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元婚約者について探ってくれ (改)
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シュメルヒが執務室から去ると、ヨアンは椅子の背もたれに身体を預けて天井を仰いだ。
体重が後ろへ偏ったせいで、椅子の前脚が浮き、ギィギィと揺れた。
「どう思う、キリアス」
「何がだ? 今忙しいから主語を省いて話すんじゃねえ」
行儀の悪いヨアンを見ようともせず、キリアスは黙々と羽ペンを動かしていた。二人だけになると、キリアスは慇懃な敬語を捨て去る。ヨアンもいちいち目くじらを立てることはしない。
最初は面食らったが、その内慣れた。形式ばった敬語は公の場で猫を被ってくれさえしたら、それでいいと思っている。
「最近のシュメルヒの言動についてだ」
「国政に関わろうとなさるのは熱心で良いことじゃねえか。私欲のために政治に介入する妃もいるが、あの人はお前の役に立ちたい一心だ。健気だよな。頭も良いし、妙に勘が鋭い……この前だって、ほら、例の訴状の山の中から、関連なさそうな事案を結び付けて辺境役人の横領の証拠を見つけて来ただろ?」
くるん、と羽ペンを回して思案顔をする。
「貴族連中との人脈づくりといい、あれは王配としちゃ逸材だぞ。イレニアの連中は見る目がねえな。ろくに教育もせず置物みたいにしとくなんて。ま、おかげでこっちは良い人材が手に入ったが。早く番っちまえよ。お前なら毒の効果はないだろ? 誰がどう見ても妃殿下はお前に惚れてる」
「……知ってる」
キリアスは「おいおい」と、鼻で笑った。
「なんだ、知ってるのかよ。ならなんで、さっさと番ってやらない? 妃殿下がずっと首輪をしてるのはなんでかって、いらん詮索をされてるのは知ってんだろ? ヒートだって番いさえすれば、お前も妃殿下も楽になるんだ。何を手をこまねいてんだ?」
まさか、と言いながらキリアスは眉を顰めた。
「妹の肖像画を見て、あっちのが好みだとか今さら言わねえよな?」
「そんなわけあるか! 俺が欲しいのはシュメルヒだけだ! 冗談でもそんな馬鹿げたこと言うな」
「分かったよ。お前がシュメルヒ様を側室にしても割り切れる奴なら、他にも手があるんだけどな」
「論外だ。シュメルヒをイレニアに帰す気はないし、側室にもしない。俺の番は彼だけだ。この先も側室は持たない、絶対にだ」
「分かったから睨むな。……これでも俺はお前の資質を買ってるんだ。お前から妃殿下を取り上げたら廃人になっちまいそうだからな。それは俺も望んでない。お前が<良き王>としてオスロを治めるためにあの人が必要なら、協力してやる。そのためにも既成事実を作っちまえって言ってるんだ。番になれば……あわよくば御子を身籠りでもすれば、イレニアもそう簡単に返せとは言ってこれないさ。時間稼ぎができるぞ?」
「『子』を道具のように言うな。それに……今のシュメルヒがそれを望んでると思うのか? 彼が納得しないうちは、……言葉にして俺を求めないうちは、手を出さないと約束したんだ」
「約束って、いつの話だよ」
「四年前」
「餓鬼の時じゃねえか!」
キリアスは呆れ返って机を叩いた。
「お前、馬鹿か! 十四の餓鬼相手に『番になる気になったらそう言ってくれ』って言われた挙句、四年も放置されたら気まずくて自分から言い出せないだろ! お前なあ、四年もヒートの間何もしないで横に引っ付いて慰めてるだけって正気か? お互いにただの拷問じゃねえか」
「だからそれはっ……シュメルヒが自分の意志で俺を選んでくれないと意味がないと思って」
「甘えんなよ、クソガキ」
キリアスは目を据わらせて吐き捨てた。
