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二章
15. 見合いは喜劇か悲劇か①
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「月落渉と申します。長峰さんとは以前お会いしたことがあるようだと伺っておりますので、ご無沙汰しております。本日は短い時間ですが、思い出のひとつにでもなれば幸いです」
襟付きダブルベストが主役のライトグレーの三つ揃えを、ノーネクタイですっきりと魅せている見目麗しい青年の、何ともすっきりとしすぎている挨拶に、横に座っている弓子の眉がぴくりと上がる。
特に最後の一言は、どう考えても『発展させるつもりはない、金輪際会うつもりはない』と遠回しに伝えているも同然だ。
この程度の隠喩が理解できない相手ならば、その知力が自ずと推し量れる。
「……渉さん、もう少しお話をされてもお時間にまったく問題はございませんわぁ」
「これ以上話すことはありません」
「あ……あらあら、緊張されていらっしゃるのかしら。えー……ごほん。お隣にお座りになっているのが、伯母の弓子様でいらっしゃいます」
「月落弓子でございます。本日はお声掛けをありがとうございました。残念ながらご縁が結ばれることはないようですが、こうしてお会いできたことは私たちにとって僥倖でございます」
伯母は伯母で、強烈な援護射撃を打つ。
本気の装いで挑んでいると言っても過言ではない相手に、明るい将来の見込みはないとここまできっぱりと宣言するのは、もはや残酷。
お見合いという不安と期待が入り混じった絶妙にふわふわした空間を、一気にどん底へと突き落とす所業である。
女神の優雅さで悪魔の言葉を吐き出す女傑は、冷たく微笑む。
「な、何ともクールな月落家で、震えあがりそうな切れ味ですことねぇ。長峰のお嬢様が天使のような可愛らしさでいらっしゃるので、バランスが取れてとってもお似合いですわぁ!ねぇ、えれなさん?」
色々と察した仲人のエマ・渡邉が視線を忙しなく左右に振りながら、もうひとりの主役へと声を掛ける。
首元にリボンを結ったシルクの純白ドレスを纏いながら、胸の前で祈るように手を組んで月落を一心に見つめている長峰えれなは、掛けられた声に反応しない。
うるうると潤んだ瞳が、髪を飾るヘッドドレスと同じ輝きを放つだけ。
「えれなちゃん……えれなちゃん、返事なさい」
「あ、ごめんなさい。渉さんがとっても素敵で見惚れてしまっていました」
「あらまぁあらまぁ!恋する乙女の表情ですわぁ!可愛いですわぁ!」
喜劇の案内人は、盛り上げのタンバリン担当でもあるらしい。
大げさに動くたびにしゃらしゃらと鳴る眼鏡ストラップが、ほのかな煩わしさを醸し出す。
「さぁさぁ、今度はお嬢様の番ですわ。ご挨拶をお願いします」
「はい。長峰えれなと申します。来月のお誕生日で29歳となります。10年前にご招待いただいた美代おばあ様のお祝いパーティーで渉さんをお見かけして……お恥ずかしい話ですが一瞬で恋に落ちてしまいました。あまりにも理想の男性なので、特別な場を設けていただくのは気が引けてしまい、今まで渉さんへの恋心をひた隠しにしてきました。でも、渉さんが渡米されている間に想いが募ってどうしようもなくなったため、この度は勇気を出してお呼びいたしました。この年齢までお互いに決まった相手もなく過ごしてきたのはきっと運命のはずですので、これから二人で新しい未来を作りたいと考えています」
長すぎる挨拶のいらない部分をばっさりと切り捨てて、気づいたことがひとつある。
月落にはえれなと交際する気はないと事前に長峰側に伝えたはずだが、どうやら一切伝わっていないらしい。
「素晴らしいご挨拶ですわぁ。渉さんへの熱い想いが私の胸にまで響いて、思わず涙が出そうになりました」
