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第七章:来訪者
7-6:黒土の上の交渉
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「―――宰相閣下」
ファティマの声は、まるで、先ほど、宰相が、その手で、感じた、あの、冷たい、しかし、生命力に、満ちた、「黒土」そのもののように、静かで、落ち着き払っていた。
彼女は、宰相の、背後で、緊張に、身を、固くしている、近衛の、騎士たちと、……その、宰相の、虚勢と、狼狽を、すべて、見透かすように、ゆっくりと、見渡した。
「……『弓を引く』、ですって?」
彼女は、ふ、と、本当に、小さく、……まるで、王都の、社交界で、つまらない、ジョークを、聞いた時のように、……わずかに、笑みを、浮かべた。
「……ご冗談を。……そのような、『面倒』なことを、……私たちが、する、必要が、どこに、ありますの?」
「……な、……に……?」
「……閣下。……あなた方は、三日間、……あの、『死の世界』を、……歩いて、こられたのでしょう?」
ファティマの、黒い、瞳が、……その、奥に、底知れない、憐れみの色を、宿して、……宰相を、見つめた。
「……あなた方は、……『飢え』て、いらっしゃる」
「…………っ!」
その、一言は、……宰相が、この、七十年、……他人を、見下す、ために、使ってきた、……どの、言葉よりも、……重く、……残酷な、「真実」だった。
飢えている。
そうだ、この、王国は、……この、宰相は、……この、王家は、……今、この、瞬間に、……飢えで、死に、かけているのだ。
「……わ、……ワシ、を、……侮辱、する、気か……! この、罪人が……!」
宰相は、最後の、力を、振り絞り、叫んだ。
「……いいえ」
ファティマは、静かに、首を、横に、振った。
「……侮辱では、ありません。……『事実』の、確認、です」
彼女は、一歩、前に、出た。
彼女の、背後に、あった、「麦の山」の、前に、……宰相との、間に、……立った。
「……そして、こちらは、……私(わたくし)たちの、『現実』です」
彼女は、自らの、背後にある、……あの、黄金の、麻袋の、山を、……泥の、染み付いた、手で、……優しく、撫でた。
「……これは、……エドガー組合長が、言った通り、……『棄民(わたしたち)』が、……この、死んだ、土地で、……血と、汗と、泥に、まみれて、……一年がかりで、育てた、……『命』です」
「…………」
「……これを、『命令』一つで、『献上』しろ、と、……あなたは、おっしゃる」
「……ですが、閣下。……もし、私(わたくし)たちが、……今日、これを、すべて、あなた方に、お渡し、したと、したら」
「……この、村の、子供たちは、……この、冬を、……越せません」
「……この、村の、老人たちも、……春を、迎えられません」
「……そして、何よりも、……来年、蒔く、ための、『種籾(たねもみ)』が、……なくなります」
ファティマの、言葉は、淡々としていた。
だが、その、一言、一言が、……宰相の、耳には、……まるで、死刑宣告の、ように、響いた。
(……来年、の、種……!)
そうだ。宰相は、気づいて、いなかった。
この、王国は、……今年の、冬を、越せない、だけ、ではない。
蝗害によって、……来年、蒔く、べき、……すべての、「種籾」すら、……食い、尽くされて、いたのだ。
つまり、……この、ファティマが、握っている、……「麦」は、……。
(……今年の、命(しょくりょう)であり、……)
(……来年の、命(たね)……!)
(……王国の、……『未来』、そのもの、……!)