「妃殿下の身の上を考えてみろ。怪我したら焼き鏝で炙ればいいとか、本気で信じてたようなイカれた境遇で育った人だぞ。お前があの人の情操教育に熱心なのはいいけどな、心ン中で、妹や祖国より自分を選んで欲しいって願望があんだろ、どうせ。だから強引に番わずに、妃殿下の意思を尊重するためだとかおためごかしを言ってるんだ」
心臓がドクっと嫌な跳ね方をした。黙り込んだヨアンに「そら見ろ」とキリアスが追い打ちをかける。
「妃殿下がしょい込んだ重石をどうにかしたいなら、あの人に選ばせるな。お前が、悪人になれ。あの人はお前が思ってるより、根っからの囚人なんだよ。祖国への義理とか、責任とかに雁字搦めだ。脱獄が罪だと思ってる人間に外から手招いたって出てこれねえよ。さっさとお前が攫いに行け。それで恨まれたら……そん時は正直に謝まるしかないさ」
一息に言うと、キリアスは疲れた様子で大きく息を吐いた。ヨアンは目を丸くして彼を眺めた。
「なんだよ、その顔」
「いや……キリアスお前、結構妃のことを好きだったんだな」
「おい、やめろ。俺は妃殿下をそんな目では見てねえからな」
「当たり前だ。いくらお前でもシュメルヒに邪な感情を向けたら、ただじゃおかない」
「いくら美人でも、あそこまでややこしい内面を抱えた人間はご免だ。めんどくせえ」
「妃は素直だぞ? 本当のシュメルヒは些細なことでよく笑うし、冗談が好きで、優しくて……人と関わるのが好きなんだと思う」
「惚気るな、仕事をしろ」
「こうと決めたら案外意地っ張りだし、抜けたところもあるし、慌てていると無意識にイレニア語で喋ったりして可愛い」
キリアスは相槌をやめて仕事に集中した。
「妃を無表情だと言う輩が多いがその逆だ。結構、考えが顔に出やすいんだ。俺のことを見ている時の目や表情で、口に出さなくても伝わってくる」
シュメルヒがヨアンを欲していることに、ずっと前から気付いていた。いつかは口に出して自分を選んでくれると信じて待っていた。シュメルヒを手に入れるための試練だと……待つことを美徳だと決めつけてさえいた。
「お前の言う通りかもしれないな」
妃に答えを委ねることが、唯一の最善ではないかもしれない。シュメルヒはヨアンを選んだ瞬間から、一生妹と祖国を裏切った罪悪感を背負わせてしまうと……頭の隅では理解していたのに。一緒に背負ってやるのがヨアンにできる寄り添い方だったのに。
シュメルヒに、もう一度十四歳のあの夜のように、思いをぶつけてみよう。答えを待つのではなく、ヨアンがシュメルヒから引き出すのだ。俺が欲しいのは妃だけだと。だから諦めて受け入れてくれ、と。
視察から戻ったシュメルヒに、言おう。
(大事なのは妃だけだ。一緒にいられるなら、俺はなんだってする。心からシュメルヒだけを愛してる)
しばらく、ヨアンとキリアスはお互いの仕事に専念した。ほどなく終わりの目途がついたところで、キリアスがふと口にした。
「そういや、一回会ってみたいんだよなあ、本物の精霊様ってやつに。妃殿下と似てるんだろ? 不思議なこともあるもんだ。ま、妃殿下の神秘性が高まって俺としては使い勝手が良いけどな」
「駄目だ」
「なんだよ、俺が信用できないってか」
「そうじゃなく……とにかく、あれは駄目だ。お前以外にも、『あんな姿』は見せられない」
なにせ精霊はシュメルヒと同じ顔をしているのだ。
もちろん、顔が同じでも全く違う。精霊は表情豊かで、無邪気かと思えば、機嫌が悪くなると歯をむき出して威嚇する時もある。葡萄やりんご、へびいちごが好物で、与えてやると嬉しそうに頬張っている。
それはいいのだが……。
(服を着ていないからな……)
あれでシュメルヒと同じ顔でなければ、問題ないのだ。ただの男の上半身の裸体だ。だが、気を抜くとシュメルヒのあられもない姿を想像してしまい、申し訳ない気持ちになるのだ。血を飲んだことでシュメルヒの姿を写し取ったなら、もしや身体も……? 同じなのではないか。
考えると首から上……それに口に出せない場所に熱が溜まってしまう。だから、精霊の姿を他人に見せたくなかった。シュメルヒの裸体を見られた気分になるからだ。我慢ならない。到底許せないことだった。