「そんな、エマさん言いすぎです……恥ずかしいです」
そう言いながら、胸の前で組んでいた両手を頬へと持っていく。
そうすることで、華奢な腕と小さな顔が際立って見える。
こういう計算は上手なタイプね……と弓子がひっそりと呟いた。
月落にとってはその女性らしい細さが不安を掻き立てて、白いシャツの下にはうっすらと鳥肌が立っている。
「えれなさんのお隣が、お母様の聖子様でいらっしゃいます」
「長峰聖子と申します。急なお約束でしたが、様々なお力添えでお会いできることになり、誠にありがとうございます。至らぬ点は多々ございますが、渉さんをお慕いする気持ちは誰にも負けないと日頃から豪語するほどに、一直線で可愛い娘でございます。どうぞ、この機会にお互いをよく知って絆を深めていってほしいと願っております」
月落と弓子は顔を見合わせる。
気づきが確信に変わった。
やはり、こちら側の意向は全く伝わっていない。
本当にお見合いのつもりで対面に座っているらしい母娘に、どう説明しようかと額に手を当てた。
純粋に思い出作りとして両者が参ったならばそれなりに生産性のある空間にもなっただろうが、微塵も重なり合わない平行線の向かう先は、宇宙空間をどんなに旅したとしても何の成果も及ぼさないだろう。
どこがこの大問題の発端なのか。
探ったところで何の解決策にもならないけれど、探らずにはいられない遣る瀬なさに身の内が焦げていくようだ。
「さあ、それでは最初のご挨拶が終わったところでお互いのスペックをさっくりとご紹介しましょうねぇ。月落渉さん、TOGグループ月落衛様のご次男で現在30歳。アメリカのコロンビアビジネススクールでMBA取得後、昨年の秋に帰国。現在は逢宮大学で外国語学部のTAをしていらっしゃいます。外資系コンサル会社にお勤めの際には、異例の昇進で出世コースまっしぐらだったとか。渉さん、優秀な経歴が眩しいですわぁ!」
「ありがとうございます」
「……あ、あら、やっぱり緊張されていらっしゃるのかしら、お言葉の数が少なくて……でも、無理もないですわぁ。こんなに素敵なお嬢様を目の前にしたら見惚れてしまって、お喋りしている場合ではないですものねぇ!」
「エマさん、褒めすぎです。えれな、困っちゃいます……」
ほわっと染まる頬は自然と滲み出るものか、それとも巧妙に仕込んだチークのなせる業か。
弓子が鋭い視線を刺す一方で、そんなことには露ばかりも興味のない月落はふいと窓の外に意識を逸らした。
敬愛してやまない恋人と一緒に来たかった。
胸中に巡るのは、離れて過ごす彼のことばかりである。
「続きまして、長峰えれな様についてご紹介させていただきます。杉並区で総合病院を代々経営していらっしゃる、長峰家の末のお嬢様です。女子大をご卒業後はお父様の知人のクリニックで受付としてお仕事に従事していらっしゃいましたが、体調を崩されて現在は休職されています。体力があまりないことが短所と自ら仰っていますが、奥ゆかしさと思わず守ってあげたくなる儚さが感じられて、全く短所に感じませんわねぇ。現在はご体調と相談しつつ、英会話やお花、乗馬などを嗜みながら見識を広めるためにご旅行も積極的にされるということです。ご友人の数も多く、SNSのフォロワー数も一般の方にしては多めで人気なのが窺えます。お二人がご結婚されてえれなさんが公私ともに渉さんを支えるお立場になられたら、その人脈の広さでとっても立派な内助の功になりますでしょうねぇ!」
「ご実家のお仕事を継いでご多忙を極めるであろう渉さんを、いつでも一番に支えられる妻でいられるように努力します」
「エマさんもえれなちゃんも気が早いわ。まだお付き合いもしていないのに」
「だってだって、渉さんは私の初恋の人だから……やだ、恥ずかしい!」
喜劇も過ぎれば毒劇だな、と思う。
