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第3話 猫化の秘密
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夜のグレイハースは静かだ。
外では風が家の壁をやさしく叩き、暖炉の火がぱちぱちと息をしている。
アッシュは寝台の上で膝を抱えた。
夕食を終え、ロウガンが片付けをしている音が小さく響く。
(……まずい。そろそろだ)
体が熱を帯びてきている。
気配を察知して、皮膚の内側が細かく震えている。
呪いの“変化の時刻”が近いのだ。
毎晩――人間でいられるのは夜の初めだけ。
夜が深くなると、人間の姿を保てなくなり、猫に戻る。
(見られたくない……)
ロウガンの前で、あの姿になったら、きっと喉を鳴らして甘えてしまう。
「おい、薬飲んだか?」
背後から声がした。
アッシュはびくっと肩を跳ねさせる。
「の、飲んだ……!」
「そうか。なら、横になってろ。痛まねぇように布団で温めてやる」
ロウガンが歩み寄ってくるたび、木の床が低く軋む。
その音が近づくごとに、アッシュの脈が早まる。
(やばい……! 本当にそろそろ……)
「顔が赤いな。寒いのか?」
「い、いや……! 近づくな……!」
「なんだ、お前また震えて――」
ロウガンが手を伸ばした瞬間、アッシュの視界が、ぱちんと弾けた。
骨が柔らかく折り畳まれるような、不思議な感覚。
床が遠くなり、世界が広がり、鼻先の高さが下がる。
そして無意識のうちに、口からちいさく――
「……にゃ~……」
という、聞きたくもない甘い声が漏れた。
「…………」
「…………ッ!!!?」
二人の時間が、ぴたりと止まった。
ロウガンは目を瞬かせ、見下ろした。
アッシュは毛布の間に――黒猫の姿で、ちょこんと座り込んでいた。
青い瞳だけが人間の面影を残している。
「お前……」
(み、見られた!)
アッシュは布団に潜ろうと慌てるが、猫の体ではうまくいかない。
布に前足がもつれ、もぞもぞ動くだけ。
「……マジで猫になったな」
「……」
「なんだ、隠したかったのか?」
「にゃっ!!」
否定したいのに、出る声は可愛い。
それがまた腹立たしくて、猫の尻尾が床をびたん、と叩く。
しかしロウガンは、その怒りすら“可愛いもの”として扱った。
「なるほど……夜は猫になっちまうんだな」
「にゃぁ……」
(ちがっ……違う……そんな撫でるような口調で言うな……!)
「ふむ……」
ロウガンが、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
巨大な影が、そっとアッシュに被さる。
その瞳は、昼間よりも柔らかい。
「……ほら、こっち来い」
「にゃ、にゃあっ!?」
抱き上げられた。
昨夜と同じように、胸のあたりへそっと持ち上げられる。
アッシュは暴れようとした――のに、
(あ……)
ロウガンの胸元に頬が触れると、その温かさに昨夜、吹雪の中で拾われたときの強烈な「安心」の記憶が蘇ってしまう。
気づけば、ロウガンの腕の中で体が勝手に丸まっていた。
「……お前、本当に小さいな」
ロウガンの手が、額から耳の後ろへ滑る。あたたかい。
「ごろ……」
(鳴くなって、俺!)
頭の中では否定するのに、喉は本能に負けて甘い音を震わせる。
「はは……」
ロウガンは声を低くして笑った。
「可愛いな、お前」
「にゃぅっ!?///」
その一言が、アッシュの自尊心を粉々に砕いた。
(か、可愛いって……俺は騎士だぞ……何を……!)