「まあいい。ああいうのは近づきすぎると障りがある類のものだからな」
キリアスはあっさりと引き下がった。現実主義の人間らしい割り切り方だ、とヨアンは思った。
「それよりキリアス。イレニアの使節に妃の元婚約者がいるだろう」
「ああ、あの華やかなアルファの貴公子か。お前とは雰囲気が真逆だな」
キリアスは面白がるように評した。
「お前は、なんて言うか……偉そうな暴君って感じだ。なんでも自分の思い通りにしたい性格のな」
「それはお前が設定した公の場での『ヨアン殿下』だろ。ただの演技だ」
「効果があるんだから、文句言うなって。で、貴公子がどうしたって? いけ好かないから暗殺でもしろってか」
ヨアンは目を細めた。キリアスがにやつくのをやめ真顔になった。
「おい、まさか本当に」
「ジュール・ドランの内情を探ってくれ。なんでもいい。生い立ちから嗜好、性格、過去の素行や交友関係、恋人がいるのかどうか……」
「かまわないが、なんでまた……婚約は解消済みだろ? 気弱そうなお坊ちゃんだったぞ。なにもそこまで警戒しなくても」
「昔シュメルヒから聞いたジュールの人物像が気になっていたんだ。シュメルヒは彼を思いやりのある好人物だと言ってたが、俺には……優しさの仮面をかぶってシュメルヒを子供の時から支配していたように思える」
「子供の時からって……それは、いくらなんでも勘繰り過ぎじゃないのか?」
「それなら良いが……念のためだ。ただの勘だが、シュメルヒが自分の意志を殺して生きてきたのは、傍にいた人間の影響もあるんじゃないか。例えば、親切な振りをして相手の思考力を奪ったり、心配する振りで行動を抑圧されると、人形のようになっても不思議じゃない。シュメルヒは子供の頃、周囲に放置されて育ったんだ。大人が見ていない所で、そういう人間がずっと傍にいて操っていたとしたら?」
自力で馬に乗ることも、だれかと食事をとるのも禁止。自分の意見を言う前に、「君はこうだ」と決めつけ答えを奪う。ヨアンと出会った頃、シュメルヒは好きなものも、嫌いなものも答えられなかった。考えたことがないかのように質問自体に戸惑っていた。
今にして思えば、ただ<毒持ち>という体質だけでは説明がつかない程、心が幼く委縮していた。
そのことが、ずっと気になっていた。
四つ年上のシュメルヒが、まるで赤ん坊のように見えたのだ。あんなに凛として綺麗なのに、人形のように精彩を欠いていた。
人形は美しい。けれどヨアンは、シュメルヒを人形ではなく、人間にしたかった。本当のシュメルヒは、喜怒哀楽を持った人間だ。
ヨアンは彼を人間にしたいと思った。
キリアスが知ったら、「ガキの癖に御大層なことだ」とまた馬鹿にされそうだが、当時は本心からそう思ったのだ。
シュメルヒを雁字搦めにしていたものから自由にしてやりたかった。好きなものや嫌いなもの、したいことを口に出していいんだと教えたかった。なにより……シュメルヒに、シュメルヒ自身を大事にしてほしいと思った。
そのためには、自分がもっと大人にならなくてはならないと気付いたのだ。シュメルヒを支えてやるには、己の手はひ弱すぎたし、性根が幼いことも自覚してしまったから。
周囲の人間はヨアンが急成長したと口々に触れ回ったが、本当の理由はきっと誰も知らない。当のシュメルヒでさえも。シュメルヒに見合う男になるために、ヨアンは甘ったれた子供でいることを止めたのだ。
キリアスは首を傾け、ヨアンの言葉に考え込んでいた。
「依存と支配、か……相手を洗脳して言いなりにする術はあるが、あの坊ちゃんがそんなタマか? 想像もつかねえな」
「何も無ければ、別にいい。だが、わざわざ使節に元婚約者を紛れ込ませてきたのは気にかかる。シュメルヒとジュールを不用意に近づけさせないよう、お前も注意を払ってくれ」
もし、ヨアンの勘が当たっているとしたら。
幼いシュメルヒの心を支配したのが、ジュールだとしたら——。
ヨアンの目が暗く沈み、緑の奥にかすかに火花が明滅した。
体重が後ろへ偏ったせいで、椅子の前脚が浮き、ギィギィと揺れた。
「どう思う、キリアス」
「何がだ? 今忙しいから主語を省いて話すんじゃねえ」
行儀の悪いヨアンを見ようともせず、キリアスは黙々と羽ペンを動かしていた。二人だけになると、キリアスは慇懃な敬語を捨て去る。ヨアンもいちいち目くじらを立てることはしない。
最初は面食らったが、その内慣れた。形式ばった敬語は公の場で猫を被ってくれさえしたら、それでいいと思っている。
「最近のシュメルヒの言動についてだ」
「国政に関わろうとなさるのは熱心で良いことじゃねえか。私欲のために政治に介入する妃もいるが、あの人はお前の役に立ちたい一心だ。健気だよな。頭も良いし、妙に勘が鋭い……この前だって、ほら、例の訴状の山の中から、関連なさそうな事案を結び付けて辺境役人の横領の証拠を見つけて来ただろ?」
くるん、と羽ペンを回して思案顔をする。
「貴族連中との人脈づくりといい、あれは王配としちゃ逸材だぞ。イレニアの連中は見る目がねえな。ろくに教育もせず置物みたいにしとくなんて。ま、おかげでこっちは良い人材が手に入ったが。早く番っちまえよ。お前なら毒の効果はないだろ? 誰がどう見ても妃殿下はお前に惚れてる」
「……知ってる」
キリアスは「おいおい」と、鼻で笑った。
「なんだ、知ってるのかよ。ならなんで、さっさと番ってやらない? 妃殿下がずっと首輪をしてるのはなんでかって、いらん詮索をされてるのは知ってんだろ? ヒートだって番いさえすれば、お前も妃殿下も楽になるんだ。何を手をこまねいてんだ?」
まさか、と言いながらキリアスは眉を顰めた。
「妹の肖像画を見て、あっちのが好みだとか今さら言わねえよな?」
「そんなわけあるか! 俺が欲しいのはシュメルヒだけだ! 冗談でもそんな馬鹿げたこと言うな」
「分かったよ。お前がシュメルヒ様を側室にしても割り切れる奴なら、他にも手があるんだけどな」
「論外だ。シュメルヒをイレニアに帰す気はないし、側室にもしない。俺の番は彼だけだ。この先も側室は持たない、絶対にだ」
「分かったから睨むな。……これでも俺はお前の資質を買ってるんだ。お前から妃殿下を取り上げたら廃人になっちまいそうだからな。それは俺も望んでない。お前が<良き王>としてオスロを治めるためにあの人が必要なら、協力してやる。そのためにも既成事実を作っちまえって言ってるんだ。番になれば……あわよくば御子を身籠りでもすれば、イレニアもそう簡単に返せとは言ってこれないさ。時間稼ぎができるぞ?」
「『子』を道具のように言うな。それに……今のシュメルヒがそれを望んでると思うのか? 彼が納得しないうちは、……言葉にして俺を求めないうちは、手を出さないと約束したんだ」
「約束って、いつの話だよ」
「四年前」
「餓鬼の時じゃねえか!」
キリアスは呆れ返って机を叩いた。
「お前、馬鹿か! 十四の餓鬼相手に『番になる気になったらそう言ってくれ』って言われた挙句、四年も放置されたら気まずくて自分から言い出せないだろ! お前なあ、四年もヒートの間何もしないで横に引っ付いて慰めてるだけって正気か? お互いにただの拷問じゃねえか」
「だからそれはっ……シュメルヒが自分の意志で俺を選んでくれないと意味がないと思って」
「甘えんなよ、クソガキ」
キリアスは目を据わらせて吐き捨てた。
「妃殿下の身の上を考えてみろ。怪我したら焼き鏝で炙ればいいとか、本気で信じてたようなイカれた境遇で育った人だぞ。お前があの人の情操教育に熱心なのはいいけどな、心ン中で、妹や祖国より自分を選んで欲しいって願望があんだろ、どうせ。だから強引に番わずに、妃殿下の意思を尊重するためだとかおためごかしを言ってるんだ」
心臓がドクっと嫌な跳ね方をした。黙り込んだヨアンに「そら見ろ」とキリアスが追い打ちをかける。
「妃殿下がしょい込んだ重石をどうにかしたいなら、あの人に選ばせるな。お前が、悪人になれ。あの人はお前が思ってるより、根っからの囚人なんだよ。祖国への義理とか、責任とかに雁字搦めだ。脱獄が罪だと思ってる人間に外から手招いたって出てこれねえよ。さっさとお前が攫いに行け。それで恨まれたら……そん時は正直に謝まるしかないさ」
一息に言うと、キリアスは疲れた様子で大きく息を吐いた。ヨアンは目を丸くして彼を眺めた。
「なんだよ、その顔」
「いや……キリアスお前、結構妃のことを好きだったんだな」
「おい、やめろ。俺は妃殿下をそんな目では見てねえからな」
「当たり前だ。いくらお前でもシュメルヒに邪な感情を向けたら、ただじゃおかない」
「いくら美人でも、あそこまでややこしい内面を抱えた人間はご免だ。めんどくせえ」
「妃は素直だぞ? 本当のシュメルヒは些細なことでよく笑うし、冗談が好きで、優しくて……人と関わるのが好きなんだと思う」
「惚気るな、仕事をしろ」
「こうと決めたら案外意地っ張りだし、抜けたところもあるし、慌てていると無意識にイレニア語で喋ったりして可愛い」
キリアスは相槌をやめて仕事に集中した。
「妃を無表情だと言う輩が多いがその逆だ。結構、考えが顔に出やすいんだ。俺のことを見ている時の目や表情で、口に出さなくても伝わってくる」
シュメルヒがヨアンを欲していることに、ずっと前から気付いていた。いつかは口に出して自分を選んでくれると信じて待っていた。シュメルヒを手に入れるための試練だと……待つことを美徳だと決めつけてさえいた。
「お前の言う通りかもしれないな」
妃に答えを委ねることが、唯一の最善ではないかもしれない。シュメルヒはヨアンを選んだ瞬間から、一生妹と祖国を裏切った罪悪感を背負わせてしまうと……頭の隅では理解していたのに。一緒に背負ってやるのがヨアンにできる寄り添い方だったのに。
シュメルヒに、もう一度十四歳のあの夜のように、思いをぶつけてみよう。答えを待つのではなく、ヨアンがシュメルヒから引き出すのだ。俺が欲しいのは妃だけだと。だから諦めて受け入れてくれ、と。
視察から戻ったシュメルヒに、言おう。
(大事なのは妃だけだ。一緒にいられるなら、俺はなんだってする。心からシュメルヒだけを愛してる)
しばらく、ヨアンとキリアスはお互いの仕事に専念した。ほどなく終わりの目途がついたところで、キリアスがふと口にした。
「そういや、一回会ってみたいんだよなあ、本物の精霊様ってやつに。妃殿下と似てるんだろ? 不思議なこともあるもんだ。ま、妃殿下の神秘性が高まって俺としては使い勝手が良いけどな」
「駄目だ」
「なんだよ、俺が信用できないってか」
「そうじゃなく……とにかく、あれは駄目だ。お前以外にも、『あんな姿』は見せられない」
なにせ精霊はシュメルヒと同じ顔をしているのだ。
もちろん、顔が同じでも全く違う。精霊は表情豊かで、無邪気かと思えば、機嫌が悪くなると歯をむき出して威嚇する時もある。葡萄やりんご、へびいちごが好物で、与えてやると嬉しそうに頬張っている。
それはいいのだが……。
(服を着ていないからな……)
あれでシュメルヒと同じ顔でなければ、問題ないのだ。ただの男の上半身の裸体だ。だが、気を抜くとシュメルヒのあられもない姿を想像してしまい、申し訳ない気持ちになるのだ。血を飲んだことでシュメルヒの姿を写し取ったなら、もしや身体も……? 同じなのではないか。
考えると首から上……それに口に出せない場所に熱が溜まってしまう。だから、精霊の姿を他人に見せたくなかった。シュメルヒの裸体を見られた気分になるからだ。我慢ならない。到底許せないことだった。
「まあいい。ああいうのは近づきすぎると障りがある類のものだからな」
キリアスはあっさりと引き下がった。現実主義の人間らしい割り切り方だ、とヨアンは思った。
「それよりキリアス。イレニアの使節に妃の元婚約者がいるだろう」
「ああ、あの華やかなアルファの貴公子か。お前とは雰囲気が真逆だな」
キリアスは面白がるように評した。
「お前は、なんて言うか……偉そうな暴君って感じだ。なんでも自分の思い通りにしたい性格のな」
「それはお前が設定した公の場での『ヨアン殿下』だろ。ただの演技だ」
「効果があるんだから、文句言うなって。で、貴公子がどうしたって? いけ好かないから暗殺でもしろってか」
ヨアンは目を細めた。キリアスがにやつくのをやめ真顔になった。
「おい、まさか本当に」
「ジュール・ドランの内情を探ってくれ。なんでもいい。生い立ちから嗜好、性格、過去の素行や交友関係、恋人がいるのかどうか……」
「かまわないが、なんでまた……婚約は解消済みだろ? 気弱そうなお坊ちゃんだったぞ。なにもそこまで警戒しなくても」
「昔シュメルヒから聞いたジュールの人物像が気になっていたんだ。シュメルヒは彼を思いやりのある好人物だと言ってたが、俺には……優しさの仮面をかぶってシュメルヒを子供の時から支配していたように思える」
「子供の時からって……それは、いくらなんでも勘繰り過ぎじゃないのか?」
「それなら良いが……念のためだ。ただの勘だが、シュメルヒが自分の意志を殺して生きてきたのは、傍にいた人間の影響もあるんじゃないか。例えば、親切な振りをして相手の思考力を奪ったり、心配する振りで行動を抑圧されると、人形のようになっても不思議じゃない。シュメルヒは子供の頃、周囲に放置されて育ったんだ。大人が見ていない所で、そういう人間がずっと傍にいて操っていたとしたら?」
自力で馬に乗ることも、だれかと食事をとるのも禁止。自分の意見を言う前に、「君はこうだ」と決めつけ答えを奪う。ヨアンと出会った頃、シュメルヒは好きなものも、嫌いなものも答えられなかった。考えたことがないかのように質問自体に戸惑っていた。
今にして思えば、ただ<毒持ち>という体質だけでは説明がつかない程、心が幼く委縮していた。
そのことが、ずっと気になっていた。
四つ年上のシュメルヒが、まるで赤ん坊のように見えたのだ。あんなに凛として綺麗なのに、人形のように精彩を欠いていた。
人形は美しい。けれどヨアンは、シュメルヒを人形ではなく、人間にしたかった。本当のシュメルヒは、喜怒哀楽を持った人間だ。
ヨアンは彼を人間にしたいと思った。
キリアスが知ったら、「ガキの癖に御大層なことだ」とまた馬鹿にされそうだが、当時は本心からそう思ったのだ。
シュメルヒを雁字搦めにしていたものから自由にしてやりたかった。好きなものや嫌いなもの、したいことを口に出していいんだと教えたかった。なにより……シュメルヒに、シュメルヒ自身を大事にしてほしいと思った。
そのためには、自分がもっと大人にならなくてはならないと気付いたのだ。シュメルヒを支えてやるには、己の手はひ弱すぎたし、性根が幼いことも自覚してしまったから。
周囲の人間はヨアンが急成長したと口々に触れ回ったが、本当の理由はきっと誰も知らない。当のシュメルヒでさえも。シュメルヒに見合う男になるために、ヨアンは甘ったれた子供でいることを止めたのだ。
キリアスは首を傾け、ヨアンの言葉に考え込んでいた。
「依存と支配、か……相手を洗脳して言いなりにする術はあるが、あの坊ちゃんがそんなタマか? 想像もつかねえな」
「何も無ければ、別にいい。だが、わざわざ使節に元婚約者を紛れ込ませてきたのは気にかかる。シュメルヒとジュールを不用意に近づけさせないよう、お前も注意を払ってくれ」
もし、ヨアンの勘が当たっているとしたら。
幼いシュメルヒの心を支配したのが、ジュールだとしたら——。
ヨアンの目が暗く沈み、緑の奥にかすかに火花が明滅した。
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