鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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二章

11. 砂吐く研究室とトラウマの終焉②

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 1限の必修英語の授業を終え約2週間ぶりに食堂へ繰り出した鳴成と月落は、指定席と化している教員用スペースの奥でゆっくりと食事をしていた。

「久しぶりに来るとメニューがガラッと変わっていて楽しいですね?」

 大盛のロコモコ丼に豆腐チャンプルー、春雨サラダを食べる月落が美味しそうに咀嚼しながら言う。

「ホテルの皆さんが用意してくださった料理もどれも美味しかったですが、この空間で食べるお昼はここでしか味わえないので、特別感がありますね。たったの2週間でしたが、何だか懐かしい気持ちがします」

 春キャベツとポルチーニのクリームパスタにトマトとタコのマリネ、ヴィシソワーズを選んだ鳴成がそう返した。
 7割方が埋まっているスペースで、相変わらず周囲が閑散とした浮島のような状態で会話をしていると、鳴成の隣にぬぬぬっと現れた人影があった。

「これはこれは、奇遇だ奇遇だ。鳴成さんと月落さんじゃないですか」

 それは、臙脂のアーガイルベストを身に纏った文学部准教授の烏丸誠吾だった。
 丸々とした体形がキャラクター的な雰囲気を醸し出す、生徒に人気のおじさん教員だ。
 相変わらず大量の汗をハンカチで拭っている。

「ご一緒してもいいかな?」
「ええ、どうぞ。食堂では初めてお会いする気がするんですが、烏丸さんも食堂ユーザーでいらっしゃったんですね」
「普段は妻が作ってくれるお弁当なんだけど、先週から体調を崩した義母の看病で実家に帰っていてね。情けないことに僕は料理ができないから、今週は食堂のお世話になろうと思ってまして」

 そう言う烏丸のトレイには、ざる蕎麦としらす丼が乗っている。
 頬をまん丸に盛り上げて丼を頬張る姿に、生徒から『誠吾モン』と呼ばれていることを唐突に思い出した月落は、咽そうになるのを必死で堪えた。

 ゆるキャラが赤いほっぺで純和風な食事をしている。
 その画の強さに、喉の奥が引き攣るほどの笑いが込み上げて正直とてもつらい。
 月落との意思疎通がスムーズにできる鳴成さえも、一体どうしたのだという表情で見つめてくるため、月落は仕方なく孤独に戦う。

「年齢的にまだまだ若いっていうのもあるだろうけど、月落さんは凄い量食べるんだね」
「どうも燃費が悪いようなんです」

 感心しながらそう言う烏丸に、ペットボトルの水を飲んで何とか落ち着いた月落はそう返答する。

「身体も大きいもんね。その車体を動かすために、エネルギーも多量に必要になるのは納得だな」
「これだけ食べても夕方にはきちんとお腹が空くと言えば、烏丸さんはもっと驚くでしょうね」

 クリームパスタの最後の一巻きを食べ終えた鳴成が秘密を打ち明けるように言うのへ、蕎麦を啜っていた烏丸がさらに驚く。

「え?そうなの?」
「はい。いつも18時頃は空腹で、若干魂が飛んでいる時もあります」
「ちなみに今日は何限まで?」
「4限までです。先生、1限の必修英語で回収したプリントの残りの採点と、来週用の資料作りはきちんとやりますので、終わったら夕飯を一緒に食べませんか?」
「そうしましょう」
「駅ビルに新しく鉄板焼きのお店が入ったんですが、結構評判が良いようなのでそこにしますか?」
「ええ、是非。烏丸さんもご一緒にどうですか?奥様がご不在となると夕飯もおひとりなのでは?」
「いやぁ、嬉しい嬉しい。お誘いいただけで光栄なんだけど、今日は見かねた娘がご飯を作りに来てくれるというので、親子で食卓を囲もうと思ってるんです。申し訳ない」
「優しい娘さんですね」
「そうなんだよね、文句言いながらもちょこちょこ様子を見に来てくれるから、有難くてね」

 丼の中で散らばったしらすを箸で搔き集めながら最後の一口を食べ終えた烏丸がお茶を飲んでいると、教員用のスペースの入口に数名の男性がやって来た。
 紺色のツナギを着た、技術系の職員だ。
 月落の記憶が正しければ、外国語学部事務系職員の許斐ヨリ子と昼食を共にした時に集まっていたのと同じ顔ぶれであるように思う。

「で、俺たちはあれを片付けなきゃなんないって?だから言っただろう、無駄だって」
「でしたね。結局たったの一回しかお使いにならなかったですね」
「まさかこんなに早く大学から逃げ出すとは、俺も思ってなかったっすね」
「俺ら絶対反対だって言ったのにな。なぁ、辻?政治家の娘さんが大学で授業しようと思うこと自体が間違ってたんだって」
「まぁまぁ、法学部の事務職員さんからも謝罪をいただいちゃったんで、文句言わずに撤去しましょう」
「事務さん達も被害を被ったのに、色んなところにお詫び行脚してて大変そうだよなぁ」

 会話をしながら横を通り過ぎる紺色の群れを目で追いながら、烏丸が顎に手を当てながらふんふんと納得したように頷いた。

「いやぁ、びっくりびっくり。あの噂は本当だったんだ」
「噂ですか?」
「法学部で今年から教鞭を執っていた粕川春乃さんっていう人を、鳴成さんは知ってる?」

 食堂ユーザーではないと言っていた烏丸だ、鳴成が気を失って倒れた件に関しては知らないらしい。
 尤もあの件に関しては、事務職員の許斐が瞬時に緘口令を敷いたため、広まりが最小限に抑えられたことにも起因しているのだろう。
 現地で人気のタイのお菓子を調べて、あとで許斐に差し入れしようと月落は心に決めた。

「ええ、多少は耳にしています」
「その人、今日付けで教員を辞めたそうだよ」
「え?」
「正しくは昨日の夜付けかな?法学部の学部長に、お父様の粕川勝造議員から直接申し出があったって。何でも健康上の理由らしいね」

 鱧屋といい、許斐といい、烏丸といい、自分たちの周りには情報通が多く集うのは何故なんだろう。
 リサーチ力が凄い。
 世間に対して張り巡らせているアンテナの数が違うのだろうか?
 鳴成がそう疑問に思っていると、前に座る青年と目が合う。

 そして、思う。
 自分のテリトリー内で一番の情報通は、間違いなく彼だ。

「烏丸准教授、よくご存じですね」
「文学部は事務室のあるメイン館で授業することが多いから、事務系職員と話す機会も多いんだよね。退職するとなると色々と手続きが必要になるから、職員の皆さんの間でそういう話題が広がるのが速いらしくて、僕もそういうのを聞く機会が自然と多くなってね」
「粕川春乃さんが採用された時にも、法学部事務職員の方は火を噴くような忙しさだったと聞きましたが、それがたったの2か月で無に帰するとなると心労はさらに募りそうですね」
「おや、月落さんも色々詳しそうだね」
「いえ、事務の許斐さんに教えてもらったことだけですね」

 さり気なく言うが、それだけではないことを鳴成は知っている。
 昨日遅く、月落から送られてきたメッセージ、そこにはこう書かれていた。

『粕川春乃は二度と、先生の前に現れません』

 そして昨日付けで彼女が辞職したのであればそれは、明らかにその人の進退に関して月落本人か彼の親族が手を下したという証拠である。

「まぁ、粕川先生の授業はそもそもやっつけ感が凄すぎて初めから崩壊してたようだし、法学部の学部長も頭を抱えてたみたいだから、早いとこ切り上げられて逆に助かったかもね」
「一番困るのは学生ですね。紆余曲折あっても受講を決めて臨んでいた訳ですから」
「粕川議員と少しでも関りのある生徒は問答無用で受講を強要されたようだから、もしかしたらみんな喜んでるんじゃないかって憶測が飛んでるよ。残りの授業は、法学部の先生たちが入れ替わり立ち替わりで授業するようだから、もしかしたらレアキャラが出てくるかもって期待する声もあるみたいだし」
「そうなんですね。学生の利益になるのなら、良かったです。これから安心して過ごせそうですね……ね、先生?」

 自分と視線を合わせる彼は、きっと何もかもを知っている。
 事の顛末を尋ねれば包み隠さず教えてくれるだろうが、鳴成にそれを訊くつもりは今のところない。

 粕川春乃は今後一生思い出したくない対象であり、過去を自ら掘り下げるのは正直怖い。
 必要なことは全て説明してくれる月落が、あのメッセージだけで終わらせるつもりなのであればそれ以上は求めない。
 深追いせずそのまま放置しておくのも、ある種の勇気だ。
 あとは、記憶が薄れていくのをゆっくり待つのみである。

「大丈夫です、先生。これから沢山楽しい思い出を作りましょうね。昔のことなんて思い出せなくなるくらい」
「ええ、きみといればそれが叶う気がします」
「約束します」




 大声で泣き腫らした、幼い日の記憶が、風に吹かれて、攫われる。

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