「どっちの姿も悪くねぇが……猫のお前は特に可愛い……な」
「にゃああああ!!///」
耐えられず、アッシュは胸元でばたばたと暴れた。
しかし前足で押しても押し返される力は弱い。
「ほら、暴れるな。傷が開くだろ」
ロウガンは両手で優しく包み込み、撫で続けた。
その撫で方は、アッシュが最も気持ちいい角度を知っているかのようだ。
「……ふぅん。人のときはツンツンしてるくせに、猫だとこうなるのか」
「にゃぁ……!」
(ううう……言い返したい……でも声が猫……)
尻尾が無意識に揺れる。
耳が伏せられ、喉が勝手に鳴る。
これだけでも充分に恥ずかしいのに、ロウガンは続けた。
「……もっと近づけばいい。ほら」
「にゃっ?」
ロウガンは椅子に座ると、アッシュを膝の上に乗せた。
アッシュは思わずロウガンを見上げる。
前足を伸ばすと、ロウガンはアッシュを胸元に抱いた。
ロウガンの顔がすぐそばにあり、その横顔は、思っていたよりも優しかった。
「ずっとこうしててやるから」
「……んにゃ……」
(だめだ……これ……めちゃくちゃ安心する……)
アッシュはロウガンの首元に頬を寄せるように体を伸ばし、自分の頬や耳を擦り付ける。
ロウガンはその様子に目を細めた。
「……やっぱ、どっちの姿でも、お前は可愛いな」
「ーーーッ!!!」
アッシュの心の中で、騎士の誇りが崩れ落ちる音がした。
(もういっそ……朝になったら逃げようか……いや無理だ……こいつの家、暖かいし……
俺、この感じ……嫌いじゃないし……)
自分自身への困惑と羞恥で心が大騒ぎしているのに、猫の体は幸せそうに丸くなり、喉を震わせ続けている。
ロウガンはその震えを聞きながら、ぽつり、と呟いた。
「朝はまた人間か……あれはあれで、可愛いんだよな」
「にゃあああ!!///」
(やめろってば……!!)
しかしロウガンの手は止まらない。
背中も、耳の根元も、全部気持ちいい場所を撫でてくる。
「まぁどっちでも、ちゃんと守ってやる」
「……にゃ……」
その言葉は、猫の姿のアッシュの胸に深く落ち、人間のアッシュの心をさらに混乱させていくのだった。
外では風が家の壁をやさしく叩き、暖炉の火がぱちぱちと息をしている。
アッシュは寝台の上で膝を抱えた。
夕食を終え、ロウガンが片付けをしている音が小さく響く。
(……まずい。そろそろだ)
体が熱を帯びてきている。
気配を察知して、皮膚の内側が細かく震えている。
呪いの“変化の時刻”が近いのだ。
毎晩――人間でいられるのは夜の初めだけ。
夜が深くなると、人間の姿を保てなくなり、猫に戻る。
(見られたくない……)
ロウガンの前で、あの姿になったら、きっと喉を鳴らして甘えてしまう。
「おい、薬飲んだか?」
背後から声がした。
アッシュはびくっと肩を跳ねさせる。
「の、飲んだ……!」
「そうか。なら、横になってろ。痛まねぇように布団で温めてやる」
ロウガンが歩み寄ってくるたび、木の床が低く軋む。
その音が近づくごとに、アッシュの脈が早まる。
(やばい……! 本当にそろそろ……)
「顔が赤いな。寒いのか?」
「い、いや……! 近づくな……!」
「なんだ、お前また震えて――」
ロウガンが手を伸ばした瞬間、アッシュの視界が、ぱちんと弾けた。
骨が柔らかく折り畳まれるような、不思議な感覚。
床が遠くなり、世界が広がり、鼻先の高さが下がる。
そして無意識のうちに、口からちいさく――
「……にゃ~……」
という、聞きたくもない甘い声が漏れた。
「…………」
「…………ッ!!!?」
二人の時間が、ぴたりと止まった。
ロウガンは目を瞬かせ、見下ろした。
アッシュは毛布の間に――黒猫の姿で、ちょこんと座り込んでいた。
青い瞳だけが人間の面影を残している。
「お前……」
(み、見られた!)
