鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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三章

12. 丸の内、会員制社交クラブで④

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「皆様をはじめ他のお客様のご迷惑になっているご様子ですし、琴坂様御一行様は日頃から芳しくないお振る舞いでいらっしゃるので、千載一遇の機会でございます。会員カードをご返却いただきましょう」
「え、力石さん……大丈夫ですか?一等星の会長から猛抗議が来るんじゃ……」
「ここを出禁にされたら他の社交場からも締め出されると思うんやけど……悪評が広まるのを恐れて、あいつの親父さんが圧力掛けて来はる気がするんですが」
「ご心配をありがとうございます。先方には警告として既にご連絡を差し上げております。ペナルティとなった行為や回数も纏めてお送りいたしました。それをお破りになったのならば、退会はやむを得ずでございます」

 行って参ります、と言い残してバーテンダーは、月落たちとは反対側からラウンジの方へと歩いて行く。
 鋼のような真っ直ぐな背中が一直線を描いて、件の青年たちの元へと移動する。
 その気配を察してか、広い室内に散らばっていたスタッフがそろりと集まり始めた。

「ただのバーテンダーが、とか言って全然聞かなそうやけどな、あの三番目」
「オーナー呼ぼうか?会ったことないけど」
「確かにそうだね。僕もオーナーと思しき人には一度も会ったことないな。入会時に説明してくれたのもスタッフの方だったしね」
「力石さんがオーナーだから、ここの」
「「「え?!」」」

 月落の言葉に三名の上には、疑問符と感嘆符が飛び跳ねる。

「あ、知らなかった?あの人、バーテンダーっていう親しみやすい表の姿で接客しながら、店内の統制を取ってるって」
「知らなかった……」
「てか、渉はなんで知ってるん?」
「どっかで小耳に挟んだ兄から聞いた」
「はぁ……月落家は絶対に敵に回しちゃいけないね」

 頭を抱える三名の後ろで、怒号が響き渡る。

「はぁ?!何でこの俺がクラブを辞めなきゃなんねぇんだよ?!俺が誰だか分かってないのか?ただのバーテンダーが何様だ!」

 予想通りの展開に笑いを堪えきれない。
 身体ごとそちらへ向けると、月落とその仲間たちはしばしミュージカルを鑑賞することにした。

「存じております。一等星ホールディングスの琴坂昴様」

 槍のように揺るがぬ声でバーテンダーがそう名指ししたことで、バカ騒ぎをしていた一同がどこの馬の骨なのかが周囲に知れ渡ってしまう。
 それは、知りたそうにしていた者たちにも。
 どうでもいいと、見向きもしなかった者たちにも。

「マナー違反が少々行き過ぎておられるようです。ここは会員制の高級クラブでございます。社交の場に相応しくないお振る舞いの方には、誠に申し訳ございませんが、ご退会を願っております」
「うちの会社がどれくらいのもんか、知らない訳じゃないよな?お前の首を飛ばすのなんて容易いし、この店を営業停止にすることだって出来るんだぞ?そういう相手に向かって口聞いてるって、分かってるんだろうな?」

 少々酔っていたところに激怒の上乗せで、血の巡りも良くなったのだろう。
 琴坂の目は完全に座っている。
 剣呑な雰囲気に塗れて凄む青年を、バーテンダーはまるで幼子と相対するかのような表情で受け止めた。
 癇癪を起した子供と、その様子を冷静に観察している大人。

「ええ、御社がどれほどご立派であるかは十分に存じております。ですが、御社の影響力は即ち、あなた様の影響力ではありません。お履き違えなさりませぬよう」
「うるせぇな、黙れよ。俺の影響力と一致しなくても、親父の影響力には直結してるのを忘れるんじゃねぇ。話にならん、オーナー呼んで来い。俺が説教してやる」
「私がオーナーでございます。いつも当クラブをご利用いただき、誠にありがとうございます」
「…………は?」

 恭しく頭を下げたバーテンダーに倣い、間隔を開けながら立っているスタッフ数名も同様に低頭した。
 まさか店の責任者が目の前の人物とは知らず、さらには予想だにしなかった挨拶もされ、それを受けた本人も、それを横目で観察していたギャラリーも、束の間時が止まる。

「オーナーである私が、会長に直接確認いたしましょう」
「確認?何を」
「琴坂様の退会は正当かどうか、でございますね」
「何を寝ぼけたことを言ってやがる。俺に会員になってほしいって懇願したのはそっちだろう。俺が自分で辞めたいと言わない限り、お前らに追い出す権利は元々ない」
「そのような事実は、私の記憶には一切ございませんが」
「お前の記憶違いだろう。いいぞ、確認してみろ。天下の一等星を怒らせるとどうなるか、分からせてやるから」

 そばにいたスタッフからスマホを受け取ったバーテンダーは、画面を素早く操作すると電話を掛けた。
 謎の自信に満ち溢れた様子の琴坂は、ソファに深く座りながらグラスを傾けている。

「……琴坂会長、お忙しいところ申し訳ございません。丸の内クラブの力石でございます。少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?えぇ、お察しの通り、昴様のことで。はい、やはりマナー違反が甚だしく、当クラブの品位を乱すということで、ご退会を勧告いたしました……申し訳ありませんが、再考の余地はございません……いえ、息子様に行動を改めるご様子は見当たりません」

 直立で電話をしているバーテンダーの視線だけが動く。
 立っている者と座っている者。
 単なる位置の違いからではない、人間性を見透かされ卑しむような色のあるそれに、琴坂の肩にいくらかの戦慄が走る。

「保留は出来かねます。今までが保留の状態であり、私たちも改善なさるのをお待ちしておりましたので。残念ですが……えぇ、覆りません。どれほど琴坂様から謝罪を頂いても、はっきり申し上げて無理でございます……いえ、今回はホールディングスへの勧告ではなく昴様のみへの勧告でございます。上の息子様とお嬢様、他関係者のお子様方に関してはペナルティは一切ございませんので、ご安心ください。えぇ、では、失礼いたします」

 激怒するどころではなかった。
 むしろ、退会処分を必死で思い留まらせようとするかのような電話の内容に、状況を飲み込み始めた琴坂の顔はみるみる内に青褪めていく。
 確認すると言われても、自分を可愛がっている父ならば電話口でこの無礼なバーテンダーを叱るだろうと期待していたのに、まさかこんなにもあっさりと話が収まるとは思いもしなかった。
 
 ドンペリを飲んでいた手は、グラスをテーブルに置くこともできず空中で止まったままだ。

「会長と合意が取れました。琴坂昴様、本日をもちましてこのクラブの会員資格を剥奪いたします」

 ここの会員でなくなること、それはつまり、今後社交の場に顔を出しても誰からも相手にされなくなることと等しい。
 脛齧りの御曹司にとって、それはあまりにも厳しい制裁だ。
 ぬるま湯で育った世間知らずは、ぬるま湯の中でしか生きられない。
 同じ境遇の仲間内で相手にされなくなれば、息をする場はごく僅かとなる。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。何かの間違いだろ。親父にいま確認するから。こんな時間だから親父もきっと酔ってて……それで、」

 震える手でスマホを操作していると、今まさに電話しようと思っていた人物からの着信を知らせる画面となった。

「親父!親父?あのさ、丸の内のクラブのことなんだけど――」
『昴、父さんは恥ずかしいよ。こんな息子がいるなんて世間様に知れるのはうちの恥だが、仕方ない。これもお前を好き放題にさせ過ぎたせいだと猛省して批判も甘んじて受けるから、お前も自分の行く末に関して覚悟を決めなさい』
「覚悟?何言って、覚悟ってなに?」
『自分をしっかりと省みて、地に足をつけなさい。支配人の座を降りて一従業員から再出発するか、それが嫌なら家を出なさい。今後一切うちのホールディングスとは無関係で生きて行くんだ』
「え……え?いきなりそんな何言って……このクラブの会員であることがそんな重要なことなのか?」
『周りを良く見てみることだな。そこに集まってるのは家柄だけが取り柄の跡取りじゃない。実績、話術、人間関係、情報収集力、マナー……上に立つ者が持つべき資質を兼ね備えている方々ばかりだ。私はお前が学ぶ機会を得て欲しくて、オーナーに頼み込んで入会させてもらったんだ。本当は審査の時点で落ちていたんだが、無理を通してもらったんだ。それなのに、お前は成長の梯子を自ら外したんだよ』
「無理を通してもらったって何言ってるんだよ。俺は一等星ホールディングス会長の息子だよ?俺はむしろ、入会を請われて会員になってやったんじゃ……」
『その勘違いはどこから来るんだ?お前は誰かに必要とされるほどの実績を積んだのか?最後のチャンスとして新規ホテルの支配人にしたのに、お前は真面目に働いたのか?』

 自分に対する評価に関して無頓着な琴坂に、周りからため息が漏れる。
 ここに足を踏み入れられるのは、一定ランク以上の人間のみだ。
 その中でも己は特別な存在だと信じて疑わないその選民意識の高さは、ある意味であっぱれだ。
 劇的に間違ってはいるけれど。

『研鑽を積むつもりのない人間に、その場所は過剰だろう。昴、謝罪して退会しなさい。自分の立ち位置を知るつもりのない息子のために、年会費をドブに捨てる訳にはいかないよ。お前の将来については近い内に話し合おう』
「親父、ちょっと待って、いま俺の話を聴いて……親父?親父!……ああっ!なんだよ、もう!」

 通話の切れたスマホを、琴坂は床へと叩きつけた。
 両の瞼を手の平で覆って、深く項垂れる。

 今までは恣に与えられたのに。
 マンションも車も役職だって、望めば全て上から降ってきたのに。
 可愛がられてるから、それを手にする資格があるから、それを使うことが当然の存在だから、与えられたと思っていたのに。

「頼み込んだ?だせぇな。俺は上に立つべき人間だ。下手に出るような真似で、俺の価値を落としやがって……」

 自分は、侮られる側の立場じゃない。
 自分は、指図される側の立場じゃない。
 自分は、奪われる側の立場じゃない。

「俺は選ぶ側の人間だ、選ばれる側じゃない。俺は支配する側の人間だ、される側じゃない」

 ぬらりと物騒な影を背負って、琴坂は立ち上がった。
 瞳の中の光は一切失われ、冷酷さだけを湛えている。

「こっちから願い下げだ、こんな店。いつか、今日俺を退会させたことを後悔するくらいに滅茶苦茶にぶっ壊してやるからな、覚悟しとけよ」
「またいつかお目に掛かれる日を、お待ち申し上げております」

 慇懃に頭を下げたバーテンダーに舌打ちをして琴坂は歩き出す。
 その袖を、ラメで光るマニキュアの指が掴まえた。

「え、昴、ここ辞めちゃうの?ここの会員じゃなくなると大変なんじゃなかった?謝って許してもらった方が良いって」
「うるせぇ!お前、何様なんだよ!」

 その手を跳ねのけた男は、女の白い頬を叩くために手の平を振り上げた。

「——女性を殴るのは、同じ男として見過ごせないね」

 その手はあと一歩のところで阻まれる。
 思わぬ力で手首を握られ、琴坂の顔が傷みに歪んだ。
 「聖純、あいつかっこええ」と、暢気な口調が奥の方から聞こえてくる。

「お前、誰だ?一体誰の手を掴んでるか分かってんのか?」
「君が一等星ホールディングスの末っ子だと言うのは既に周知の事実だよ。僕のことに関してはお構いなく。ただのしがない営業部長だからね」
「あ?訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇ!離せよ!」

 勢いよく振りかぶった手を思いの外あっさりと離されて、有り余った力の逃がしどころを失った琴坂は軽くよろめく。

「大丈夫かい?悪いけれど身長差がある分、僕に有利な状況だと言うことを忘れてはならないよ」

 日本人の平均身長以下である自分のコンプレックスを突かれて、その顔は噴火寸前の赤さに染まる。

「どけよ、邪魔だ」
「気をつけて帰った方が良い。ああ、タクシー代を貸そうか?」

 怒りを故意に逆撫でする相手に、暴力的な睨みだけを残して琴坂は去って行った。
 言葉なく状況を見守っていた仲間たちも後に続く。
 傷ついた顔の紅一点だけを残して。

「大丈夫かい?驚いただろう、彼の本性が分かって」
「……いえ、薄々気づいてはいたので。本気で相手にされてないって。下に見られて馬鹿にされてるって」
「そんな男の機嫌を取りながら生きて行くのは、自分で自分を殺すようなものだよ」
「それでも……それでも。お金があるのは幸せだから。私、貧乏の家に生まれて中学卒業までずっといじめられてて、つらくて死んじゃいたいってずっと思ってて。でも負けたくなくて、3年間昼も夜もがむしゃらにバイトして、上京して整形して。顔が変わっただけなのに、皆の態度も変わって優しくしてもらって夢みたいで。だから、お金があれば幸せになれるんです。お金さえあれば、私はどんな苦しみも耐えられます」
「そうか。何に価値を置くかは本人次第だから、外野の僕がとやかく言うことではないね。だけど、君の作ったとんかつを心から美味しいと言ってくれる男が、この世界のどこかには必ずいるはずだよ。ま、僕はミラノ風カツレツなら何でも美味しいと感じるんだけどね」

 いきなり自分語りになった会話の、あまりにも予測不可能な着地に、周囲で耳をそばだてていたギャラリーから困惑の声が零れる。
 「聖純、あいつ何言うてん。ほんま残念な奴やな」と、呆れた口調が奥の方から聞こえてくる。

「杏太郎、うるさいよ」
「お騒がせ止めに行ったお前が皆さんをお騒がせしてどないすんねん。収集つかなくなったやろ」
「そうかな?」
「反省しろや」
「仕方ない。お詫びとして、僕から皆さんに一杯差し上げよう。日曜の夜を楽しく終わらせられますように」

 わぁ、と控えめな歓声と共に拍手が湧き起こる。
 壁側で気配を消していたスタッフが、席の合間を縫ってオーダーを取り始める。

「君も好きなものをどうぞ。ドンペリにするかい?」
「はい、高いシャンパンは美味しいですから」
「ふはは、折れない強さは美しいね」



 日曜日、丸の内。
 会員制社交クラブで。

 緞帳が下りるのは、もう少し先の夜。
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