白猫が見ている町で〜海辺の喫茶店と、やさしい暮らし〜

井上 佳

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【番外編⑦.5】たまご

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春の陽ざしがやわらかく降り注ぐ午前、音子は義信に連れられて、小高い丘のふもとにある本条養鶏所を訪れた。

鶏たちの鳴き声が、風にのって心地よく聞こえてくる。
広い鶏舎の奥から、ひとりの男が無言で現れた。作業着のまま、手にはたまごの入った木箱を持っている。


「本条。来たよ」


義信が気軽に声をかける。


「…………なんだお前、恋人ができたのか」


低く落ち着いた声で、男は言った。


「ち、違うよ!」


義信が即座に否定し、隣の音子は一瞬ぽかんとしてから、思わず笑ってしまった。


「杉木音子と申します。喫茶店をしています」


音子はぺこりと頭を下げる。

本条は少しだけ瞬きをして、「喫茶店」と繰り返した。


「"ひだまり"さんだよ」


義信が口を挟む。


「ああ……あそこか」


ようやく本条の顔にうっすらとした表情が浮かぶ。知っているらしい。


「音子ちゃん、地元の野菜でメニュー作ろうとしててさ。それなら卵も地元産がいいだろ? ……それで、お前んとこの卵なら、って」


義信が少し得意げに説明する。


「卵、食べてみるか」


本条はそう言うと、木箱の中からひとつ卵を取り出した。白く、まるく、艶やかなその卵を、音子にそっと差し出す。


「ありがとうございます」


白い卵と皿を受け取った音子は、さっそく割って中身を確かめる。


「すごい! 黄身がふっくらしてますね」

「ああ」

「もしよければこれで、一品作って持ってきてもいいですか?」

「いや……」


音子が窺うと、本条がぽつりと呟いた。


「……"ひだまり"で、たまごサンド出してただろ」

「えっ、食べに……?」

「親父が持ち帰ってきた。うまかった。卵の味、ちゃんとわかってた」


それだけ言って、また黙る。


(褒められた、のかな……?)


音子は驚きと照れの混じった顔で、小さくうなずいた。


「この人、たまにそうやってズバッと言うんだよな」


義信が苦笑いする。


「卵、使ってくれるなら、届ける」


本条はそれだけ告げて、また静かに鶏舎の方へと戻っていった。

音子はその背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。


「本条さんって、すごく……いい人ですね」

「……だろ? 無口だけどな」


義信が、少しだけ誇らしそうに笑った。

春の風が通り抜ける中、鶏たちの羽ばたく音が、遠くでやさしく響いていた。




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