アッシュは布団に潜ろうと慌てるが、猫の体ではうまくいかない。
布に前足がもつれ、もぞもぞ動くだけ。
「……マジで猫になったな」
「……」
「なんだ、隠したかったのか?」
「にゃっ!!」
否定したいのに、出る声は可愛い。
それがまた腹立たしくて、猫の尻尾が床をびたん、と叩く。
しかしロウガンは、その怒りすら“可愛いもの”として扱った。
「なるほど……夜は猫になっちまうんだな」
「にゃぁ……」
(ちがっ……違う……そんな撫でるような口調で言うな……!)
「ふむ……」
ロウガンが、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
巨大な影が、そっとアッシュに被さる。
その瞳は、昼間よりも柔らかい。
「……ほら、こっち来い」
「にゃ、にゃあっ!?」
抱き上げられた。
昨夜と同じように、胸のあたりへそっと持ち上げられる。
アッシュは暴れようとした――のに、
(あ……)
ロウガンの胸元に頬が触れると、その温かさに昨夜、吹雪の中で拾われたときの強烈な「安心」の記憶が蘇ってしまう。
気づけば、ロウガンの腕の中で体が勝手に丸まっていた。
「……お前、本当に小さいな」
ロウガンの手が、額から耳の後ろへ滑る。あたたかい。
「ごろ……」
(鳴くなって、俺!)
頭の中では否定するのに、喉は本能に負けて甘い音を震わせる。
「はは……」
ロウガンは声を低くして笑った。
「可愛いな、お前」
「にゃぅっ!?///」
その一言が、アッシュの自尊心を粉々に砕いた。
(か、可愛いって……俺は騎士だぞ……何を……!)
「どっちの姿も悪くねぇが……猫のお前は特に可愛い……な」
「にゃああああ!!///」
耐えられず、アッシュは胸元でばたばたと暴れた。
しかし前足で押しても押し返される力は弱い。
「ほら、暴れるな。傷が開くだろ」
ロウガンは両手で優しく包み込み、撫で続けた。
その撫で方は、アッシュが最も気持ちいい角度を知っているかのようだ。
「……ふぅん。人のときはツンツンしてるくせに、猫だとこうなるのか」
「にゃぁ……!」
(ううう……言い返したい……でも声が猫……)
尻尾が無意識に揺れる。
耳が伏せられ、喉が勝手に鳴る。
これだけでも充分に恥ずかしいのに、ロウガンは続けた。
「……もっと近づけばいい。ほら」
「にゃっ?」
ロウガンは椅子に座ると、アッシュを膝の上に乗せた。
アッシュは思わずロウガンを見上げる。
前足を伸ばすと、ロウガンはアッシュを胸元に抱いた。
ロウガンの顔がすぐそばにあり、その横顔は、思っていたよりも優しかった。
「ずっとこうしててやるから」
「……んにゃ……」
(だめだ……これ……めちゃくちゃ安心する……)
アッシュはロウガンの首元に頬を寄せるように体を伸ばし、自分の頬や耳を擦り付ける。
ロウガンはその様子に目を細めた。
「……やっぱ、どっちの姿でも、お前は可愛いな」
「ーーーッ!!!」
アッシュの心の中で、騎士の誇りが崩れ落ちる音がした。
(もういっそ……朝になったら逃げようか……いや無理だ……こいつの家、暖かいし……
俺、この感じ……嫌いじゃないし……)
自分自身への困惑と羞恥で心が大騒ぎしているのに、猫の体は幸せそうに丸くなり、喉を震わせ続けている。
ロウガンはその震えを聞きながら、ぽつり、と呟いた。
「朝はまた人間か……あれはあれで、可愛いんだよな」
「にゃあああ!!///」
(やめろってば……!!)
しかしロウガンの手は止まらない。
背中も、耳の根元も、全部気持ちいい場所を撫でてくる。
「まぁどっちでも、ちゃんと守ってやる」
「……にゃ……」
その言葉は、猫の姿のアッシュの胸に深く落ち、人間のアッシュの心をさらに混乱させていくのだった。
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