白猫が見ている町で〜海辺の喫茶店と、やさしい暮らし〜

井上 佳

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【番外編⑦】新メニュー開発

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「ふぅ……」


"ひだまり"のカウンターキッチンの中で、音子は小さく息を吐いた。

鍋に火をかけながら、片手ではメモ帳をめくっている。もう何ページも前から、新作メニューの案が書いては消されていた。

カウンターに座っていた高橋が、ふと顔を上げた。


「音子さん、なんか疲れてません?」

「……わかりますか?」


音子は苦笑しながら、ポットにハーブティーを注ぐ。
その香りが、店内にふんわりと広がっていった。


「新しいメニューを考えてたんですけど、どうも、決め手がなくて……。地元の食材を使った"ひだまり"らしい料理、難しいですね」


高橋の隣で、無言でくわいチップスを食べていた義信が手を止める。
ちょっと身を乗り出して、口を開こうとした瞬間――


「だったら、『野菜市場』行ってみたらどうですか?」


高橋が先に言った。


「……え?」

「今度の土曜、役所の前で開くやつ。地元の農家が集まって、旬の野菜売るんです。いろんな人と話せるし、いいヒントになるかも」

「それ、俺も――」


義信がぽつりと口にしたが、言葉は途中でしぼんだ。


(……言おうと思ったのに)


なんでもない顔を装いながら、くわいチップスを口に運ぶ。ちょっと、しょっぱい味がした。

 



週末の『野菜市場』は、青空の下でにぎわっていた。
土の香りがする小道には、色とりどりの野菜が並べられ、農家の人たちが笑顔で声をかけてくる。


「音子さん、新メニューに悩んでるって聞いたよ」


"ひだまり"の常連・尾藤さんが、小松菜の束を手渡す。


「甘くてやわらかいから、そのままでも食べられるよ」

「こっちは白ねぎ。焼いたらとろけるよ、ほんと」


隣にいた山田さんが、ふふんと胸を張る。


「私はトマト! 陽のあたりで皮が薄く育ったの。味が濃いんだから」


と、若い女性が籠から選んでくれた。

音子はその場で野菜をかじり、何度も「美味しい……」とつぶやいた。
口の中に広がる自然の甘み。歯ごたえ。彩り。


「これ、全部……使えたらいいのに」


ぽろりとこぼれたひとことに、町の人たちは顔を見合わせて、嬉しそうに笑った。


「欲張りだな」

「でも音子さんらしいよ」



『野菜市場』からの帰り道、音子は義信と並んで歩いていた。
しばらく、何やら考え込んでいて無言だった音子が、ふと顔を上げる。


「キッシュ?」

「ええ。野菜キッシュ」


どうやら黙してメニューを考えていたようだ。
美味しかった野菜を、全部使えるメニューとして、キッシュに行き着いたらしい。


「そうか。卵なら、本条養鶏所がいいよ」


義信が、少し得意げに言った。


「同級生がやっててさ。ここの卵、黄身が立つくらい濃いんだ」

「へぇ、義信さんにそんなお友達が……」

「いるってば。普通に」


照れくさそうに言いながらも、どこか嬉しそうだった。


「じゃあ、その卵で試してみますね」

「紹介するよ」

「ありがとうございます!」


音子はそう言って、買い物袋を抱え直した。

陽の光に透けて見えるトマトの赤、小松菜の緑、白ねぎの白――
その色彩が、音子の頭の中で、タルト生地の上に美しく並び始めていた。


(全部使って、キッシュにしよう。これなら、季節によって中身を変えたりもできるし……。うん、いいかも)





"ひだまり"の試食会には、いつもの顔ぶれがそろっていた。

テーブルに置かれたのは、できたての野菜のキッシュ。サクサクの生地に、地元の野菜がぎっしり詰まっている。
ふわりと漂う卵の香りに、町の人たちは次々とフォークをのばす。


「こりゃ、うまいわ!」

「ねぎがとろける……」

「小松菜もちゃんと味がする!」

「全部が主役みたいですね」


音子が、ほっとしたように笑う。


「"ひだまり"が町の味になれたらなって、ずっと思ってたんです」


そのとき、カウンターの下で遊んでいた品川家の兄弟の兄・和也が、キッシュを見上げて言った。


「"まいにちキッシュ"って、どう?」

「……まいにち?」

「これなら、まいにち食べられそうだから」


音子は驚いたように目を丸くして、それからふっと笑った。


「じゃあ、決まりね。メニュー名は"まいにちキッシュ"にします」


店内で、静かな感嘆の声が上がった。
 



夜。

店を閉めたあとの"ひだまり"は、ちょっとだけ春のにおいがした。


「……なんか、ほんとに町の味になってきた」


音子がぽつりと言うと、義信が少し離れたところから応えた。


「そうだね」


その声に、照れがまじっているのを音子はちゃんと気づいていた。


二人の足元を、白猫がするりとすり抜けていく。

音子のエプロンの裾が、白いしっぽにふわりと揺れた。




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