鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可

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第4話 皇帝の部屋

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 その夜、地下牢はいつも以上に静まり返っていた。
 鎖に繋がれたままのエリアスは、疲労に抗い切れず、石床に身を横たえていた。
 冷気に晒されながらも、眠りは深く、わずかに眉を寄せている。

 ――鉄格子が軋む音。
 彼は目を覚まさなかった。

 闇の中に現れた影は、ゆっくりと牢に入ってくる。
 漆黒の外套を翻した皇帝オルフェン。その黄金の瞳が、床に眠る騎士の姿を捉えた。

 鎖の鳴る音が耳に障る。
 あまりにも無防備に横たわる姿に、鋭い瞳がかすかに揺れた。

 オルフェンは静かにしゃがみ込み、壊れ物に触れるような手つきでエリアスを抱き上げた。
 血と汗の匂いが混じった体から伝わる熱は、確かに“生きている”証だった。

「……待たせたな」

 低い囁きが、夜気に溶けた。

 騎士を呼ぶことなく、皇帝自らエリアスを抱いたまま牢を後にする。
 石段を上がり、奥深い宮殿の廊下を進み、たどり着いたのは自らの私室だった。

 重厚な天蓋付きの寝台に、静かにその体を横たえる。
 硬い床に慣れた体は、柔らかなシーツに戸惑うように微かに動いた。

 オルフェンは額にかかる栗色の髪を払い、顔色を確かめる。
 安らかな寝息が漏れるのを見届けると、その唇がかすかに緩んだ。

「……お前は、ここに囚われればいい」

 その呟きは、眠る騎士の耳には届かない。

***

 翌朝、エリアスが目を覚ますと、そこは見知らぬ豪奢な寝台の上だった。
 慌てて起き上がり、鎖の音を探す。両手には、すでに鉄の重みはない。

「……ここは……?」

 部屋の奥から黄金の瞳が現れる。
 漆黒の皇帝が静かに近づき、低く告げた。

「……目覚めたか」

 低い声に振り返ると、漆黒の皇帝が椅子に腰掛け、こちらを見下ろしていた。
 黄金の瞳は、捕らえた獲物が逃げぬか見極めるように光っている。

「……?」

「私の私室だ」

 淡々と告げられ、血が逆流するような怒りが込み上げる。

「ふざけるな! 俺を牢に戻せ!」

 怒声を上げるも、オルフェンはわずかに唇を吊り上げただけだった。

「牢など不要だ。……お前はここで過ごせ」

 その言葉が、この場所こそが真の牢獄であることを告げていた。

「俺は騎士だ! 敵国の皇帝に飼われるくらいなら死んだほうがましだ!」

 叫びとともに近くの机を蹴飛ばす。
 散らばる紙やインク壺が床に転がる。

 しかしオルフェンは眉ひとつ動かさず、むしろ愉快そうに立ち上がった。
 近づいてくる気配に、思わず身を退こうとするが、足が上手く動かない。

 オルフェンは壊れ物を扱うように顎を掴み、顔を覗き込んだ。
 金の瞳が、拒絶と怒りと恐怖が混じる灰青の瞳を愉しげに見つめる。

「この瞳が、私だけを写すならば……嘸かし気分が良いだろうな」

 囁きが鼓膜を震わせ、心臓を無理やり早鐘にする。

「っ……離せ!」

 反抗の声も、皇帝の唇に近すぎて、震えを隠しきれなかった。

「無駄だ。お前はここから出られない」

 エリアスは思わず壁に寄り掛かった。
 牢の冷たさに慣れた体には、この豪奢な空間がむしろ残酷に思えた。

「そんなの、牢より……残酷だ……」

 小さく吐き出した声が震える。
 オルフェンは微かに笑い、指先でエリアスの頬を撫でる。

 鎖はもう外されている。
 エリアスは、自分が以前よりも逃げられないことを悟った。
 牢の鉄枷よりも、皇帝の魔術と執着の方がずっと強い枷となっていた。

「お前は私のものだ。ここで、私の傍で生きろ」

 心臓が激しく脈打つ。
 誇りが叫ぶ――抗え、と。
 しかし胸の奥のどこかが、オルフェンの腕に安堵を覚えていた。

「……俺は……」

 言葉を紡げず、エリアスはただ目を閉じた。
 鎖の音はもう聞こえない。皇帝の瞳が代わりに、見えない鎖となって彼を縛っていた。

 重苦しい沈黙が私室を満たす。
 エリアスは拳を握りしめ、己の誇りを必死に支えながらも、胸の奥に芽生えつつある別の感情を振り払おうとした。
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