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第1話 王子の独り言
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王城の広間に立つその姿を、誰もが憧れの眼差しで見つめていた。
第一王子──生まれながらに王位継承の最有力候補であり、民と臣下の誰からも「非の打ち所がない」と讃えられる存在。
彼が生まれたヴァルハイト王国は、大陸の中央に位置する大国である。
古くは幾度も戦乱に巻き込まれ、幾多の血で築かれた国土。
ゆえに「王族は常に強く、揺るがぬ光であれ」と教え込まれることは、この国の宿命であり伝統だった。
政務の場では冷静沈着、言葉に一切の揺らぎがない。
剣を取れば、誰も敵わぬほどの技を示し、無駄ひとつない所作で相手を圧倒する。
民の前に立てば、柔らかな笑みを浮かべ、誰もが安心する理想の王子として振る舞う。
──そう、完璧でなければならない。
完璧であることこそが、彼の存在価値だった。
「殿下、本日もお見事でございました」
「さすがは第一王子、陛下もきっとご安心でしょう」
そう口々に賞賛を浴びても、胸に湧くのは誇りではなかった。
それはむしろ鎖のように絡みつき、彼の心を締め付けてゆく。
膨大な量の執務を終えると、すでに夜は深い。
人払いが済み、誰も立ち入らない自室に戻ると、その鎖は重みを増してのしかかってきた。
豪奢な天蓋つきの寝台。金糸で刺繍されたカーテン。
見渡す限り、王族にふさわしい荘厳な装飾。
だがその輝きのすべてが、王子にとっては虚しく映る。
「……さすがは第一王子、か」
ぽつりと呟く声は、どこか嘲りを含んでいた。
完璧であることを求められ続け、弱音を吐くことも許されない日々。
誰にも弱さを見せられぬまま、ただ孤独に重圧を耐えるしかない。
その滑稽さに、時折自分自身が可笑しくなる。
笑い出したいほどの、虚しさ。
──その静寂の中に、彼は確かに感じていた。
「……いるのだな」
かすかな魔力の気配。
視線のように、背を撫でる存在感。
声も、姿も、名も知らない。
いつだったろうか、この気配に気が付いたのは。
もう随分と長く、当たり前のように傍にあった。
王族直属の影──王家の血を引く者にのみ付き従う、秘密の護衛。
その存在を知る者は限られており、公に語られることもない。
影はただ淡々と任務を果たし、主のために生き、そして死ぬ。
個の感情を持つことはなく、誰に対しても平等であることを掟とする存在。
本来なら、そんな不気味な気配は安らぎにはならないはずだ。
だが、王子にとっては唯一の救いだった。
暗い、誰もいないはずの部屋に満ちる気配。
それを感じるだけで、胸の痛みがすっと和らいでいく。
「……不思議なものだ」
王子はベッドに腰を下ろし、窓から差し込む月光を仰ぐ。
青白い光に照らされる横顔は、昼間の威厳ある姿とはまるで別人のように、儚げで寂しげだった。
「顔も、声も知らぬ存在に……安らぎを求めるなど」
自嘲する笑みが唇に浮かぶ。
だが、やがてその笑みは熱を帯びた囁きへと変わる。
「……もし許されるなら」
胸の奥に押し込めてきた願いが、月に引き出されるように零れ落ちる。
「私を痕が残るほどに抱きしめてくれないだろうか」
誰にも知られてはならない、愚かしくも切実な欲望。
完璧な王子であるはずの自分が、もっとも欲してやまないもの。
それは決して叶わぬ夢。
影は決して揺るがない。
誰にも平等であり、決して誰か一人のものになることはない。
──だからこそ。
叶わないと知りながら、彼の心はますます深く、影に囚われていく。
「……せめて、夢の中だけでも」
そう呟いて瞼を閉じれば、再びあの気配が満ちる。
冷たく、けれど不思議に心地良い気配。
第一王子の見えないところで、その影は確かに存在しているのだ。
──第一王子の孤独を、影は知っていた。
書物を閉じたあと、ふと夜風に吐き出すため息。
誰もいない自室で、ほんの一瞬見せる寂しげな横顔。
しかし影は、それに反応することはない。
慰めも、声掛けも、許されない。
影はただ沈黙の中で見守るだけ。
「……」
月光が揺れる寝台の上、王子は眠りに落ちようとしていた。
その瞼は伏せられ、呼吸は穏やかだ。
『……抱きしめて…………』
熱を帯びた願望。夢か現かもわからぬほど弱い声。
寝入り際に零れる囁きはすべて影の耳に届いていたが、眉ひとつ動かさなかった。
それが人の心を揺らすような響きだったとしても、影に揺らぎは許されない。
「……」
ただ、任務としてそこにいる。
影は静かに気配を薄めた。
守るべき主は、今夜も無事に眠りについている。
それだけを確認し、闇に溶ける。
翌朝、第一王子はまた完璧な仮面をまとい、宮廷に姿を現すだろう。
その仮面の裏で募る心を、影だけが傍で聞いていた。
──それは影にとって「任務の延長」にすぎないが、王子にとっての救いでもあった。
第一王子──生まれながらに王位継承の最有力候補であり、民と臣下の誰からも「非の打ち所がない」と讃えられる存在。
彼が生まれたヴァルハイト王国は、大陸の中央に位置する大国である。
古くは幾度も戦乱に巻き込まれ、幾多の血で築かれた国土。
ゆえに「王族は常に強く、揺るがぬ光であれ」と教え込まれることは、この国の宿命であり伝統だった。
政務の場では冷静沈着、言葉に一切の揺らぎがない。
剣を取れば、誰も敵わぬほどの技を示し、無駄ひとつない所作で相手を圧倒する。
民の前に立てば、柔らかな笑みを浮かべ、誰もが安心する理想の王子として振る舞う。
──そう、完璧でなければならない。
完璧であることこそが、彼の存在価値だった。
「殿下、本日もお見事でございました」
「さすがは第一王子、陛下もきっとご安心でしょう」
そう口々に賞賛を浴びても、胸に湧くのは誇りではなかった。
それはむしろ鎖のように絡みつき、彼の心を締め付けてゆく。
膨大な量の執務を終えると、すでに夜は深い。
人払いが済み、誰も立ち入らない自室に戻ると、その鎖は重みを増してのしかかってきた。
豪奢な天蓋つきの寝台。金糸で刺繍されたカーテン。
見渡す限り、王族にふさわしい荘厳な装飾。
だがその輝きのすべてが、王子にとっては虚しく映る。
「……さすがは第一王子、か」
ぽつりと呟く声は、どこか嘲りを含んでいた。
完璧であることを求められ続け、弱音を吐くことも許されない日々。
誰にも弱さを見せられぬまま、ただ孤独に重圧を耐えるしかない。
その滑稽さに、時折自分自身が可笑しくなる。
笑い出したいほどの、虚しさ。
──その静寂の中に、彼は確かに感じていた。
「……いるのだな」
かすかな魔力の気配。
視線のように、背を撫でる存在感。
声も、姿も、名も知らない。
いつだったろうか、この気配に気が付いたのは。
もう随分と長く、当たり前のように傍にあった。
王族直属の影──王家の血を引く者にのみ付き従う、秘密の護衛。
その存在を知る者は限られており、公に語られることもない。
影はただ淡々と任務を果たし、主のために生き、そして死ぬ。
個の感情を持つことはなく、誰に対しても平等であることを掟とする存在。
本来なら、そんな不気味な気配は安らぎにはならないはずだ。
だが、王子にとっては唯一の救いだった。
暗い、誰もいないはずの部屋に満ちる気配。
それを感じるだけで、胸の痛みがすっと和らいでいく。
「……不思議なものだ」
王子はベッドに腰を下ろし、窓から差し込む月光を仰ぐ。
青白い光に照らされる横顔は、昼間の威厳ある姿とはまるで別人のように、儚げで寂しげだった。
「顔も、声も知らぬ存在に……安らぎを求めるなど」
自嘲する笑みが唇に浮かぶ。
だが、やがてその笑みは熱を帯びた囁きへと変わる。
「……もし許されるなら」
胸の奥に押し込めてきた願いが、月に引き出されるように零れ落ちる。
「私を痕が残るほどに抱きしめてくれないだろうか」
誰にも知られてはならない、愚かしくも切実な欲望。
完璧な王子であるはずの自分が、もっとも欲してやまないもの。
それは決して叶わぬ夢。
影は決して揺るがない。
誰にも平等であり、決して誰か一人のものになることはない。
──だからこそ。
叶わないと知りながら、彼の心はますます深く、影に囚われていく。
「……せめて、夢の中だけでも」
そう呟いて瞼を閉じれば、再びあの気配が満ちる。
冷たく、けれど不思議に心地良い気配。
第一王子の見えないところで、その影は確かに存在しているのだ。
──第一王子の孤独を、影は知っていた。
書物を閉じたあと、ふと夜風に吐き出すため息。
誰もいない自室で、ほんの一瞬見せる寂しげな横顔。
しかし影は、それに反応することはない。
慰めも、声掛けも、許されない。
影はただ沈黙の中で見守るだけ。
「……」
月光が揺れる寝台の上、王子は眠りに落ちようとしていた。
その瞼は伏せられ、呼吸は穏やかだ。
『……抱きしめて…………』
熱を帯びた願望。夢か現かもわからぬほど弱い声。
寝入り際に零れる囁きはすべて影の耳に届いていたが、眉ひとつ動かさなかった。
それが人の心を揺らすような響きだったとしても、影に揺らぎは許されない。
「……」
ただ、任務としてそこにいる。
影は静かに気配を薄めた。
守るべき主は、今夜も無事に眠りについている。
それだけを確認し、闇に溶ける。
翌朝、第一王子はまた完璧な仮面をまとい、宮廷に姿を現すだろう。
その仮面の裏で募る心を、影だけが傍で聞いていた。
──それは影にとって「任務の延長」にすぎないが、王子にとっての救いでもあった。
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