【完結】婚約発表前日、貧乏国王女の私はお飾りの妃を求められていたと知りまして

Rohdea

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59. ナターシャ、前途多難

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「あっぷぁあ~……」

 馬車に乗り込む寸前までジョシュア・ギルモアの名を呼んでいたナターシャ。
 今日のギルモア家へのお泊まりの付き添いはエドゥアルトとレティーシャさん。
 私とエリオットは留守番────……
 しかし、こんな面白そうな…………コホンッ、これからの孫娘にとって重大な場面を見逃すなんてことを私には出来ない。
 馬車が出発したのを見送った後、私は邸の中に駆け込んだ。

「ナンシー!  懐かしの私用のカツラはどこ!?」
「はい、奥様!  こちらです。地味で目立たない……でも可愛いくてキュートなメイド風だったカツラを今回はベテラン使用人風にアレンジしてご用意させていただきました!」

 ナンシーが待ってましたと言わんばかりにカツラを持って飛んで来た。
 私はふふっと笑う。

「さすが、ナンシー。分かってるじゃない」
「はい、奥様にお仕えしてもう何十年と経ちますからね!」
「そうね」

 何十年……もうそんなに経つのかと感慨深く思う。

「奥様やギルモア侯爵夫人を見ていますとあまりの変わり無さに───まるで時が止まったかのような錯覚を覚えますけども」
「ほっほっほ!  全ては努力の賜物よ」

 ナンシーがカツラを手にしながら微笑んだ。

「奥様が変装して尾行する計画も懐かしいですね」

 私はカツラを受け取って被る。
 そして今回のために用意させた“ベテラン使用人風”の服を着ながら昔を思い出す。

「確かに懐かしいわねぇ、ギルモア家に訪問するエドゥアルト(10)を尾行したあの日……」

 メイドに変装したもののうっかり鈴を鳴らしたことで尾行がバレただけでなく、
 皺、顔の皺をエドゥアルトに指摘されたことは今でも忘れていない。

「旦那様は坊っちゃまに地味だと言われたんでしたっけ?」
「ええ」

 眼鏡をかけただけの変装をしたエリオット。
 今日も私と違ってエリオットは眼鏡をかけるだけの簡易な変装予定。
 本当に懐かしい。

「ウェンディ?  準備は終えたのか?」

 そんなことを考えていたら、ちょうど支度を終えたエリオットが戻って来た。

「エリオット……」

 眼鏡姿のエリオット。
 年齢を重ねたためか、あの頃よりも渋みが増している。

「ほっほっほ!  眼鏡ってアイテムは恐ろしいわね」
「そうか?」
「!」

 エリオットはクイッと眼鏡を押し上げた。
 その仕草に鼻血を吹き出しそうになってしまい慌てて鼻を押さえた。

「ん?  どうした?  ウェンディ?」
「~~~~っ」

(む、昔も今もいい男……!)

「っっっ!  よ、用意が出来たなら!  さ、さっさと行くわよ!!」
「お、おぉう?」

 私はエリオットを無理やり引きずる。

(なんてこと───頬が熱い……)

 ズルズル……
 私の騎士エリオットは何十年経っていても孫が出来ていても格好良いままだった。




「さて、着いたわね。ギルモア家」
「──なぁ、ウェンディ」
「なにかしら?」
「今更だが、何もコソコソしなくても普通に正々堂々とナターシャの様子を見守ればいいんじゃないのか?」
「……」

 そう口にするエリオットをじろっと睨む。

「いいえ、こうして隠れてこそこそ様子を見ることにこそ意味があるの」
「そうなのか?」

 私は頷く。

「安心して。今回もギルモア家の全面協力の元、使用人に溶け込んでみせるわよ!」
「……今回“も”?」
「───何か言った?」

 私がもう一度睨むとエリオットはにこやかに首を横に振った。
 これで、打倒・ジョシュアを掲げるナターシャの様子を堂々と覗き見する準備は整った。


 そんなナターシャのワクワクドキドキお泊まり体験はちょうどお昼からスタート。
 この時間からスタートなのは、ギルモア家のちょっとした特性が絡んでいる。

「あうあ~、あうあ、あうあ~」

 ギルモア家の屋敷内に侵入した私とエリオットは、廊下でコソっとドアの隙間から部屋をのぞき込む。
 ちょうど、部屋ではニパッと笑ったジョシュア・ギルモアが父親であるジョエルの頬をペチペチ叩いている所だった。

「あうあ~、あうあ~」

 ペチペチペチペチ……

「あ……あっぷぁあぁぁ?」

 ナターシャはその光景をエドゥアルトの膝の上で目をまん丸にして凝視している。

「はっはっは!  ジョシュア。ジョエルの様子はどうだ?  そろそろ覚醒しそうか?」
「あうあ~」

 エドゥアルトの言葉にジョシュア・ギルモアがニパッと笑う。
 その間も手は一切休めず、ずっとひたすら父親の頬をペチペチしている。

「ふむ。今日のおとーさまは頑固です?  そうなのか……ジョエル」

 エドゥアルトが労りの目で息子にペチペチされている親友ジョエルを見た。

「あうあ~」
「大変ですがこれがボクのお役目なので頑張るです~か、君は偉いな、ジョシュア!」
「あうあ~!」

 ニパッと嬉しそうに笑うジョシュア・ギルモア。

(……これは喜怒哀楽でいえば、喜?)

