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第八章:災厄
8-2:権威の崩壊
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「…………」
宰相ゲオルグは、ファティマが突きつけた「要求」を、その老いた頭の中で、反芻(はんすう)していた。
土地の所有権。
対等な物々交換。
追放者の完全な赦免。
一つ、一つが、この七十年、彼が築き上げてきた「王国」という名の、絶対的な「権威」と「ヒエラルキー」を、根底から、否定するものだった。
(……この、小娘が)
(……たかが、十六の、追放された、女が)
(……この、ワシに。……王国に)
(……『取引(ネゴシエーション)』ではなく、『降伏勧告(カピチュレーション)』を、突きつけている、と……!)
彼の、土気色だった顔が、じわじわと、血の気を取り戻していく。だが、それは、健康の色ではない。屈辱と、怒りに、よって、沸騰した、血液の色だ。脳の血管が、その老いたこめかみで、ドクドクと脈打っているのが見えた。
「……ク」
「……ク、ク……」
乾いた、笑い声が、彼の喉から、漏れ出した。それは、笑いというよりも、壊れた楽器が軋む音に近かった。
「……ク、クク……! クハハハハハハハ!」
場違いな、甲高い、狂ったような笑い声が、静かな集会所の、麦の山に、こだました。
近衛の騎士たちが、主人の、その異常な様子に、狼狽(うろた)えている。彼らもまた、目の前の少女の要求が、自分たちの信じる「王国」の秩序を、根本から覆すものであることを、理解していた。
「宰相閣下……?」
騎士団長が、訝しげに声をかける。
「……ファティマ! ……いや、小娘!」
宰相が、血走った、充血した目で、私を、睨みつけた。
「……貴様、……本気で、勝ったと、思っているのか?」
その顔は、もはや、老獪な政治家のものではなかった。
すべてを、奪われ、追い詰められた、老人の、醜い、最後の「意地」。彼は、自分が理解できない「現実(ファティマの要求)」を、自分が理解できる唯一の「現実(暴力)」で、塗り潰そうとしていた。
「……農協? 所有権? 対価? ……笑わせるな!」
彼は、懐から、あの、国王の「勅書」を、再び、叩きつけるように、床に、投げ捨てた。羊皮紙が、力なく床に広がる。
「……これは、『命令』だと、言ったはずだ! 王の言葉は、絶対だ! 貴様のような追放者に、拒否権など、ない!」
「……交渉は、決裂、ですかな?」
私の、冷たい問いに、宰相は、答えた。
「……決裂? ……クク、最初から、『交渉』など、存在、せんわ!」
彼の、皺(しわ)だらけの、手が、震えながら、剣の柄(つか)を握りしめている、近衛の騎士たちを、指差した。
「……貴様は、『現実』が、見えておらんらしい。……カイ・アシュトン(裏切り者)が、一人、おろうが、……この、二十の、精鋭の、近衛騎士団を、前にして、……まだ、そんな、寝言が、言えるとはな!」
宰相は、立ち上がろうとしてよろめき、しかし、騎士の肩を借りて、憎悪に満ちた顔で私を指差した。
(……ああ)
(……そう、来るのね)
(……この人、私の『黒土』も『麦』も、まだ、理解できていない)
(……彼にとっての『現実(ちから)』とは、今も、昔も、『暴力(それ)』だけなんだわ)
(……聖女の祈り(まやかし)にすがってきた、あなたたちらしい、短絡的な『答え』ね)
宰相は、もはや、私(ファティマ)との、会話を、やめた。
彼は、騎士団長と、おぼしき、屈強な、男に、命じた。その声は、狂気に近い甲高さを含んでいた。
「……隊長!」
「はっ!」
「……交渉は、ない! ……あの小娘(ファティマ)は、王家(おうけ)に、反逆(はんぎゃく)した、『賊』だ! ……あの、村長(エドガー)も、カイ(うらぎりもの)も、同罪!」
「……全員、斬り捨て、構わん!」
「……そして、そこにある、食料(むぎ)を、すべて、確保せよ! ……国王陛下の、御命令(ごめいれい)である!」
「…………」
騎士団長は、一瞬、その命令の「重さ」に、ためらった。だが、彼の主君である宰相の、血走った目を見て、即座に、その忠誠心を、狂信へと切り替えた。
「…………御意(ぎょい)!!」
騎士団長が、アルフレッド王子(・・・・・)と、寸分、違(たが)わぬ、狂信的な「権威主義」の、光を、その、瞳に、宿し、
シャリィィィン!!
集会所(のうきょう)の、中に、二十の、鋼(はがね)が、一斉に、鞘(さや)から、抜き放たれる、死の、音が、響き渡った。空気が一瞬で凍りつき、鉄の匂いが、麦の香りに取って代わった。
「……やれやれ」
私の、前に立つ、カイが、背中の、巨大な剣(クレイモア)を、ギシ、と、音を、立てながら、ゆっくりと、持ち替えた。その朴訥とした顔には、面倒くさそうな、しかし、一切の迷いのない表情が浮かんでいた。
「……結局、こうなるのか、『先生』。……話し合いで、堆肥(たいひ)は作れても、国の『腐敗(ふはい)』は、治せないらしい」
「……ええ」
私は、短く、息を、吐いた。
「……『話し合い(のうきょう)』が、通じない、相手も、いる。……それも、また、『現実』よ、『助手』。……私たちの『組合員(かぞく)』を、守るわよ」
戦いが、始まろうとしていた。
宰相ゲオルグは、ファティマが突きつけた「要求」を、その老いた頭の中で、反芻(はんすう)していた。
土地の所有権。
対等な物々交換。
追放者の完全な赦免。
一つ、一つが、この七十年、彼が築き上げてきた「王国」という名の、絶対的な「権威」と「ヒエラルキー」を、根底から、否定するものだった。
(……この、小娘が)
(……たかが、十六の、追放された、女が)
(……この、ワシに。……王国に)
(……『取引(ネゴシエーション)』ではなく、『降伏勧告(カピチュレーション)』を、突きつけている、と……!)
彼の、土気色だった顔が、じわじわと、血の気を取り戻していく。だが、それは、健康の色ではない。屈辱と、怒りに、よって、沸騰した、血液の色だ。脳の血管が、その老いたこめかみで、ドクドクと脈打っているのが見えた。
「……ク」
「……ク、ク……」
乾いた、笑い声が、彼の喉から、漏れ出した。それは、笑いというよりも、壊れた楽器が軋む音に近かった。
「……ク、クク……! クハハハハハハハ!」
場違いな、甲高い、狂ったような笑い声が、静かな集会所の、麦の山に、こだました。
近衛の騎士たちが、主人の、その異常な様子に、狼狽(うろた)えている。彼らもまた、目の前の少女の要求が、自分たちの信じる「王国」の秩序を、根本から覆すものであることを、理解していた。
「宰相閣下……?」
騎士団長が、訝しげに声をかける。
「……ファティマ! ……いや、小娘!」
宰相が、血走った、充血した目で、私を、睨みつけた。
「……貴様、……本気で、勝ったと、思っているのか?」
その顔は、もはや、老獪な政治家のものではなかった。
すべてを、奪われ、追い詰められた、老人の、醜い、最後の「意地」。彼は、自分が理解できない「現実(ファティマの要求)」を、自分が理解できる唯一の「現実(暴力)」で、塗り潰そうとしていた。
「……農協? 所有権? 対価? ……笑わせるな!」
彼は、懐から、あの、国王の「勅書」を、再び、叩きつけるように、床に、投げ捨てた。羊皮紙が、力なく床に広がる。
「……これは、『命令』だと、言ったはずだ! 王の言葉は、絶対だ! 貴様のような追放者に、拒否権など、ない!」
「……交渉は、決裂、ですかな?」
私の、冷たい問いに、宰相は、答えた。
「……決裂? ……クク、最初から、『交渉』など、存在、せんわ!」
彼の、皺(しわ)だらけの、手が、震えながら、剣の柄(つか)を握りしめている、近衛の騎士たちを、指差した。
「……貴様は、『現実』が、見えておらんらしい。……カイ・アシュトン(裏切り者)が、一人、おろうが、……この、二十の、精鋭の、近衛騎士団を、前にして、……まだ、そんな、寝言が、言えるとはな!」
宰相は、立ち上がろうとしてよろめき、しかし、騎士の肩を借りて、憎悪に満ちた顔で私を指差した。
(……ああ)
(……そう、来るのね)
(……この人、私の『黒土』も『麦』も、まだ、理解できていない)
(……彼にとっての『現実(ちから)』とは、今も、昔も、『暴力(それ)』だけなんだわ)
(……聖女の祈り(まやかし)にすがってきた、あなたたちらしい、短絡的な『答え』ね)
宰相は、もはや、私(ファティマ)との、会話を、やめた。
彼は、騎士団長と、おぼしき、屈強な、男に、命じた。その声は、狂気に近い甲高さを含んでいた。
「……隊長!」
「はっ!」
「……交渉は、ない! ……あの小娘(ファティマ)は、王家(おうけ)に、反逆(はんぎゃく)した、『賊』だ! ……あの、村長(エドガー)も、カイ(うらぎりもの)も、同罪!」
「……全員、斬り捨て、構わん!」
「……そして、そこにある、食料(むぎ)を、すべて、確保せよ! ……国王陛下の、御命令(ごめいれい)である!」
「…………」
騎士団長は、一瞬、その命令の「重さ」に、ためらった。だが、彼の主君である宰相の、血走った目を見て、即座に、その忠誠心を、狂信へと切り替えた。
「…………御意(ぎょい)!!」
騎士団長が、アルフレッド王子(・・・・・)と、寸分、違(たが)わぬ、狂信的な「権威主義」の、光を、その、瞳に、宿し、
シャリィィィン!!
集会所(のうきょう)の、中に、二十の、鋼(はがね)が、一斉に、鞘(さや)から、抜き放たれる、死の、音が、響き渡った。空気が一瞬で凍りつき、鉄の匂いが、麦の香りに取って代わった。
「……やれやれ」
私の、前に立つ、カイが、背中の、巨大な剣(クレイモア)を、ギシ、と、音を、立てながら、ゆっくりと、持ち替えた。その朴訥とした顔には、面倒くさそうな、しかし、一切の迷いのない表情が浮かんでいた。
「……結局、こうなるのか、『先生』。……話し合いで、堆肥(たいひ)は作れても、国の『腐敗(ふはい)』は、治せないらしい」
「……ええ」
私は、短く、息を、吐いた。
「……『話し合い(のうきょう)』が、通じない、相手も、いる。……それも、また、『現実』よ、『助手』。……私たちの『組合員(かぞく)』を、守るわよ」
戦いが、始まろうとしていた。
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