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第二巻
しおりを挟むこの章では岡本天明が自動書記した場所について、詳細にご説明しています。また、英雄日本武尊のエピソードについてもご紹介しています。
麻賀多神社と日本武尊
麻賀多神社の不思議発見と日本武尊のエピソードです。
【英雄日本武尊とその家来(蝦夷征伐時)】
麻賀多神社に伝わる社伝によるはと景行天皇42年6月晦日、蝦夷征伐の為、東征中の日本武尊が麻賀多神社を訪れ、杉の幹に鏡を懸け「この鏡を〝いんばのくにたんばのくちたまおきつかがみ〝と崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と言い、伊勢の大神を|遥拝(ようはい)したのが当社の起源であると言われています。
(解説)
日本武尊は第12代、景行天皇の皇子。幼名は小碓尊。第14代、仲哀天皇の父とされる。紀元2世紀頃に存在。『古事記』や『日本書紀』に記述があるが、家族関係や性格づけなど、その描き方が大きく異なる。日本神話では英雄として登場する。
応神天皇20年、神八井耳命の8世の子孫である印旛国造•伊都許利命が現在の成田市船形に社殿を造営し、その鏡を御神体として稚日霊命を祀りました。
また、伊都許利命は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを御神体として和久産巣日神を併せ祀りました。
この2神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。推古天皇16年、伊都許利命の8世の子孫の広鋤手黒彦命が、御神命により現在の成田市台方に和久産巣日神を遷座し、それまでの社殿を奥宮としました。
延喜式神名帳に記載の際、「真賀多真」が三種の神器の1つと同名であるとして、1字取って「真賀多神社」に改称しました。
後に、一帯が麻の産地であることから麻賀多神社に社名を改めたのです。
このことが社伝として記録されています。
麻賀多神社は、千葉県成田市台方と佐倉市に鎮座する歴史ある神社です。
特に成田市台方の麻賀多神社は、近隣18社の総社とされ、樹齢1300年を超える大杉がパワースポットとしてよく知られています。
この麻賀多神社について、私の知る限りのことを記述しました。
私の日月神示に関する研究に携わった25年間の集大成です。
麻賀多神社は、今から1700年以上前に印旛国造の伊都許利命によって創建されみした。
今でも五穀豊穣、産業、安産、子どもの守り神として信仰されています。
それでは麻賀多神社の
御祭神と御神徳についてお話します。
御祭神は稚産霊神で、万物を結び育てる神様とされています。
御神徳は恋愛成就、安産子育、健康守護、事業発展等です。
次に成田市台方の麻賀多神社の特徴について、お話ししましょう。
神社の境内には東日本随一の大杉があります。
この境内にある大杉は樹齢1300年を超えています。
千葉県の天然記念物に指定されています。
この大杉の特徴は目通り幹回り8m、高さ40mです。
ご利益は延命長寿の御利益があるとされ、パワースポットとして人気があります。
皆さんには是非とも行って頂きたいと思います。
霊的な何かを感じることでしょう。
神さまもきっと喜ばれることでしょう。
二つ目は境内社のお話です。
天日津久神社は令和6年より御朱印の受付を開始しています。
三つ目は麻賀多神社の連絡先です。
電話での問い合わせは、毎月1日と15日の8:00~14:00に受け付けています。
間違えて上記の日以外に電話を掛けないようにお願いします。先方に迷惑が掛かりますので。
次に佐倉市の麻賀多神社について、お話しししましょう。
佐倉市の麻賀多神社は、旧佐倉藩の総鎮守として「まかたさま」として地元の人々から親しまれています。
その境内の特徴は樹齢800年以上の大銀杏をはじめ、古木・大樹に囲まれた憩いの森なのです。
それでは、麻賀多神社のおさらいをしましょう。
麻賀多神社は、八千代市から成田市にかけて18社が鎮座しています。
成田市台方の麻賀多神社はその本宮です。
本社は、成田市台方。
奥宮は成田市船形手黒社とも呼ばれます。
麻賀多神社の主な行事です。
麻賀多神社では年間を通して様々な行事が行われています。
2月に節分祭があります。
4月には御田植祭があります。
7月には例大祭があります。
この例大祭の最終日曜日には伝統ある獅子 舞が奉納されていす。
ここでご紹介するのは日月神示の最初に天明が自動書記した内容について記述しています。
【麻賀多神社と日月神示と岡本天明】
麻賀多神社の社務所に於いて国常立尊に神憑りされ岡本天明が最初に自動書記で書かされた原文について、以下にご紹介します。
「二二八八れ十二ほん八れ ㋹の九二のま九十の㋹のちからをあら八す四十七れる」
これは次の通りに読めると言われています。
「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」
続いて、
「卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから 三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九十六あるか 九の九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まって二十十七一九六てある」
これについての読み方は次のように読まれています。
「仏もキリストも何もかもハッキリ助けてシチ難しい御苦労の無い世がくるから ミタマを不断に磨いて一筋のマコトを通して呉れよ 今一苦労あるが この苦労はミタマを磨いておらぬと越せぬ この世始まって二度とない苦労である」と。
解釈としてはマコトの神が世に出現して神の力を現して、すべてを助け何の苦労もない理想的な世界に立て直していくが、その前には人類は未だかつてなかったほどの大災厄や大試練を迎えなければならない。助かるためには身魂を絶え間なく磨き、鍛練しつつ備えよ。
磨いていなければ助かることが出来ない。という内容だと考えられている。
上記のマコトの神とは岡本天明と大本開祖•出口なおに神憑りした国常立尊という高級神霊です。
日月神示の中ではこのような大災厄や大試練を「三千世界の大洗濯」や「大峠」と呼んで、多くの帖で書記されている。この大峠は我々の住むこの現界のみならず、神界、霊界、幽界なども含めたすべての世界とすべての存在に等しく起こるとされ、森羅万象のうち何ひとつそれから免れることができるものは存在しないという。また、この現界よりもはるかに高次元で高度と思われる神界の神々や守護神といった存在でもこの大峠を越せない存在があるという。
この身魂磨きや心の浄化、また正しい食生活で身体を健康で強壮なものに保っていくことの大切さは日月神示の主題と言っても良く、我々ひとりひとりがこの現界をより良く生きるためにも、この先に起こるとされる大峠を無事に乗り越えるためにも極めて重大なことであり日月神示自体が降ろされた理由もこれに尽きると考えられる 。なお、日月神示はこれらの帖を手始めに昭和19年から天明が亡くなる2年前の昭和36年まで17年間にわたり書記されていく。
岡本天明が国常立尊に神憑りされ自動書記した期間は昭和19年~昭和36年迄の17年間である。
西暦1944年~西暦1963年迄の間である。
この日月神示には「人間の生き方」「正しい食生活について」「夫婦の本当の在り方」さらには「霊界」の実相についても書記されているなど非常に広範囲にわたっての記述が見られるが、未来に関するいわゆる「予言書」的な記述部分も多く見られる。
また、日月神示はその殆どが数字や記号で書記されているが、その理由を神霊自らが神示の中で次のように語っている。
「高度の霊人となれば文字はない。ただ文字の元をなす「レ」と「〇」と「+」があるのみ。また高度の霊人の文字として、殆ど数字のみが使用されている場合もある。
数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである」(二日んの巻第十三帖)や「天人同志の文字は数字が多いぞ。天人の言葉はマコトであるから、ただ一言で万語を伝え得るぞ。」と「星座之巻」第十八帖、第十九帖で述べている。
このことは、出口王仁三郎著書霊界物語に同じことが記述されている。このことは、非常に興味深い。
同様なことは18世紀の偉大な科学者にして政治家であり、また、その後半生は霊能者として活躍した有名なスウェーデンの貴族であるE.スウェデンボルグも天界探訪の事を記した自身の著作で「天人の文字は数字が非常に多かった。」と書いていて興味深いものがある。
前述の出口王仁三郎も京都府綾部の霊山高熊山で神の導きにより、天界探訪している。
日月神示より以前に他で出された神示類ではこのようなことはみられず、神霊が「今まで他に出て居たのは皆、神示先ぢゃ。ここは神示ぢゃ。キの神示ぢゃ」(カゼの巻第六帖、第七帖)と書記させている。
また、「アメの巻」第十三帖でも「外で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切の事説いて聞かして得心させて上げますぞや。落ち着いて聞き落としのない様になされよ。」とも語られている。
また、一方ではこの神示は単に現界に生きる人間のみならず、天界や霊界、また、その他多くの世界に住んでいる存在である神、竜神、天人、天使、霊人達にも等しく与えられているらしい次のような記述もみられる。「この神示は、神と竜神と天人天使と人民たちに与えてあるのぢゃ」と「極め之巻」第十八帖で述べられている。
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