消化不良を促す特殊な空気が霧散されているのかと思うほどに、胸やけが込み上げる。
料理は大変美味しいのに、それが喉元を通った後で不快感をもたらす別物へと変化するのはとても気が滅入る。
月落が横を見遣ると、不動産の女傑は食べるのを放棄したのか、炭酸水で喉を潤すばかりである。
その手元では陰ながら高速でスマホがタッピングされているが、長峰サイドからは見えないだろう。
「先ほども渉を見るなり恋に落ちた、渉が初恋だと嬉しいお言葉を頂戴しましたが、それならばえれなさんは、これまでどなたともお付き合いされたことはなくていらっしゃるの?そんなに可愛らしいのに?」
どこかへ連絡し終わったと同時に、女傑の口からロケットランチャーが発射された。
この個室にたどり着くまでの道中で、長峰えれなに関する情報は日下部からある程度落とされている。
そこでは恋愛経験は五名、と聞かされたはずだ。
些か長峰サイドの言い分とは噛み合わない。
「え、ええ……そ、うですね。お、お付き合いをしたことは今までも一度もありません……」
「広い人脈をお持ちで人気者でいらっしゃるのに、本当に今まで一度も?少し前に風の噂でご婚約云々という話を聞いたような気がしていたんだけど、気のせいかしらね」
綺麗にリップを塗った唇の端を吊り上げてそう言う。
風の噂などではなくつい先ほど聞いた話ではあるが、長峰親子が吐いている嘘に比べれば可愛いものだ。
ぐぐぐ……と、一瞬にしてスムーズに動かなくなった首で、えれなは無理やり母である聖子を見る。
その動作が全てを物語っているというのに、本人ばかりが気づかない。
「今まで真剣にお付き合いした方はいない、と言いたかったんだろうと思います。渉さんにやっとお会いできた高揚感で少し前後不覚になっているようです。どうぞ、ご配慮を頂ければ幸いです」
「そ、そうです。申し訳ございません。今までお付き合いした方はいましたが、本気ではありませんでした。どんな男性を見ても渉さんと比べてしまって……婚約の話はお相手の方が一方的に切り出してきたもので、私にはそんな気持ちは少しもありませんでした」
瞳の端に涙を浮かべながら行われる独白に、月落の心は一層冷めていく。
どうしてここで泣くことがあるのか、本当に意味が分からない。
純情を最たる魅力としてアピールしたいのだろうが、正直そんなものはどうだっていい。
過去の恋愛は大切に胸にしまって、今の恋愛をそれ以上に大切にすればいいだけの話だ。
都合の悪いものは捨てて、都合の良いものだけをまるで自分の総体だと言わんばかりに振る舞うのは、幼稚であろう。
善ばかりで成り立つ人間などいない。
それを認めず平気で嘘を吐く相手に、どんな魅力を感じろと言うのか。
「ですので、渉さん。誰かとお付き合いしていても、私の心にはずっとずっと渉さんがいました。お話するチャンスはあまりありませんでしたが、それでも私は私の一目惚れを信じています。一緒に何不自由のない幸せを築きたいです」
「まぁまぁ!純粋な想いはこうも人を動かすものなんですねぇ!私、感動して涙が出て参りました」
「エマさん、ありがとうございます。私も娘の一途な想いを改めて聞いて、我が娘ながら立派だと思いました」
「エマさん、ありがとうございます。ママもありがとう……えれなも何だか、涙が止まらなくなっちゃう」
レースのハンカチで涙を拭く女子三名を、女傑と好青年が静かに見守っている。
歌劇場でこの劇を鑑賞していたなら、すぐさま席を立っただろう……時間の無駄で。
祖母の顔を潰さないように必死に我慢しているが、噛み締めている奥歯が悲鳴を上げている。
「失礼いたします。近江牛イチボの炭焼と穴子の炊き込みご飯をご用意いたしました」
そこに、女将がスタッフを引き連れて部屋へと入ってくる。
まだ開始30分ほど。
それなのにもうメインが到着したことに月落が些か驚いていると、女将は涼しい顔でこう続けた。
「宴もたけなわと言うことで、水菓子も併せてお出しいたします」
「え、あ、もうお品書きの最後まで出てしまうんですね……?」
デザートまで出てきた。
長峰親子が困惑するのも理解できる。
いくらランチとは言え、いくら何でもスピードが速すぎるのだ。
月落が横を見る。
平然とした弓子の前にはメインが出されず、水菓子のわらび餅だけが置かれたことから察するに、さきほどスマホで連絡していたのは別場所で待機している日下部だろう。
この奈落から一刻も早く退散すべく、魔法を使ったに違いない。
「それでは、ごゆるりとお楽しみください」
ごゆるりさせる気がないのは明白だが、それを分かっているのは月落姓二名だけだろう。
出口が見えて若干すっとした胸の内に収めるように、月落は一口サイズの近江牛を口へと運ぶ。
エマ・渡邉も話を聴きながら箸が進んでいるようで、その様子は微笑ましい。
勝手に夢を膨らませて話に夢中な長峰側の皿の様子は、敢えて見ないようにする。
「どうでしょう、渉さん。えれなお嬢様のことを、もっともっと知りたいお気持ちになったんではありません?」
キャットフレーム越しに、期待に輝く瞳で見つめられる。
もしかしたら今日この場での一番の被害者は、この女性かもしれない。
世界が何周廻ろうとも絶対に結ばれない男女の仲を取り持つことほど、非生産的なお見合いなどないのだから。
意図の噛み合わない両家にタンバリンを鳴らし続けるのは、心身の消耗が激しいだろうと思う。
仕事だからと言えばそれまでなのだが、些か不憫だ。
「最初のご挨拶でも申し上げましたが、残念ながら私には長峰さんとお付き合いするつもりはありません。長峰さんのおばあ様と私の祖母の間で認識の齟齬があったようですが、私は目下恋愛中でございます。その人を生涯愛すると誓ったので、今後どなたとも近しい距離になることはありません」
「……え?」
静まり返った空間に、えれなのか細い声だけがぽとりと零れる。
襟付きダブルベストが主役のライトグレーの三つ揃えを、ノーネクタイですっきりと魅せている見目麗しい青年の、何ともすっきりとしすぎている挨拶に、横に座っている弓子の眉がぴくりと上がる。
特に最後の一言は、どう考えても『発展させるつもりはない、金輪際会うつもりはない』と遠回しに伝えているも同然だ。
この程度の隠喩が理解できない相手ならば、その知力が自ずと推し量れる。
「……渉さん、もう少しお話をされてもお時間にまったく問題はございませんわぁ」
「これ以上話すことはありません」
「あ……あらあら、緊張されていらっしゃるのかしら。えー……ごほん。お隣にお座りになっているのが、伯母の弓子様でいらっしゃいます」
「月落弓子でございます。本日はお声掛けをありがとうございました。残念ながらご縁が結ばれることはないようですが、こうしてお会いできたことは私たちにとって僥倖でございます」
伯母は伯母で、強烈な援護射撃を打つ。
本気の装いで挑んでいると言っても過言ではない相手に、明るい将来の見込みはないとここまできっぱりと宣言するのは、もはや残酷。
お見合いという不安と期待が入り混じった絶妙にふわふわした空間を、一気にどん底へと突き落とす所業である。
女神の優雅さで悪魔の言葉を吐き出す女傑は、冷たく微笑む。
「な、何ともクールな月落家で、震えあがりそうな切れ味ですことねぇ。長峰のお嬢様が天使のような可愛らしさでいらっしゃるので、バランスが取れてとってもお似合いですわぁ!ねぇ、えれなさん?」
色々と察した仲人のエマ・渡邉が視線を忙しなく左右に振りながら、もうひとりの主役へと声を掛ける。
首元にリボンを結ったシルクの純白ドレスを纏いながら、胸の前で祈るように手を組んで月落を一心に見つめている長峰えれなは、掛けられた声に反応しない。
うるうると潤んだ瞳が、髪を飾るヘッドドレスと同じ輝きを放つだけ。
「えれなちゃん……えれなちゃん、返事なさい」
「あ、ごめんなさい。渉さんがとっても素敵で見惚れてしまっていました」
「あらまぁあらまぁ!恋する乙女の表情ですわぁ!可愛いですわぁ!」
喜劇の案内人は、盛り上げのタンバリン担当でもあるらしい。
大げさに動くたびにしゃらしゃらと鳴る眼鏡ストラップが、ほのかな煩わしさを醸し出す。
「さぁさぁ、今度はお嬢様の番ですわ。ご挨拶をお願いします」
「はい。長峰えれなと申します。来月のお誕生日で29歳となります。10年前にご招待いただいた美代おばあ様のお祝いパーティーで渉さんをお見かけして……お恥ずかしい話ですが一瞬で恋に落ちてしまいました。あまりにも理想の男性なので、特別な場を設けていただくのは気が引けてしまい、今まで渉さんへの恋心をひた隠しにしてきました。でも、渉さんが渡米されている間に想いが募ってどうしようもなくなったため、この度は勇気を出してお呼びいたしました。この年齢までお互いに決まった相手もなく過ごしてきたのはきっと運命のはずですので、これから二人で新しい未来を作りたいと考えています」
長すぎる挨拶のいらない部分をばっさりと切り捨てて、気づいたことがひとつある。
月落にはえれなと交際する気はないと事前に長峰側に伝えたはずだが、どうやら一切伝わっていないらしい。
「素晴らしいご挨拶ですわぁ。渉さんへの熱い想いが私の胸にまで響いて、思わず涙が出そうになりました」
「そんな、エマさん言いすぎです……恥ずかしいです」
そう言いながら、胸の前で組んでいた両手を頬へと持っていく。
そうすることで、華奢な腕と小さな顔が際立って見える。
こういう計算は上手なタイプね……と弓子がひっそりと呟いた。
月落にとってはその女性らしい細さが不安を掻き立てて、白いシャツの下にはうっすらと鳥肌が立っている。
「えれなさんのお隣が、お母様の聖子様でいらっしゃいます」
「長峰聖子と申します。急なお約束でしたが、様々なお力添えでお会いできることになり、誠にありがとうございます。至らぬ点は多々ございますが、渉さんをお慕いする気持ちは誰にも負けないと日頃から豪語するほどに、一直線で可愛い娘でございます。どうぞ、この機会にお互いをよく知って絆を深めていってほしいと願っております」
月落と弓子は顔を見合わせる。
気づきが確信に変わった。
やはり、こちら側の意向は全く伝わっていない。
本当にお見合いのつもりで対面に座っているらしい母娘に、どう説明しようかと額に手を当てた。
純粋に思い出作りとして両者が参ったならばそれなりに生産性のある空間にもなっただろうが、微塵も重なり合わない平行線の向かう先は、宇宙空間をどんなに旅したとしても何の成果も及ぼさないだろう。
どこがこの大問題の発端なのか。
探ったところで何の解決策にもならないけれど、探らずにはいられない遣る瀬なさに身の内が焦げていくようだ。
「さあ、それでは最初のご挨拶が終わったところでお互いのスペックをさっくりとご紹介しましょうねぇ。月落渉さん、TOGグループ月落衛様のご次男で現在30歳。アメリカのコロンビアビジネススクールでMBA取得後、昨年の秋に帰国。現在は逢宮大学で外国語学部のTAをしていらっしゃいます。外資系コンサル会社にお勤めの際には、異例の昇進で出世コースまっしぐらだったとか。渉さん、優秀な経歴が眩しいですわぁ!」
「ありがとうございます」
「……あ、あら、やっぱり緊張されていらっしゃるのかしら、お言葉の数が少なくて……でも、無理もないですわぁ。こんなに素敵なお嬢様を目の前にしたら見惚れてしまって、お喋りしている場合ではないですものねぇ!」
「エマさん、褒めすぎです。えれな、困っちゃいます……」
ほわっと染まる頬は自然と滲み出るものか、それとも巧妙に仕込んだチークのなせる業か。
弓子が鋭い視線を刺す一方で、そんなことには露ばかりも興味のない月落はふいと窓の外に意識を逸らした。
敬愛してやまない恋人と一緒に来たかった。
胸中に巡るのは、離れて過ごす彼のことばかりである。
「続きまして、長峰えれな様についてご紹介させていただきます。杉並区で総合病院を代々経営していらっしゃる、長峰家の末のお嬢様です。女子大をご卒業後はお父様の知人のクリニックで受付としてお仕事に従事していらっしゃいましたが、体調を崩されて現在は休職されています。体力があまりないことが短所と自ら仰っていますが、奥ゆかしさと思わず守ってあげたくなる儚さが感じられて、全く短所に感じませんわねぇ。現在はご体調と相談しつつ、英会話やお花、乗馬などを嗜みながら見識を広めるためにご旅行も積極的にされるということです。ご友人の数も多く、SNSのフォロワー数も一般の方にしては多めで人気なのが窺えます。お二人がご結婚されてえれなさんが公私ともに渉さんを支えるお立場になられたら、その人脈の広さでとっても立派な内助の功になりますでしょうねぇ!」
「ご実家のお仕事を継いでご多忙を極めるであろう渉さんを、いつでも一番に支えられる妻でいられるように努力します」
「エマさんもえれなちゃんも気が早いわ。まだお付き合いもしていないのに」
「だってだって、渉さんは私の初恋の人だから……やだ、恥ずかしい!」
喜劇も過ぎれば毒劇だな、と思う。
消化不良を促す特殊な空気が霧散されているのかと思うほどに、胸やけが込み上げる。
料理は大変美味しいのに、それが喉元を通った後で不快感をもたらす別物へと変化するのはとても気が滅入る。
月落が横を見遣ると、不動産の女傑は食べるのを放棄したのか、炭酸水で喉を潤すばかりである。
その手元では陰ながら高速でスマホがタッピングされているが、長峰サイドからは見えないだろう。
「先ほども渉を見るなり恋に落ちた、渉が初恋だと嬉しいお言葉を頂戴しましたが、それならばえれなさんは、これまでどなたともお付き合いされたことはなくていらっしゃるの?そんなに可愛らしいのに?」
どこかへ連絡し終わったと同時に、女傑の口からロケットランチャーが発射された。
この個室にたどり着くまでの道中で、長峰えれなに関する情報は日下部からある程度落とされている。
そこでは恋愛経験は五名、と聞かされたはずだ。
些か長峰サイドの言い分とは噛み合わない。
「え、ええ……そ、うですね。お、お付き合いをしたことは今までも一度もありません……」
「広い人脈をお持ちで人気者でいらっしゃるのに、本当に今まで一度も?少し前に風の噂でご婚約云々という話を聞いたような気がしていたんだけど、気のせいかしらね」
綺麗にリップを塗った唇の端を吊り上げてそう言う。
風の噂などではなくつい先ほど聞いた話ではあるが、長峰親子が吐いている嘘に比べれば可愛いものだ。
ぐぐぐ……と、一瞬にしてスムーズに動かなくなった首で、えれなは無理やり母である聖子を見る。
その動作が全てを物語っているというのに、本人ばかりが気づかない。
「今まで真剣にお付き合いした方はいない、と言いたかったんだろうと思います。渉さんにやっとお会いできた高揚感で少し前後不覚になっているようです。どうぞ、ご配慮を頂ければ幸いです」
「そ、そうです。申し訳ございません。今までお付き合いした方はいましたが、本気ではありませんでした。どんな男性を見ても渉さんと比べてしまって……婚約の話はお相手の方が一方的に切り出してきたもので、私にはそんな気持ちは少しもありませんでした」
瞳の端に涙を浮かべながら行われる独白に、月落の心は一層冷めていく。
どうしてここで泣くことがあるのか、本当に意味が分からない。
