を見ながら思った。
───この男性は私の“夫”だわ。
確か、名前は“ナイジェル”
私の心と身体がそう言っている。
(……それにめちゃくちゃ好みの顔だもの! 結婚……しちゃうの分かる!)
そんな“夫”は、長いこと伏せっていた影響なのか憔悴している様子が見て取れた。
病み上がりの身体でどうしてここに?
治療を受けるなら、こんな王都からも離れた小さな治療施設に来るはずがない身分の人のはず。
(……って、確か“私”は離縁届けにサインして置いてきたって話だったわよね?)
ということは、元夫になるの?
でも、義父や父親は、彼とはもう会うことはないだろうって言っていた。
元気になったのなら彼が“本当に好きな人”と結ばれることを私は願っていたからって。
なのに、なぜ?
そんなことを頭の中でぐるぐる考えていたら、夫? 元夫? が口を開く。
この短時間で状況を理解して受け入れたのか、彼の私を見るその目にはもう動揺はなかった。
そして、困ったことにその瞳を見ていたら胸がドキドキした。
「……突然、押しかけて申し訳ございません。自分の名前はナイジェル・フィルポットと言います」
丁寧にお辞儀をしながら彼は私に向かってそう自己紹介した後、顔を上げて言った。
「どうしてもあなたに会いたくて……ずっと探していて……今日ここに辿り着きました」
「……え! 探し……?」
やっぱり聞いていた話と違うじゃない! と、思った。
300
あなたにおすすめの小説
手作りお菓子をゴミ箱に捨てられた私は、自棄を起こしてとんでもない相手と婚約したのですが、私も含めたみんな変になっていたようです
珠宮さくら
恋愛
アンゼリカ・クリットの生まれた国には、不思議な習慣があった。だから、アンゼリカは必死になって頑張って馴染もうとした。
でも、アンゼリカではそれが難しすぎた。それでも、頑張り続けた結果、みんなに喜ばれる才能を開花させたはずなのにどうにもおかしな方向に突き進むことになった。
加えて好きになった人が最低野郎だとわかり、自棄を起こして婚約した子息も最低だったりとアンゼリカの周りは、最悪が溢れていたようだ。
【完結】想い人がいるはずの王太子殿下に求婚されまして ~不憫な王子と勘違い令嬢が幸せになるまで~
Rohdea
恋愛
──私は、私ではない“想い人”がいるはずの王太子殿下に求婚されました。
昔からどうにもこうにも男運の悪い侯爵令嬢のアンジェリカ。
縁談が流れた事は一度や二度では無い。
そんなアンジェリカ、実はずっとこの国の王太子殿下に片想いをしていた。
しかし、殿下の婚約の噂が流れ始めた事であっけなく失恋し、他国への留学を決意する。
しかし、留学期間を終えて帰国してみれば、当の王子様は未だに婚約者がいないという。
帰国後の再会により再び溢れそうになる恋心。
けれど、殿下にはとても大事に思っている“天使”がいるらしい。
更に追い打ちをかけるように、殿下と他国の王女との政略結婚の噂まで世間に流れ始める。
今度こそ諦めよう……そう決めたのに……
「私の天使は君だったらしい」
想い人の“天使”がいるくせに。婚約予定の王女様がいるくせに。
王太子殿下は何故かアンジェリカに求婚して来て───
★★★
『美人な姉と間違って求婚されまして ~望まれない花嫁が愛されて幸せになるまで~』
に、出て来た不憫な王太子殿下の話になります!
(リクエストくれた方、ありがとうございました)
未読の方は一読された方が、殿下の不憫さがより伝わるような気がしています……
『婚約なんて予定にないんですが!? 転生モブの私に公爵様が迫ってくる』
ヤオサカ
恋愛
この物語は完結しました。
現代で過労死した原田あかりは、愛読していた恋愛小説の世界に転生し、主人公の美しい姉を引き立てる“妹モブ”ティナ・ミルフォードとして生まれ変わる。今度こそ静かに暮らそうと決めた彼女だったが、絵の才能が公爵家嫡男ジークハルトの目に留まり、婚約を申し込まれてしまう。のんびり人生を望むティナと、穏やかに心を寄せるジーク――絵と愛が織りなす、やがて幸せな結婚へとつながる転生ラブストーリー。
【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく
たまこ
恋愛
10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。
多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。
もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。
結婚5年目の仮面夫婦ですが、そろそろ限界のようです!?
宮永レン
恋愛
没落したアルブレヒト伯爵家を援助すると声をかけてきたのは、成り上がり貴族と呼ばれるヴィルジール・シリングス子爵。援助の条件とは一人娘のミネットを妻にすること。
ミネットは形だけの結婚を申し出るが、ヴィルジールからは仕事に支障が出ると困るので外では仲の良い夫婦を演じてほしいと告げられる。
仮面夫婦としての生活を続けるうちに二人の心には変化が生まれるが……
せめて、淑女らしく~お飾りの妻だと思っていました
藍田ひびき
恋愛
「最初に言っておく。俺の愛を求めるようなことはしないで欲しい」
リュシエンヌは婚約者のオーバン・ルヴェリエ伯爵からそう告げられる。不本意であっても傷物令嬢であるリュシエンヌには、もう後はない。
「お飾りの妻でも構わないわ。淑女らしく務めてみせましょう」
そうしてオーバンへ嫁いだリュシエンヌは正妻としての務めを精力的にこなし、徐々に夫の態度も軟化していく。しかしそこにオーバンと第三王女が恋仲であるという噂を聞かされて……?
※ なろうにも投稿しています。
【完結済】政略結婚予定の婚約者同士である私たちの間に、愛なんてあるはずがありません!……よね?
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
「どうせ互いに望まぬ政略結婚だ。結婚までは好きな男のことを自由に想い続けていればいい」「……あらそう。分かったわ」婚約が決まって以来初めて会った王立学園の入学式の日、私グレース・エイヴリー侯爵令嬢の婚約者となったレイモンド・ベイツ公爵令息は軽く笑ってあっさりとそう言った。仲良くやっていきたい気持ちはあったけど、なぜだか私は昔からレイモンドには嫌われていた。
そっちがそのつもりならまぁ仕方ない、と割り切る私。だけど学園生活を過ごすうちに少しずつ二人の関係が変わりはじめ……
※※ファンタジーなご都合主義の世界観でお送りする学園もののお話です。史実に照らし合わせたりすると「??」となりますので、どうぞ広い心でお読みくださいませ。
※※大したざまぁはない予定です。気持ちがすれ違ってしまっている二人のラブストーリーです。
※この作品は小説家になろうにも投稿しています。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる