50 / 53
10
しおりを挟む「……なんて、つまらないの」
愛らしい少女の声が、気怠げな言葉を呟いた。
アスタロトの腕の中からどうにか抜け出した私を、彼女は冷めた瞳で見つめている。
先程まで怯えていたシンシアさんが、まるで別人のように、堂々とした佇まいで腕を組んでいた。
「シンシア……?」
支えていた両手を邪険に払われたハミルトンが、シンシアさんの名前を呼んだ。
「気安く私に触れないで頂戴。……本当に、つまらないわ」
戸惑いながら、ハミルトンが気圧されたように後退る。
「ひとつまえは楽しかったのに。せっかく時間が戻ったのに、これじゃあ茶番じゃない」
「時間が戻った……」
シンシアさんの時間も、私と同じく戻ったのだろうか。
思わず呟くと、彼女は嘆息した。
「戻ったでしょう? あなたが死んでしまったから、お節介な父が、戻したでしょう?」
私は言い淀んだ。
未だそれをいうべきか否か、決めかねている。
「……リディスが死んだとは、どういう事だ、シンシア」
訝し気にラファエル様が問う。
「あぁ、そうよね。覚えていないわよね。前回のそこの女、リディス……とかいったかしら。そこの女は、私を差し置いて、女神とまで呼ばれていたから、その傲慢さを罰したの。婚約者を奪い、悪評をばらまくのは簡単だったわ。でも、ちょっとした問題がおきたのよ」
シンシアさんは、彼女をシンシアさんと呼んで良いのかわからないが、ともかく悲しげな溜息をつく。
前回の私の評判はシンシアさんの自作自演だったのだろうか。
最早確認する術はないが、それだけではないように思う。彼女に婚約者の方を奪われたように感じて悩んでいる方は沢山いたし、そういった方々がシンシアさんに悪意をぶつけてもおかしくはない状況だった。
シンシアさんと対立構造が出来てしまっていた筆頭が私だったので、私のせいだと思われても仕方なかったのかもしれない。
「リディスさんが……」と一言誰かが言えば、それは真実になってしまうだろう。
「……王立学園で私を虐げた罪で、そこにいる男に糾弾させたまでは良かった。娼館に送り込んだ後に、そこの男は秘密裏にリディスを囲い込むつもりだったようだから、歪んだ欲望のはけ口にされて泣き叫ぶのも良い罰だと思っていたのに。事態を察した魔族の男に追われた馬車が崖から落ちて、その女は死んでしまったの」
「お前の言っている、意味が分からない」
ラファエル様は首を振った。
今の話を理解できるのは、この場においては私しかいないだろう。
ハミルトンも身に覚えのない事を言われ、戸惑った表情を浮かべている。
それにしても、シンシアさんを虐げた罪で娼館送りというのはおかしな話だと思っていたけれど、やっと理解できた。
娼館に囲い込めばいつでも私を好きなようにできる。ハミルトンも私に対する怒りや憎悪が、自身で私を貶めたいという歪んだ愛に変わってしまったのだろう。
とはいえ、私に触れたが最後堕ちるのはハミルトンの方だったと思うので、詰めが甘いというものだ。
いや、私に欲望を抱いている時点で、すでに私を愛してしまっていたともいえる。
それも仕方ない。私は光り輝くような美少女なので、ハミルトンが私に歪な愛を抱いてしまうのもまた世界の真理なのだから。
馬車があんな風に乱暴に走っていたのは、追われていたからだという事も分かった。
魔族の男というのはクライブだと思う。クライブは覚えていないだろうけれど、私を助けようとしてくれたお礼を言わなければいけない。
「そういう事もあったという話よ。……気づいたら時間が戻っていた。父がやったんだと、すぐに分かったわ。でも前回とは違って、エンデバラードが私を魔族の国に連れて行くというから、それならまたルシスをからかって遊んであげようと思ったのに」
「……お前は、……エルヴィーザか」
忌々しそうに、ジルベルト様が呟いた。そこには先程の粘つく様な執着は感じられない。
一体いつまでがシンシアさんで、いつからがエルヴィーザ様だったのかは分からないが、彼女の口調と話の内容からして、シンシアさんの中身がエルヴィーザ様だというのは間違いないだろう。
エルヴィーザ様は、私の時間を戻したカミシールに造られている。カミ様を父と呼ぶのも頷ける。
女神の方というのは、もっと穏やかで愛情あふれる慈母のような方なのかと思っていたけれど、どうやら違うらしい。これなら私のお母様の方が余程想像の中の女神に近い。
「えぇ、そうよ。私が欲しいでしょう、ルシス。……エンデバラードも、ハインゾルデも私のもの。それなのに、そんな何の力もないただの人族の女が愛されるだなんて、おかしいわね」
シンシアさんの姿をしたエルヴィーザ様は、本当に不思議そうに首を傾げた。
「それは私が、女神よりも美しく愛らしい完璧な美少女だからですわ」
分からないようなので、私は教えて差し上げた。
胸を張ってそう言うと、背後でアスタロトとメルクルが「その通りだよリディスちゃん!」「そうですよ、リディちゃん!」と言って拍手をするのが聞こえる。
シュゼルとリアも、にこやかに微笑みながら頷いてくれる。孫を可愛がる祖父のような視線だったけれど、彼らは私よりも随分年が上なので、感覚的にはそれに近いものがあるのかもしれない。
ジルベルト様は口元を押さえながら笑っている。
ラファエル様は、嫌悪するような厳しい表情を浮かべて、シンシアさんを睨みつけていた。
「なんと愚かな……、あなたたち人族を作ってあげた、女神である私を愚弄するつもりなのね」
表情を失くした女神の指先が、私に向けられる。
「「リディス!」」
女神の作り出した氷の矢が、私に向って真っ直ぐに放たれる。
ジルベルト様とラファエル様の声が聞こえる。ジルベルト様は私を庇う様に私の前に躍り出て、輝く盾のようなもので氷の矢を弾き飛ばした。
ラファエル様が、女神の腕を無造作に捻りあげている。優しく穏やかなラファエル様の行動とは思えないほど、見た目だけは小柄で愛らしいシンシアさんを乱暴に拘束していた。
「や、やめてください……、痛い……!」
涙を湛えた瞳で、女神はラファエル様に縋った。
それはいつものシンシアさんのように見えたけれど、今更彼女がシンシアさんだと思う者はここにはいないだろう。
「……エンデバラード王家の後継者には、魔力は通じない。……婚約者を奪ったと、お前は言ったな。俺がお前に惑わされたことなど、一度もない筈だ」
「ええ。前回のあなたは、最後まであの女を信じていたわよ。女神の器だったシンシアを庇護していたのは、義務感だけだった。シンシアはあなたが好きだったのに、残酷な事。だから、あなたがいないときを狙ってあの女を貶めたのに、全部台無しだわ」
「お前のせいで、リディスは一度死んで……、だから、俺の傍から離れたのか。お前のせいで、あの男の元に……?」
言葉と共に、締め上げが強くなっているのだろう。
シンシアさんの顔が苦痛に歪み、哀れな表情でハミルトンを見上げる。
「助けて……、助けてください……!」
「シンシアは、心優しい人だった。……お前のような醜い女じゃない」
「どうして、なのかしら……、皆、女神の私を愛するべきでしょう。前回はそうだったのに、今回はどうして、なのかしら。もう一度その女が死ねば、時間が戻るのかしらね」
「エルヴィーザ様。もう一度繰り返したとしても、私が至高の美少女であり、愛情深い聖母であるのは変わらないので、皆が私を愛してしまうのは仕方がない事ですわ。諦めてくださいまし。エルヴィーザ様の全ての男性に愛されたいというお気持ちはよく分かりましたわ。私が男性ならば、その欲望を叶えて差し上げる事ができるのでしょうけれど……、でも、愛の前に性別などは無意味ですわよね。愛情が欲しいなら、私が愛してさしあげましてよ」
エルヴィーザ様は余程愛に飢えているのだろう。
ジルベルト様達が私を愛してしまうのは、当然の事なので仕方ない。
ジルベルト様達に愛されている私が、エルヴィーザ様を愛することで彼女はきっと満足できるだろう。私は愛情深い美少女なので、愛に飢えた女神の愛を満たす事など造作もない。繰り返す事の無意味さに気づいてほしくて、両手を広げてみる。
「馬鹿女、ちょっと黙ってろ!」
ジルベルト様になんだか懐かしい叱られ方をされた。
エルヴィーザ様が私を睨みつける。そんなに熱いまなざしを向けなくても、私は逃げたりしないので大丈夫なのだけれど、余程私の言葉に感銘を受けたのだろう。
「ふざけないで……!」
このやりとりもなんだか懐かしい。
クロネアさんがこんな感じだったなと、この城に来たばかりの頃の事をしみじみと思い出した。
今でこそ穏やかで、私が訪れると嬉しそうに湖から顔を出してお話をしてくれるクロネアさんだけれど、ミズイロウミウシだったころのクロネアさんは、今のエルヴィーザ様のように良く怒っていた。
女神の周囲に、先程よりも大量の氷の矢が浮かび上がる。
締め上げているラファエル様の手を、女神を中心に巻き起こった風が弾き飛ばした。
「血が薄れた人の王が私に敵う筈もなく、世代を変えた魔族の王が私に敵う訳もない。神を愚弄した罪、その身をもって償いなさいな」
ハミルトンがラファエル様の前に庇うように立つ。
彼の周りには、光の壁が出来上がる。女神はその様子を見て、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「ハインゾルデの薄れた血筋。ただの魔導士ごときが、無駄な事はやめなさい」
「俺は、思い違いをしていた。……リディス嬢以上に、傲慢な女がいるとは」
「魔族の血筋であることを指摘し受け入れ慰めるだけで、堕ちる様な簡単な男。以前のお前は私の操り人形だったのよ。あの女を娼館に落とし、辱めようとしていた薄汚い、ハミルトン様?」
「黙れ!」
ハミルトンが怒鳴り声をあげる。
「リディスちゃんてば、よく分からないけど娼館に行くところだったの?」と小さな声でアスタロトに問われたので、私は小さく頷いた。
「娼婦のリディスちゃんか。それはそれで」
「そんなリディスさんもまた、素敵だったでしょうね。でも俺たちとの時間が少なくなってしまうのは頂けません」
「私ならばきっと、娼館においても頂点に立つことができましてよ」
「うん、そうだね。リディスちゃんなら頂点に立てちゃうかもね。もしそうなったら僕が一番のお客さんになるよ」
「俺が必ず買い取りますから、もしそうなったとしても安心してください、リディスさん」
「……アスタロト、リア、うるさい」
エルヴィーザ様の様子などまるで興味がなさそうに雑談をはじめるアスタロトとリアを、シュゼルが注意する。
「だってつまらないんだもん」「女神の戯言を聞くより、リディスさんと話していた方が有意義ですし」と言って、二人は肩を竦めた。
「シュゼル!」
唐突に、ジルベルト様が厳しい声で名を呼んだ。
シュゼルが私とメルクルを抱くように手を伸ばす。私たちの周囲を、煌めく宝石の壁が覆った。
アスタロトとリアが、一瞬でジルベルト様の隣に並ぶ。
「消えなさい」
女神の言葉と共に氷の矢が、私に向って一斉に降り注いだ。
2
あなたにおすすめの小説
ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない
魚谷
恋愛
伯爵令嬢イザベラは多くの男性と浮名を流す悪女。
そんな彼女に公爵家当主のジークベルトとの縁談が持ち上がった。
ジークベルトと対面した瞬間、前世の記憶がよみがえり、この世界が乙女ゲームであることを自覚する。
イザベラは、主要攻略キャラのジークベルトの裏の顔を知ってしまったがために、冒頭で殺されてしまうモブキャラ。
ゲーム知識を頼りに、どうにか冒頭死を回避したイザベラは最弱魔法と言われる付与魔法と前世の知識を頼りに便利グッズを発明し、離婚にそなえて資金を確保する。
いよいよジークベルトが、乙女ゲームのヒロインと出会う。
離婚を切り出されることを待っていたイザベラだったが、ジークベルトは平然としていて。
「どうして俺がお前以外の女を愛さなければならないんだ?」
予想外の溺愛が始まってしまう!
(世界の平和のためにも)ヒロインに惚れてください、公爵様!!
気配消し令嬢の失敗
かな
恋愛
ユリアは公爵家の次女として生まれ、獣人国に攫われた長女エーリアの代わりに第1王子の婚約者候補の筆頭にされてしまう。王妃なんて面倒臭いと思ったユリアは、自分自身に認識阻害と気配消しの魔法を掛け、居るかいないかわからないと言われるほどの地味な令嬢を装った。
15才になり学園に入学すると、編入してきた男爵令嬢が第1王子と有力貴族令息を複数侍らかせることとなり、ユリア以外の婚約者候補と男爵令嬢の揉める事が日常茶飯事に。ユリアは遠くからボーッとそれを眺めながら〘 いつになったら婚約者候補から外してくれるのかな? 〙と思っていた。そんなユリアが失敗する話。
※王子は曾祖母コンです。
※ユリアは悪役令嬢ではありません。
※タグを少し修正しました。
初めての投稿なのでゆる〜く読んでください。ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください( *・ω・)*_ _))ペコリン
私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~
あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。
「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。
香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。
皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。
さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。
しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。
それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
悪役令嬢に転生したので地味令嬢に変装したら、婚約者が離れてくれないのですが。
槙村まき
恋愛
スマホ向け乙女ゲーム『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』の悪役令嬢、リシェリア・オゼリエに転生した主人公は、処刑される未来を変えるために地味に地味で地味な令嬢に変装して生きていくことを決意した。
それなのに学園に入学しても婚約者である王太子ルーカスは付きまとってくるし、ゲームのヒロインからはなぜか「私の代わりにヒロインになって!」とお願いされるし……。
挙句の果てには、ある日隠れていた図書室で、ルーカスに唇を奪われてしまう。
そんな感じで悪役令嬢がヤンデレ気味な王子から逃げようとしながらも、ヒロインと共に攻略対象者たちを助ける? 話になるはず……!
第二章以降は、11時と23時に更新予定です。
他サイトにも掲載しています。
よろしくお願いします。
25.4.25 HOTランキング(女性向け)四位、ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる