鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可

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第3話 開かない扉

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 その夜も、牢の奥でエリアスは耳を澄ませていた。
 重い扉の軋む音、足音――ここに収容されてから毎夜のように現れていた。
 黄金の瞳を持つ支配者が。

 しかし、今宵は何も聞こえない。

 時間だけが冷たい牢を流れていく。
 エリアスは膝を抱え、背を壁に預けた。

「……来ない、のか」

 呟いた声は、自分でも驚くほど小さく、寂しげだった。
 捕虜が敵の訪問を待ち望むなど、誇り高き騎士にはあってはならない。
 胸の奥はざわめき、喉が乾いたように落ち着かない。

「馬鹿な……俺は………」

 必死に否定しようとする。
 頭に浮かぶのは金の瞳の輝き、傷を癒す手の温もり、囁きかける低い声。

 鎖が冷たく揺れた。
 それは今まで憎むべき枷の音だったはずなのに――今は違う。
 触れられない寂しさを思い出させる響きに変わっていた。

 胸の奥にこみ上げた痛みに、エリアスは顔を覆った。
 一筋の熱が瞳ににじむ。

「……俺はどうかしてる」

 誇りを守りたい心と、芽生え始めた想いが激しくぶつかり合い、夜は果てしなく長かった。

***

 重い扉の軋む音を、エリアスは息を詰めて待っていた。
 昨夜は来なかった。ほんの一晩だけ――それだけで、自分がどうしようもなく乱されるなど、思いもしなかった。

 今夜も、牢は静まり返ったままだ。

「……また、来ないのか」

 胸の奥がざわつく。
 会いたいわけではない。捕虜として敵を待つなど、誇りある騎士に許されないことだ。
 それでも心は逆らえず、落ち着きなく脈打つ。

「……俺は、おかしい……」

 混乱から逃れるように、両手を鎖にかけた。
 食い込む鉄を力任せに引き剥がそうとする。

 ぎり、と音を立て、皮膚が裂け、血が滲む。
 それでも歯を食いしばり、力を込め続けた。

「こんなもの……要らない……!」

 鎖があるから、皇帝を思い出す。
 この枷があるから、忘れられない。
 そう思い込んで必死に抗った。
 エリアスは自分の中に芽生える矛盾に苛立ち、鎖に繋がれた腕を壁に何度も打ち付けていた。

「くそっ……!」 

 痛みに顔を歪め、それでも誇りを失いたくなくて。

 そこへ鉄格子の音が響き、影が差す。

「……何をしている?」

 低く響いた声。振り返る間もなく、背後から強く抱き締められた。

「離せ!」

 もがく腕を押さえられ、冷たい鎖が鳴る。
 すぐに温もりが背に広がり、裂けた皮膚を癒す光が流れ込んでくる。

「なんで……? こんな、治す必要なんか……ないだろ!」

 思わず怯え混じりの声が零れる。

「許さぬ」

 短く返す声は、揺らぎのない低音。

「……は?」

 戸惑うエリアスは背後を振り返った。
 思った以上に近くにオルフェンの顔があった。
 金の瞳が真っ直ぐに自分を見据えている。

 壊れ物を扱うように、皇帝の手が顎を掴む。
 顔色を確かめるように、視線がゆっくりと滑った。
 誇りを貫いてきた騎士の心臓が、不本意にも大きく跳ねる。

 ――初めて、しっかりと目が合った気がした。

 その瞳に何を映されているのか、エリアスにはわからなかった。
 ただ、逃げられないことだけは痛いほど理解できた。

「……なぜ」

 低い声が闇を震わせた。
 エリアスの両手は血に濡れ、鎖を必死に掴んだままだった。

「なぜ、こんなことをする?」

 オルフェンの声に、いつもの余裕はなかった。

「……来ないからだ……!」

 エリアスは喉を震わせ、荒い息を吐きながら叫んだ。

「たった一晩……来なかっただけで、俺は……! こんなに……おかしくなるなんて……!」

 血に濡れた指先が震える。
 涙ではなく、怒りと恐怖と混乱が入り交じった顔に、オルフェンはしばし言葉を失った。

 オルフェンの手が、血で濡れた鎖を掴むエリアスの指を強引に引き剥がした。

「やめろ」

 低く、怒気を帯びた声。
 力強く掴まれた手首は、抵抗できぬほど震えていた。
 裂けた皮膚から血が滴り、骨まで痛む感覚にエリアスは顔を歪める。

「放せ……! 俺は……!」

「黙れ」

 皇帝の声は鋭く、同時に魔力の光が迸った。
 蒼白い輝きが手のひらに集まり、傷口を包み込む。
 焼けるような痛みの後に、温もりがじんわりと広がった。
 血に濡れた手は、次第に滑らかな肌を取り戻していく。

「……なんで……?」

 掠れる声で問うと、黄金の瞳が容赦なく射抜いてきた。

「お前に傷がつくことは許さない」

 その言葉に、胸の奥が激しく震える。
 捕虜の身でありながら、守られるような感覚――それは屈辱のはずなのに、どこか安堵を与えてしまう。

 オルフェンは癒し終えた手を離さなかった。
 むしろ強く握り込み、耳元で低く囁いた。

「――お前は私のものだ」

 逃げ場を与えぬように、顎を持ち上げられ、唇が重なった。
 今度は拒む余地もなく、深く、強く。
 抗う心が軋み、誇りと甘さが激しく衝突する。

「っ……やめ……」

 震える声で抗いながらも、涙が一粒だけ頬を伝った。

 オルフェンはそれを見逃さず、口元を歪める。
 勝者の笑みではなく、狂おしいまでの渇望を孕んだ笑み。

「……お前はもう、私を拒めない」

 鎖が鳴り、牢の闇に響いたその音は――もはや枷ではなく、二人を結ぶ印のように聞こえた。
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