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第9話 春の花が咲く朝に
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春が本格的に訪れた。
雪解けの小川が音を立てて流れ、館の周りには鳥たちの声が響いている。
ミカはリアムと朝早くから花壇に出ていた。
霜に濡れた土の匂いが、どこか懐かしい。
膝をついて手を伸ばすと、スノードロップの間に紫の小さな花がひとつだけ咲いていた。
「……パンジー、咲いたんだ」
その声に、隣でリアムが顔を上げた。
「ほんとだ! ねぇミカ先生、ほら、見て見て!」
「うん、きれいだね。よく頑張って咲いたね」
二人は並んでしゃがみ込み、小さな花を覗き込む。
柔らかい風が吹いて、花弁が揺れた。
「ミカ先生、これってぼくが植えたやつだよね?」
「そうだよ。リアムくんが土をならしてくれたところ。」
「わぁ! じゃあぼくが育てたんだ!」
「うん。おめでとう。もう立派なお花の先生だね」
リアムの笑顔が弾ける。
その顔を見て、ミカの胸も自然と温かくなった。
――命を育てるって、こんなに嬉しいことなんだ。
前の世界でも、子どもたちと一緒に種を植えた春があった。
その記憶が胸をかすめる。
でも今は、それを懐かしむより、“今ここにいる自分”が大事だと思えた。
「パパにも見せよう!」
リアムが駆け出していく。
その姿を追いかけながら、ミカはふっと笑った。
◇
少しして、ダリウスが庭に姿を現した。
外套を羽織った姿はいつもより柔らかく、陽の光の中では不思議と優しい印象に見えた。
「リアムが大騒ぎしていた。“花が咲いた”と。」
「はい。……パンジーが咲いてくれました」
ミカが微笑みながら答える。
ダリウスはしゃがみ込み、その小さな紫の花を見つめた。
「強い花だな。寒さに負けず咲く」
「ええ。だから好きなんです。
……この花を見ると、頑張ろうって思えるんです」
ダリウスは小さく頷いた。
そして、視線をゆっくりとミカに移す。
「ゆう」
たった一言。ミカが目を見開く。
その名前を呼ばれただけで、胸がきゅっと熱くなった。
「……ここでは、そう呼ぶのは禁止だったか?」
「い、いえ、禁止なんて……でも、リアムくんの前で呼ばれたら、びっくりしちゃうかもしれません」
「そうだな。あの子の前では“ミカ”で通そう」
そう言って、ダリウスが小さく笑った。
それだけで、心臓の鼓動が跳ね上がる。
「……ゆう」
今度は誰にも聞こえないように、ごく静かにその名をもう一度呼ばれた。
まるであの夜の温室の続きのように。
「はい……」
ミカは俯いたまま、かすれた声で答える。
頬が熱い。風が通るたび、顔の温度が上がっていくのがわかる。
ダリウスは、そんな様子に気づいているのかいないのか、穏やかな声で言葉を継いだ。
「……お前が笑っていると、この庭が明るく見える」
「え?」
「この花より、お前の方が春を連れてきたようだ」
その言葉に、ミカの呼吸が止まった。
何も言えずに、ただ花壇の花を見つめる。
(な、なんか、どうしよう。恥ずかしいのに……嬉しいなんて。このままじゃ……)
「……僕なんて、ただ見守ってるだけですから」
「見守るというのはなかなか難しいものだ」
ダリウスの声が、低く、静かに響く。
「人の笑顔を守ることができる者は、そう多くない」
その言葉に、ミカの胸がじんと熱くなった。
何かを言おうとしたが、喉の奥が詰まって言葉にならない。
代わりに、そっと笑った。
「……ありがとうございます。」
春の風が二人の間を抜けていく。
花壇の花弁が揺れ、リアムの笑い声が遠くから響いた。
その穏やかな光景を見ながら、ダリウスは心の奥で小さく思う。
――この日々が、ずっと続けばいい。
ただそれだけで、充分だ。
◇
その夜、ミカは灯りを消した部屋の窓辺に立ち、外の花壇を見下ろしていた。
月の光が花々に落ち、淡く輝いている。
そのとき、遠く廊下を歩く足音が聞こえた。
そして、静かな声が聞こえてくる。
「ゆう?扉が開いたままになっていたが……」
「あ、すいません!気が付かなくて」
「いや。……まだ夜は冷える。暖かくして寝ろ」
「はい、ありがとうございます」
「……おやすみ、ゆう」
ダリウスはミカの髪をふわっと撫でると、そっと扉を閉めた。
ミカは胸の奥でそっとその名を呼び返す。
「おやすみなさい、ダリウス様」
閉じた扉の向こうで、夜風が春の香りを運んでいった。
“ゆう”という名前が呼ばれるたびに、この世界が少しずつ、自分の居場所になっていく。
それが嬉しいはずなのに、今はそれだけでは済まない想いがあふれてしまいそうになっている。
(どうしよう、ダリウス様の存在が……自分の中でどんどん大きくなっている。僕が好きになっても……)
今日もまた眠れないかもしれない。
ため息をつくと、ベッドに横たわった。
雪解けの小川が音を立てて流れ、館の周りには鳥たちの声が響いている。
ミカはリアムと朝早くから花壇に出ていた。
霜に濡れた土の匂いが、どこか懐かしい。
膝をついて手を伸ばすと、スノードロップの間に紫の小さな花がひとつだけ咲いていた。
「……パンジー、咲いたんだ」
その声に、隣でリアムが顔を上げた。
「ほんとだ! ねぇミカ先生、ほら、見て見て!」
「うん、きれいだね。よく頑張って咲いたね」
二人は並んでしゃがみ込み、小さな花を覗き込む。
柔らかい風が吹いて、花弁が揺れた。
「ミカ先生、これってぼくが植えたやつだよね?」
「そうだよ。リアムくんが土をならしてくれたところ。」
「わぁ! じゃあぼくが育てたんだ!」
「うん。おめでとう。もう立派なお花の先生だね」
リアムの笑顔が弾ける。
その顔を見て、ミカの胸も自然と温かくなった。
――命を育てるって、こんなに嬉しいことなんだ。
前の世界でも、子どもたちと一緒に種を植えた春があった。
その記憶が胸をかすめる。
でも今は、それを懐かしむより、“今ここにいる自分”が大事だと思えた。
「パパにも見せよう!」
リアムが駆け出していく。
その姿を追いかけながら、ミカはふっと笑った。
◇
少しして、ダリウスが庭に姿を現した。
外套を羽織った姿はいつもより柔らかく、陽の光の中では不思議と優しい印象に見えた。
「リアムが大騒ぎしていた。“花が咲いた”と。」
「はい。……パンジーが咲いてくれました」
ミカが微笑みながら答える。
ダリウスはしゃがみ込み、その小さな紫の花を見つめた。
「強い花だな。寒さに負けず咲く」
「ええ。だから好きなんです。
……この花を見ると、頑張ろうって思えるんです」
ダリウスは小さく頷いた。
そして、視線をゆっくりとミカに移す。
「ゆう」
たった一言。ミカが目を見開く。
その名前を呼ばれただけで、胸がきゅっと熱くなった。
「……ここでは、そう呼ぶのは禁止だったか?」
「い、いえ、禁止なんて……でも、リアムくんの前で呼ばれたら、びっくりしちゃうかもしれません」
「そうだな。あの子の前では“ミカ”で通そう」
そう言って、ダリウスが小さく笑った。
それだけで、心臓の鼓動が跳ね上がる。
「……ゆう」
今度は誰にも聞こえないように、ごく静かにその名をもう一度呼ばれた。
まるであの夜の温室の続きのように。
「はい……」
ミカは俯いたまま、かすれた声で答える。
頬が熱い。風が通るたび、顔の温度が上がっていくのがわかる。
ダリウスは、そんな様子に気づいているのかいないのか、穏やかな声で言葉を継いだ。
「……お前が笑っていると、この庭が明るく見える」
「え?」
「この花より、お前の方が春を連れてきたようだ」
その言葉に、ミカの呼吸が止まった。
何も言えずに、ただ花壇の花を見つめる。
(な、なんか、どうしよう。恥ずかしいのに……嬉しいなんて。このままじゃ……)
「……僕なんて、ただ見守ってるだけですから」
「見守るというのはなかなか難しいものだ」
ダリウスの声が、低く、静かに響く。
「人の笑顔を守ることができる者は、そう多くない」
その言葉に、ミカの胸がじんと熱くなった。
何かを言おうとしたが、喉の奥が詰まって言葉にならない。
代わりに、そっと笑った。
「……ありがとうございます。」
春の風が二人の間を抜けていく。
花壇の花弁が揺れ、リアムの笑い声が遠くから響いた。
その穏やかな光景を見ながら、ダリウスは心の奥で小さく思う。
――この日々が、ずっと続けばいい。
ただそれだけで、充分だ。
◇
その夜、ミカは灯りを消した部屋の窓辺に立ち、外の花壇を見下ろしていた。
月の光が花々に落ち、淡く輝いている。
そのとき、遠く廊下を歩く足音が聞こえた。
そして、静かな声が聞こえてくる。
「ゆう?扉が開いたままになっていたが……」
「あ、すいません!気が付かなくて」
「いや。……まだ夜は冷える。暖かくして寝ろ」
「はい、ありがとうございます」
「……おやすみ、ゆう」
ダリウスはミカの髪をふわっと撫でると、そっと扉を閉めた。
ミカは胸の奥でそっとその名を呼び返す。
「おやすみなさい、ダリウス様」
閉じた扉の向こうで、夜風が春の香りを運んでいった。
“ゆう”という名前が呼ばれるたびに、この世界が少しずつ、自分の居場所になっていく。
それが嬉しいはずなのに、今はそれだけでは済まない想いがあふれてしまいそうになっている。
(どうしよう、ダリウス様の存在が……自分の中でどんどん大きくなっている。僕が好きになっても……)
今日もまた眠れないかもしれない。
ため息をつくと、ベッドに横たわった。
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