【完結】碧よりも蒼く

多田莉都

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第2章

誰も知らない町で④

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「用意……」


 梶本の声で、僕は目を開ける。
 少しだけ足元に力をこめる。少しだけ肩と腰を落とす。力が入り過ぎないように。

 僕の右斜め前からピストルの音が響いた。右の耳を音が突き抜けていくような感覚があった。

 左から伊藤が飛び出す。速い。

 瞬間、何かの場面が僕の頭の中でフラッシュバックする。いや、何かというものなんかじゃない。去年の全国大会だ。僕の隣から藤枝が飛び出していったあの景色が頭の中で蘇った。

 胃の中から何かが湧き出てきそうな嫌な感覚があった。それを振り払うべく僕も地面を蹴った。

 完全に出遅れた。
 伊藤はもう前に出ている。


 やっぱり口では遠慮気味だったけれど、伊藤は速い。学校レベルならば絶対に上位だろう。後ろから見ていてもそれが伝わってきた。

 走りながら、こんなにゴチャゴチャ考えている時点で、僕は集中できていなかった。


 本当に集中できているときは、何も考えられない。
 集中しているけれど、何にも集中していない。集中しない方向への集中、と誰かが言ったらしい言葉が僕には一番しっくりくるのだけど、その感覚に入れないといいタイムは出ない。


 伊藤の後ろを走っていれば、変に目立つことはないんじゃないか?


 そう考えた僕は伊藤との距離を詰めることを諦めた。


 それからはほとんど何もしないうちにあっという間にゴールしてしまった。

 何の満足感もない、ただゴールラインを通過しただけ。
 こみあげてくるのは高揚感ではなく、吐き気だった。


「伊藤、6秒6、相沢、7秒2」


 横山先生の声が聞こえた。

 タイムなんてどうでもよかった。僕は吐き気をこらえるべく左手で口を覆って俯き気味に息を整えた。

 伊藤が僕の近くに寄ってきた。

「どうしたの?」
「いや…………久しぶりに身体動かしたから、ちょっと吐き気して。大丈夫」
「大丈夫? 少し座るとかしたら?」
「大したことじゃないよ。それより……伊藤、速いな」
「そんな、大したことないよ」

 息を少し切らしながら伊藤は言った。手動のストップウォッチでも6秒6が出ればフツ―は速いというと思うのだけど。

 僕はスタートラインの方に戻るために歩き始めた。

「相沢、せっかくいいガタイしてんだから、もっと運動すれば絶対速くなると思うんだけどな」


 後ろから伊藤の声がした。「そんなことねーよ」と僕は返す。


「せっかく速そうな足してるのに」
「速そうな足ってなんだよ」
「すごくふくらはぎに筋肉ついてるし、絶対速そう」

 伊藤は僕の足元を見ながら言った。
 僕が陸上競技を辞めてから半年余り経っていた。筋肉がどんどん落ちて体重は軽くなった。
 伊藤の目にはどう映っているのかわからないけれど、もっと発達していた下半身の筋肉も一回りは細くなった。いまの僕のふくらはぎは、中学時代より衰えている。


「そんなことねーよ」


 もう一度そう言ってから、どこか空しい感覚があった。


 次々に走り始める男子たちを横目に僕はいまの自分は何なんだろうなと思い、それから空を見上げた。


 薄く白い雲とよく晴れた青い空がそこにはあった。

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