純情を最たる魅力としてアピールしたいのだろうが、正直そんなものはどうだっていい。
過去の恋愛は大切に胸にしまって、今の恋愛をそれ以上に大切にすればいいだけの話だ。
都合の悪いものは捨てて、都合の良いものだけをまるで自分の総体だと言わんばかりに振る舞うのは、幼稚であろう。
善ばかりで成り立つ人間などいない。
それを認めず平気で嘘を吐く相手に、どんな魅力を感じろと言うのか。
「ですので、渉さん。誰かとお付き合いしていても、私の心にはずっとずっと渉さんがいました。お話するチャンスはあまりありませんでしたが、それでも私は私の一目惚れを信じています。一緒に何不自由のない幸せを築きたいです」
「まぁまぁ!純粋な想いはこうも人を動かすものなんですねぇ!私、感動して涙が出て参りました」
「エマさん、ありがとうございます。私も娘の一途な想いを改めて聞いて、我が娘ながら立派だと思いました」
「エマさん、ありがとうございます。ママもありがとう……えれなも何だか、涙が止まらなくなっちゃう」
レースのハンカチで涙を拭く女子三名を、女傑と好青年が静かに見守っている。
歌劇場でこの劇を鑑賞していたなら、すぐさま席を立っただろう……時間の無駄で。
祖母の顔を潰さないように必死に我慢しているが、噛み締めている奥歯が悲鳴を上げている。
「失礼いたします。近江牛イチボの炭焼と穴子の炊き込みご飯をご用意いたしました」
そこに、女将がスタッフを引き連れて部屋へと入ってくる。
まだ開始30分ほど。
それなのにもうメインが到着したことに月落が些か驚いていると、女将は涼しい顔でこう続けた。
「宴もたけなわと言うことで、水菓子も併せてお出しいたします」
「え、あ、もうお品書きの最後まで出てしまうんですね……?」
デザートまで出てきた。
長峰親子が困惑するのも理解できる。
いくらランチとは言え、いくら何でもスピードが速すぎるのだ。
月落が横を見る。
平然とした弓子の前にはメインが出されず、水菓子のわらび餅だけが置かれたことから察するに、さきほどスマホで連絡していたのは別場所で待機している日下部だろう。
この奈落から一刻も早く退散すべく、魔法を使ったに違いない。
「それでは、ごゆるりとお楽しみください」
ごゆるりさせる気がないのは明白だが、それを分かっているのは月落姓二名だけだろう。
出口が見えて若干すっとした胸の内に収めるように、月落は一口サイズの近江牛を口へと運ぶ。
エマ・渡邉も話を聴きながら箸が進んでいるようで、その様子は微笑ましい。
勝手に夢を膨らませて話に夢中な長峰側の皿の様子は、敢えて見ないようにする。
「どうでしょう、渉さん。えれなお嬢様のことを、もっともっと知りたいお気持ちになったんではありません?」
キャットフレーム越しに、期待に輝く瞳で見つめられる。
もしかしたら今日この場での一番の被害者は、この女性かもしれない。
世界が何周廻ろうとも絶対に結ばれない男女の仲を取り持つことほど、非生産的なお見合いなどないのだから。
意図の噛み合わない両家にタンバリンを鳴らし続けるのは、心身の消耗が激しいだろうと思う。
仕事だからと言えばそれまでなのだが、些か不憫だ。
「最初のご挨拶でも申し上げましたが、残念ながら私には長峰さんとお付き合いするつもりはありません。長峰さんのおばあ様と私の祖母の間で認識の齟齬があったようですが、私は目下恋愛中でございます。その人を生涯愛すると誓ったので、今後どなたとも近しい距離になることはありません」
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静まり返った空間に、えれなのか細い声だけがぽとりと零れる。
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