新世界に恋の花咲く〜お惣菜酒房ゆうやけは今日も賑やかに〜

山いい奈

文字の大きさ
47 / 52
5章 前に進むために

第4話 だからこそ

しおりを挟む
 お母さまと桑原くわはらさんのお申し出はありがたいと思う。お金はあって困ることは無い。だが何度考えても、由祐ゆうに相続する権利は無いのでは、と思うのだ。

 やはり、法律上の子どもでは無いということが大きい。確かに由祐だって、少なからず苦労したという自負はある。だがいちばん大変だったのは、由祐をひとりで産んで、働いて、育ててくれたお母さんだ。

 お母さんが今生きていたら、由祐は間違い無く「いただいておこう」と言うだろう。お母さんにはその権利がある。

 だが、やはり由祐にあるとは思えないのだ。

 だから、断ろうと思って口を開き掛けた。そのとき。

「由祐、もろとけ」

 静かな声でそう言ったのは、茨木いばらきさんだった。由祐は驚き目を丸くして、茨木さんを見上げる。

「でも」

「その方が、相手の気も済むやろ」

「そう、でしょうか」

 由祐は戸惑ってしまう。すると桑原さんは、味方ができたとばかりに身を乗り出す。

「そうですよ、荻野おぎのさん。何やったら臨時収入やとでも思って、受け取ってください。正直なところ、1割にしたらそんな大金や無いんですよ。父は普通の会社員で、新卒で入った会社を定年まで勤めたんで、退職金は満額もらえましたけど、そのあと居酒屋を始めましてね、開店資金で結構使ってます。店はそこそこ流行ってたみたいですけど、リースナブルな店やったから、トータルしたらそんな稼ぎは出んかったんですよね」

「父は、居酒屋さんをしてたんですか?」

「そうなんです。父は料理上手でしたね。きっと、荻野さんがそれを受け継いだんでしょうね、私はからっきしですから」

 不思議だ。由祐のお料理の腕は、まるでお父さんからの財産の様だ。何となく心がふうわりと暖かくなる。

「場所は新世界しんせかいで、実はね、今、荻野さんが店やってはる場所で、やったんですよ。歳で身体がきつぅなって引退したんです」

「……え?」

 由祐は唖然としてしまう。由祐の前に、あの場所で、居酒屋をやっていたのが、お父さん?

「ほんま、なんですか? それ」

「はい」

 桑原さんは深く頷く。立花たちばなさんが「いやぁ、驚きましたぁ」とあとを引き受けた。

「実はねぇ、桑原と私は大学のサークルの同期でしてねぇ。私が法学部で、桑原は文学部でした。その縁で、桑原の遺言書を預かったんですよ~。桑原が亡くなった原因はすい臓がんでしてねぇ、見つかったときにはもう手遅れで。それで私を病室に呼んで、遺言書を書いたんです。せやから私は、遺言書の内容を知ってました。浮気のことはもちろん驚きましたし憤りましたけど、死に向かっている人間に無体なことはできません。「阿呆なことしたな」、それだけ言うて飲み込みました。それに、そのことを責める資格があるのは奥さまと翔悟しょうごさん、そして荻野さんとお母さまですからねぇ。知るころには亡くなってるわけですが」

 由祐はちろ、と茨木さんを見上げる。だが驚いた様子は無い。いつも冷静な茨木さんだから、いつも通りの無表情を保っているのか、……それとも、まさか。

「病気になったことは、バチが当たったんやなぁなんて母と言ってたんですよ。それまでは善良な父親て疑わへんかったのに、それどころや無かった。いやまぁ、今さら言うてもどうにもならんのですけどね。せやからせめて、荻野さんにはきちんとお詫びと、託された財産分与をさしてもらいたいんです」

「奥さまと翔悟くんからその意思を聞きまして、私が調査会社に依頼しましたぁ。そこでお母さまが亡くなられていたこと、荻野さんが新世界で、しかも桑原がかつて商売していたところでお惣菜酒房をされていたことを知ったんですよぉ。これが荻野さんにとってご縁なんか酷なんかは、私ごときでは分かりません。ですが、死者に鞭打つ様なことはやっぱりしたくなくて。酷いことしたやつですけど、慈悲の心を持っていただけたらって思ってしまうんです」

 由祐が産まれたときからいなかった、会ったことも無い、顔も知らないお父さん。恨むとか、そういった気持ちは沸かない。確かに阿呆なことをしたのだろう。お母さんは大変な思いをした。それでも。

 由祐のお料理の腕がお父さん由来なのなら、それは今由祐の武器になっているし、そのおかげで深雪ちゃんに喜んでもらえて、茨木さんに出会えたとも言える。感謝の気持ちすら芽生えてしまうのが不思議だった。

 どうするのが最善なのか。そう思うと、今なら、たったひとつしか思い浮かばなかった。由祐はあらためて姿勢を正す。

「わたし、あの、父に悪感情はありません。確かに母には酷いことをしましたが、わたしがお料理で身を立てられているのはお父さんのおかげかも知れませんし、お店の場所も、めっちゃええ物件ですから、良縁やと思ってます。ですので、……父の遺産、謹んでお受け取りさせていただきます」

 すると、桑原さんと立花さんが揃って目を見開いて、「はぁ~」と脱力したあと「良かったぁ~」と言い合った。

「ほんまに良かったです。父が荻野さんにしたことの罪は消えませんが、これで少しは肩の荷が下りた気がします。母と私の自己満足なんでしょうし、お詫びする以外どう償ったらええんか正直分からんのですが、せめて金銭面だけでもできることがあるんやったら、私らも救われます」

「いえ、こちらこそ、そこまでお気に留めていただいて、ほんまにありがとうございます。正直、こちらにしてみても寝耳に水やったんで驚いたんですけど、あの、父の遺産は、大事に、お店のために使わせていただきます」

「うん、ええ様に使ってください。ほんまにありがとうございます」

「いえ、もう、ほんまにこちらこそなんで」

 良かった、何とか良いところに落ち着くことができただろうか。由祐がほっとして茨木さんを見上げると、その無表情の中に、少しの安堵が見えた気がした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜

泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。 ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。 モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた ひよりの上司だった。 彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。 彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。 「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」 その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。 恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。 まさにいま、開始のゴングが鳴った。 まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

ヒロインになれませんが。

橘しづき
恋愛
 安西朱里、二十七歳。    顔もスタイルもいいのに、なぜか本命には選ばれず変な男ばかり寄ってきてしまう。初対面の女性には嫌われることも多く、いつも気がつけば当て馬女役。損な役回りだと友人からも言われる始末。  そんな朱里は、異動で営業部に所属することに。そこで、タイプの違うイケメン二人を発見。さらには、真面目で控えめ、そして可愛らしいヒロイン像にぴったりの女の子も。    イケメンのうち一人の片思いを察した朱里は、その二人の恋を応援しようと必死に走り回るが……。    全然上手くいかなくて、何かがおかしい??

処理中です...