宰相は、もはや、立っている、ことすら、困難になっていた。膝が、ガクガクと、震える。
「……ご理解、……いただけました、でしょうか」
ファティマは、……その、震える、老人を、……静かに、見据えた。
「……ですから、……『献上』は、できません」
「…………」
「……ですが」
彼女は、そこで、初めて、……あの、農協職員(みのり)の、……「交渉相手」に、対する、……完璧な、笑みを、浮かべた。
「……『バルケン農協・組合長代理』として、……『国王陛下(おうこく)』との、……『お取引』には、……喜んで、応じさせていただきます」
「…………」
「……私(わたくし)たちは、……この、『命(しょくりょう)』を、……提供、いたします」
「……さて、宰相閣下」
「……あなたは、……いえ、……『王国(おうこく)』は」
「……この、私(わたくし)たちの、『命(いのち)』と、『未来(たね)』に、……」
「……一体、『何』を、……お支払い、いただけます、かな?」
力関係の、完全な、逆転。
「強奪者」として、ここに、来た、宰相は、……今や、……みすぼらしい、「追放者」の、少女の、前に、……ひざまずき、……「命」を、乞わなければならない、……「交渉相手」に、堕ちたのだ。
宰相、ゲオルグ・フォン・ブラントは、……その、七十年の、人生で、味わった、ことのない、……完全な、……そして、絶対的な、……「屈辱」に、震えながら、……かすれきった、声で、……こう、問い返す、ことしか、できなかった。
「………………何が、……望み、だ」
ファティマの声は、まるで、先ほど、宰相が、その手で、感じた、あの、冷たい、しかし、生命力に、満ちた、「黒土」そのもののように、静かで、落ち着き払っていた。
彼女は、宰相の、背後で、緊張に、身を、固くしている、近衛の、騎士たちと、……その、宰相の、虚勢と、狼狽を、すべて、見透かすように、ゆっくりと、見渡した。
「……『弓を引く』、ですって?」
彼女は、ふ、と、本当に、小さく、……まるで、王都の、社交界で、つまらない、ジョークを、聞いた時のように、……わずかに、笑みを、浮かべた。
「……ご冗談を。……そのような、『面倒』なことを、……私たちが、する、必要が、どこに、ありますの?」
「……な、……に……?」
「……閣下。……あなた方は、三日間、……あの、『死の世界』を、……歩いて、こられたのでしょう?」
ファティマの、黒い、瞳が、……その、奥に、底知れない、憐れみの色を、宿して、……宰相を、見つめた。
「……あなた方は、……『飢え』て、いらっしゃる」
「…………っ!」
その、一言は、……宰相が、この、七十年、……他人を、見下す、ために、使ってきた、……どの、言葉よりも、……重く、……残酷な、「真実」だった。
飢えている。
そうだ、この、王国は、……この、宰相は、……この、王家は、……今、この、瞬間に、……飢えで、死に、かけているのだ。
「……わ、……ワシ、を、……侮辱、する、気か……! この、罪人が……!」
宰相は、最後の、力を、振り絞り、叫んだ。
「……いいえ」
ファティマは、静かに、首を、横に、振った。
「……侮辱では、ありません。……『事実』の、確認、です」
彼女は、一歩、前に、出た。
彼女の、背後に、あった、「麦の山」の、前に、……宰相との、間に、……立った。
「……そして、こちらは、……私(わたくし)たちの、『現実』です」
彼女は、自らの、背後にある、……あの、黄金の、麻袋の、山を、……泥の、染み付いた、手で、……優しく、撫でた。
「……これは、……エドガー組合長が、言った通り、……『棄民(わたしたち)』が、……この、死んだ、土地で、……血と、汗と、泥に、まみれて、……一年がかりで、育てた、……『命』です」
「…………」
「……これを、『命令』一つで、『献上』しろ、と、……あなたは、おっしゃる」
「……ですが、閣下。……もし、私(わたくし)たちが、……今日、これを、すべて、あなた方に、お渡し、したと、したら」
「……この、村の、子供たちは、……この、冬を、……越せません」
「……この、村の、老人たちも、……春を、迎えられません」
「……そして、何よりも、……来年、蒔く、ための、『種籾(たねもみ)』が、……なくなります」
ファティマの、言葉は、淡々としていた。
だが、その、一言、一言が、……宰相の、耳には、……まるで、死刑宣告の、ように、響いた。
(……来年、の、種……!)
そうだ。宰相は、気づいて、いなかった。
この、王国は、……今年の、冬を、越せない、だけ、ではない。
蝗害によって、……来年、蒔く、べき、……すべての、「種籾」すら、……食い、尽くされて、いたのだ。
つまり、……この、ファティマが、握っている、……「麦」は、……。
(……今年の、命(しょくりょう)であり、……)
(……来年の、命(たね)……!)
(……王国の、……『未来』、そのもの、……!)
宰相は、もはや、立っている、ことすら、困難になっていた。膝が、ガクガクと、震える。
「……ご理解、……いただけました、でしょうか」
ファティマは、……その、震える、老人を、……静かに、見据えた。
「……ですから、……『献上』は、できません」
「…………」
「……ですが」
彼女は、そこで、初めて、……あの、農協職員(みのり)の、……「交渉相手」に、対する、……完璧な、笑みを、浮かべた。
「……『バルケン農協・組合長代理』として、……『国王陛下(おうこく)』との、……『お取引』には、……喜んで、応じさせていただきます」
「…………」
「……私(わたくし)たちは、……この、『命(しょくりょう)』を、……提供、いたします」
「……さて、宰相閣下」
「……あなたは、……いえ、……『王国(おうこく)』は」
「……この、私(わたくし)たちの、『命(いのち)』と、『未来(たね)』に、……」
「……一体、『何』を、……お支払い、いただけます、かな?」
力関係の、完全な、逆転。
「強奪者」として、ここに、来た、宰相は、……今や、……みすぼらしい、「追放者」の、少女の、前に、……ひざまずき、……「命」を、乞わなければならない、……「交渉相手」に、堕ちたのだ。
宰相、ゲオルグ・フォン・ブラントは、……その、七十年の、人生で、味わった、ことのない、……完全な、……そして、絶対的な、……「屈辱」に、震えながら、……かすれきった、声で、……こう、問い返す、ことしか、できなかった。
「………………何が、……望み、だ」
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