 そんなニパッと笑うジョシュア・ギルモアを見ながらナターシャの顔色が悪くなっていく。

「う、うあっぷぁあ……」
「ん?  どうした、ナターシャ?」

 青ざめて震え声を発するナターシャにエドゥアルトが顔を覗き込む。
 すると、ナターシャは満面の笑みで父親の頬をペチペチしているジョシュアを静かに指さした。

「うあ、うあうあうあ……」
「ん?  ああ。ジョシュアが何をしてるのかって?  あれは朝ですよ~と父親のジョエルを叩き起こしているんだ」
「あ!?」

 ナターシャが慌てて時計を見た。
 そんな愛娘の慌てた様子にエドゥアルトがフッと笑う。

「ギルモア家の人間は朝に弱いんだ。だいたいお昼くらいまでは毎日こうして置物状態となる」
「お!?」

 ギョッとするナターシャ。
 しかし、エドゥアルトはそんなナターシャの様子には気付かずに説明を続ける。

「ガーネット様やセアラ夫人は自然に目を覚ますのを待つんだが、ジョシュアはせっかちでな。早く起きて遊んで貰いたいばっかりに頬を叩いて起こすようになったらしいぞ」
「あうあ~~」

 エドゥアルトが説明している最中も、満面の笑みを浮かべたジョシュア・ギルモアが父親の頬をペチペチ叩く。
 いや、むしろ、ペチペチという音がベチンベチンに変わりつつある。

「あうあ~」

(なんて幸せそうな顔……)

「……ウェンディ。初めて見たが、あれ……目が覚めた時、ジョエル・ギルモアは怒らないのか?  すでに頬がパンパンだが?」
「怒らないそうよ。むしろ起こしてくれてありがとうってお礼を言うらしいわよ」
「お礼……!」

 驚いたエリオットの眼鏡がズレた。

「み、見ろ。ナターシャが怯えてるじゃないか」

 エリオットがズレた眼鏡を直しながらナターシャを指さす。
 確かに我らのお姫様は絶句している。

「まあ、あんな無邪気な笑顔で容赦なく父親をペチペチしている姿は怖いわよねぇ」
「まさに微笑みの悪魔……」

 なんて二人でコソコソ話している時だった。

「…………ぅぁっ!!」

 ジョシュア・ギルモアの影でもう一人のベビーの影が動いた。
 同時にバッチーンと部屋に響く強烈なビンタの音。

「ウ、ウェンディ……今のは……」
「ほっほっほ……あれは───アイラ・ギルモアによる侯爵……ジョルジュ・ギルモアを叩き起こす音のようね」

 どうやら祖父を起こす担当は妹のアイラの方らしい。

「……見ろ。今のでナターシャが完全に固まったぞ」
「そうね……目は大きく見開いて口もポカンと開けたままで完全に動かなくなったわねぇ」 
「まだ、お邪魔して数分だろう?  こんな様子で打倒・ジョシュアは上手くいくのか?」
「ほっほっほ……」

 私が苦笑いしたその時だった。
 この光景にはすっかり慣れた様子のエドゥアルトが恐怖で石化中のナターシャに笑いながら言った。

「はっはっは!  今日もギルモア家のベビーたちは元気だな」
「……」
「いいかナターシャ。近い将来、ジョシュアやアイラもこうして置物になる時が来るかもしれん」
「……」

 ピクッとナターシャが少し反応を示す。

「これは抗えぬギルモア家の習性のようだから、その時はナターシャ、君が理解を示してジョシュアたちをサポートをしてあげ……」
「───あっぷぁあ……ああっう、あうああっぷぁあううあっあーあ!  うあったぁぁ~~!!」
「ナ、ナターシャ!?」

 石化が解けて突然、目の色を変えて手足をパタパタさせて興奮し始めたナターシャ。
 特に手が……手の動きがブンブンと激しい。

(……気のせいかしら?)

 ────ジョシュア……つまり、合法的にジョシュアを殴っても許されーる!  やってやりますわぁぁ~~!!

 って興奮してジョシュアを殴る練習をしているように私には見える。

(気のせい……よね?)

「はっはっは!  何を言っているかはよく分からんが、これはサポートは任せておけと言っているんだな?」
「うあっあたあっぁぁあ~」
「はっはっは!  元気でいい笑顔だぞ、ナターシャ!  その天使のような笑顔でこれからもジョシュアたちを頼むぞ!」

(……天使?)

 エドゥアルトの目にはどう見えているの?
 手をブンブンしながら興奮し始めたナターシャの顔はとても天使とは程遠かった。



「あうあ~!」
「……」

 そうしているうちにペチペチ……いや、ベチンベチンされていたジョエル・ギルモアが覚醒。

「はっはっは!  ジョエル、おはよう!」
「……」
「あうあ~!」
「……」

 薄ら目を開けたジョエルは息子と親友の顔を交互に見る。
 しかし、パンパンに腫れている自分の頬を気にする様子はない。

「ジョエル!  さすが君の息子だ!  容赦のないペチペチだったぞ」
「……」

 ジョエル・ギルモアはエドゥアルトにそう言われた後、息子……ジョシュアの顔をじっと見る。

「あうあ~!」

 ニパッ!
 すると、ジョエル・ギルモアはジョシュア・ギルモアの頭を優しく撫でた。

「……」
「あうあ~~!」

 ニパッ!
 そんな二人を見ながらエドゥアルトはナターシャに言う。

「───いいか、ナターシャ。今のジョエルに撫でられて嬉しそうに笑ったジョシュアの“あうあ”が喜怒哀楽のうちの“喜のあうあ”だ!」
「!」
「どうだ?  これまでの“あうあ”とは違って分かりやすかっただろう?」
「あばばばば!?」

 さっぱり違いが分からなかったナターシャは変な声を上げて涙目になっていた。
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