6 / 67
6. 知らなかった
しおりを挟む─────
ズルズル……
「────ゲホッ、ゴホッ……あ、あの殿下……」
「なぁに?」
ズルズルズル……
「お、俺はなぜ引き摺られ……」
「ねぇ、エリオット。あなた少し重くなった? 前より引き摺りにくいのだけど?」
ズルズルズルズル……
「成長するのは仕方ないけれど、適度なところで止めてくれると助かるわ」
「ケホッ! む、無茶なこと言わないでください! それより───な、なぜ俺は今、引きず……」
「は? 聞いていなかったの? 街に行くから着いてらっしゃいと言ったでしょう?」
「……」
私は今、王宮内でエリオットをズリズリ引き摺りながら馬車まで向かっているところ。
周囲からの視線は、またか。
この光景にもはや驚く人もいない。
「い……いえ、突然殿下が部屋に乗り込んで来て“行くわよ!”としか……聞いていません」
「ふーん、気のせいじゃない?」
「……」
ズルズルズルズルズル……
「フンフン、フフフンフン~♪」
「ご、ご機嫌ですね…………ケホッ」
「そうね! フンフフ~ン♪」
「…………音、外れてますよ?」
エリオットが何か文句を言っている気がするけれど、今日に限っては怒らないし気にしない。
鼻歌だってバンバン歌っちゃうわ!
────だって、今日の私はすっごく機嫌がいいから。
「ぐっ、やってることはいつも通りなのに、その機嫌の良さはなんなんですか……」
「!」
ピタッと足を止めて振り返った私はエリオットの顔を見る。
「……私、知らなかったの」
「はい?」
ふふっとエリオットに向かって微笑む。
「焼きたてのパン……あんなにフワフワだったなんて知らなかった」
「……はい?」
「分かる? 口に入れた瞬間、ゴリッて音がしなかったのよ!?」
「……」
「それからお茶も。ほら! 元々茶葉をケチってうっすい味のところを、私の分は更にお父様とお母様、お兄様の為に抽出した残りの茶葉で出されるのが普通だったから……」
「……」
「あんなにもお茶に味があるというのが信じられなくて!」
「…………殿下」
何故かエリオットがそのまま黙り込む。
なんで静かになったのかよく分からないけど、今のうちに引き摺ってしまおう!
私はズリズリを再開する。
今度はエリオットも静かに引き摺られてくれていた。
────お兄様の婚約者となったガーネット嬢と話をして数日後。
私の話を真剣に聞いてくれた彼女の行動は素早かった。
即、調査が開始され、王宮内の人員不足の所に侯爵家の人間を派遣するという手続きを取ってくれた。
厨房もその内の一つ。
『オーホッホッホ! 将来この私が住むことになる王宮料理があんなにも不味いなんて、冗談ではすまなくってよ!』
そう高笑いしていたガーネット嬢の料理人の派遣により、これまでとは違う“美味しい”料理が並ぶようになった───
「ほっほっほ! そういうことだから、今日は嬉しくて買い物したい気分なの!」
「買い物……これまで殿下に付き合って何度も街には連れら……コホン、行きましたが“買い物”するのは初めてですよね?」
エリオットが小さく呟く。
「そうよー! 基本、無駄遣いなんて出来なかったから仕方がないわよね」
「……殿下はいつもお店の商品を眺めたり、店主と話をしたりするだけでした」
「あら、だって街のことも民のことも実際に行って触れてみないと! 人伝で聞いた話からじゃ何も分からないでしょ?」
「……」
「王族が貧乏なせいで国民たちまで苦しい思いをさせるのは本意ではないもの」
作物は順調に育って売ることが出来ているか、何か困っていることはないか。
数字だけなら王宮にいても情報は手に入る。
でも、実際に街に出てみて並んでいる商品や民の顔を見た方が分かることも多い。
「でも、今回はガーネット嬢のおかげで少しだけ私の懐に余裕が出来そうだから、買い物というのをしてみたいのよ!」
「……殿下」
「お兄様って昔から何もしない……というか余計なことしかしないけど、初めていいことをしてくれたわ!」
「……ですが、視察ではなく欲しい物を買うだけなら、街のものは安物もありますし、わざわざご自分の足で出向かなくとも商会の人間を城に呼べば…………うぐっ!?」
私は少し強めにエリオットを引っ張る。
エリオットが少し苦しそうな声を上げた。
「……分かってないわねぇ? 商会の人間なんて呼んだら彼らが売りたい物しか持って来ないでしょ?」
「……」
「私は自分の足でお店に出向いて、この目で見てこれだ! って思った物を買ってみたいのよ。値段なんて関係ないの」
「これだ?」
「そうよ。だって……」
私はそこでまた足を止めて黙り込む。
(きっと、もう街で買い物をするなんてこと出来ないだろうから)
ファネンデルト王国に嫁いだ後は、お金こそあるだろうけど私にそんな自由があるとは思えない。
それこそ、王家のお抱えの商会の人間が毎回お城にやって来ることだろう。
これまでとは違って美味しい物を食べられて、高級な生地で作られたドレスを着て、ふかふかのベッドで眠って……
「……」
これまでの生活を思えば、それはとても幸せなことのはずなのに、想像してみても全然心が弾まない。
むしろ、なぜか胸がキュッと苦しくなる。
「殿下?」
「……なんでもないわ。さぁて、何を買おうかしらね!」
たとえ心が弾まなくても、私の結婚───これはもう決まったこと。
憂いを振り切って私は再び歩き出す。
「お願いですから変な物を選ぶのはやめてくださいよ?」
「ほっほっほ! 今日の私は機嫌がいいからあなたにも何か買ってあげてもよくってよ?」
「…………遠慮します」
「そう? せっかくのチャンスを逃すなんてつまらない男ね。こんなこと最初で最後かもしれなくってよ?」
「……優しい殿下が余計に不気味で不安です」
「言うわねぇ……」
私はじろっとエリオットを睨んでおいた。
(おバカさんね……きっとこんなことは本当に最初で最後なのに)
エリオットは私の護衛騎士を辞めたくない、そう言ってくれた。
(でもね? 色々考えたけど……)
やっぱり私はあなたをファネンデルトに連れていくつもりはないのだから────
「エリオット! 見て、あれ美味しそうよ!」
「あ、待ってください、でん…………んぐっ!?」
無事に街に到着。
立ち並ぶお店を見ながら、あれもこれもとはしゃいでいたらエリオットが私のことを“殿下”と呼ぼうとした。
私は慌ててエリオットの口を塞ぐ。
「モゴっモゴモゴモゴモゴ!」
「お黙り! あなたバカなの? ここでは呼び方には気を付けなさい!」
「モゴ! モゴモゴモゴ……」
「では、なんてお呼びすれば? そんなの考えなくても分かるでしょ? ウェンディ一択よ」
「!?」
クワッと目を大きく見開いたエリオット。
ブンブンブンと強く首を横に振る。
「嫌がってる場合じゃなくってよ! さあ、呼んでごらんなさい?」
私はエリオットの口からパッと手を離す。
そしてにっこり笑顔で待った。
「う……」
「う?」
「うぇ……」
「うぇ?」
「……っっ」
エリオットはモジモジしてなかなか進まない。
しかも、頬がほんのり赤い。
エリオットがこんな顔を見せるのはとても珍しいこと。
何だか段々楽しくなってくる。
「さあさあさあ! 続きは?」
「う……」
「もう! なんで振り出しに戻っているのよ!」
「~~~っっ」
私から目を逸らしながら、頬を赤く染めて口元を押さえながらプルプル震えるエリオット。
可愛い!
こんな可愛い一面もあったなんて! 大発見!
「せ、せめて“様”だけでも……」
「ええ? ダメよ~~」
私はわざと、ほっほっほ、と笑う。
「う、うぇん……」
「……泣いてるの?」
「違いますっっ! うー……ウェン……デ……」
「そうそうそう、その調子よ!」
「くっ! ─────ウェンディ!!」
エリオットがやけ気味に叫んだ。
「ほっほっほ! 言えたじゃない?」
「~~~っっ! い、いいから、行きますよ! あ、あの店ですか? ウ…………ウェンディ!」
「!」
グイッとエリオットが私の手を取ってズンズンと歩き出す。
そんなエリオットの顔は耳まで真っ赤だったので、私は思わず笑がこぼれた。
590
あなたにおすすめの小説
ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件
ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。
スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。
しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。
一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。
「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。
これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。
愚か者が自滅するのを、近くで見ていただけですから
越智屋ノマ
恋愛
宮中舞踏会の最中、侯爵令嬢ルクレツィアは王太子グレゴリオから一方的に婚約破棄を宣告される。新たな婚約者は、平民出身で才女と名高い女官ピア・スミス。
新たな時代の象徴を気取る王太子夫妻の華やかな振る舞いは、やがて国中の不満を集め、王家は静かに綻び始めていく。
一方、表舞台から退いたはずのルクレツィアは、親友である王女アリアンヌと再会する。――崩れゆく王家を前に、それぞれの役割を選び取った『親友』たちの結末は?
私がいなくなっても構わないと言ったのは、あなたの方ですよ?
睡蓮
恋愛
セレスとクレイは婚約関係にあった。しかし、セレスよりも他の女性に目移りしてしまったクレイは、ためらうこともなくセレスの事を婚約破棄の上で追放してしまう。お前などいてもいなくても構わないと別れの言葉を告げたクレイであったものの、後に全く同じ言葉をセレスから返されることとなることを、彼は知らないままであった…。
※全6話完結です。
婚約破棄された地味伯爵令嬢は、隠れ錬金術師でした~追放された辺境でスローライフを始めたら、隣国の冷徹魔導公爵に溺愛されて最強です~
ふわふわ
恋愛
地味で目立たない伯爵令嬢・エルカミーノは、王太子カイロンとの政略婚約を強いられていた。
しかし、転生聖女ソルスティスに心を奪われたカイロンは、公開の舞踏会で婚約破棄を宣言。「地味でお前は不要!」と嘲笑う。
周囲から「悪役令嬢」の烙印を押され、辺境追放を言い渡されたエルカミーノ。
だが内心では「やったー! これで自由!」と大喜び。
実は彼女は前世の記憶を持つ天才錬金術師で、希少素材ゼロで最強ポーションを作れるチート級の才能を隠していたのだ。
追放先の辺境で、忠実なメイド・セシルと共に薬草園を開き、のんびりスローライフを始めるエルカミーノ。
作ったポーションが村人を救い、次第に評判が広がっていく。
そんな中、隣国から視察に来た冷徹で美麗な魔導公爵・ラクティスが、エルカミーノの才能に一目惚れ(?)。
「君の錬金術は国宝級だ。僕の国へ来ないか?」とスカウトし、腹黒ながらエルカミーノにだけ甘々溺愛モード全開に!
一方、王都ではソルスティスの聖魔法が効かず魔瘴病が流行。
エルカミーノのポーションなしでは国が危機に陥り、カイロンとソルスティスは後悔の渦へ……。
公開土下座、聖女の暴走と転生者バレ、国際的な陰謀……
さまざまな試練をラクティスの守護と溺愛で乗り越え、エルカミーノは大陸の救済者となり、幸せな結婚へ!
**婚約破棄ざまぁ×隠れチート錬金術×辺境スローライフ×冷徹公爵の甘々溺愛**
胸キュン&スカッと満載の異世界ファンタジー、全32話完結!
とある伯爵の憂鬱
如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。
赤毛の伯爵令嬢
もも野はち助
恋愛
【あらすじ】
幼少期、妹と同じ美しいプラチナブロンドだった伯爵令嬢のクレア。
しかし10歳頃から急に癖のある赤毛になってしまう。逆に美しいプラチナブロンドのまま自由奔放に育った妹ティアラは、その美貌で周囲を魅了していた。いつしかクレアの婚約者でもあるイアルでさえ、妹に好意を抱いている事を知ったクレアは、彼の為に婚約解消を考える様になる。そんな時、妹のもとに曰く付きの公爵から婚約を仄めかすような面会希望の話がやってくる。噂を鵜呑みにし嫌がる妹と、妹を公爵に面会させたくない両親から頼まれ、クレアが代理で公爵と面会する事になってしまったのだが……。
※1:本編17話+番外編4話。
※2:ざまぁは無し。ただし妹がイラッとさせる無自覚系KYキャラ。
※3:全体的にヒロインへのヘイト管理が皆無の作品なので、読まれる際は自己責任でお願い致します。
婚約破棄されたので辺境でスローライフします……のはずが、氷の公爵様の溺愛が止まりません!』
鍛高譚
恋愛
王都の華と称されながら、婚約者である第二王子から一方的に婚約破棄された公爵令嬢エリシア。
理由は――「君は完璧すぎて可愛げがない」。
失意……かと思いきや。
「……これで、やっと毎日お昼まで寝られますわ!」
即日荷造りし、誰も寄りつかない“氷霧の辺境”へ隠居を決める。
ところが、その地を治める“氷の公爵”アークライトは、王都では冷酷無比と恐れられる人物だった。
---
【完結】婚約破棄はいいのですが、平凡(?)な私を巻き込まないでください!
白キツネ
恋愛
実力主義であるクリスティア王国で、学園の卒業パーティーに中、突然第一王子である、アレン・クリスティアから婚約破棄を言い渡される。
婚約者ではないのに、です。
それに、いじめた記憶も一切ありません。
私にはちゃんと婚約者がいるんです。巻き込まないでください。
第一王子に何故か振られた女が、本来の婚約者と幸せになるお話。
カクヨムにも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる