純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第九章:永遠の途 ― 祈りは光に還る ―

第161話・最果ての眠りへ

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――ふ、と指先が震えた。

気づいたとき、ルナフィエラは書庫の中央で立ち尽くしていた。

両手には、古びた装丁の古語の本。
伏せた視界が、ゆっくりと“今”へと収束していく。

(……今、私は……)

開いていたページは途中で止まったままだった。
ぱたり、と乾いた音を立てて本を閉じる。

棚に戻した瞬間、ふと、胸の奥に小さな波紋のような揺れが広がった。

(……会いたい)

その言葉だけが、音にならないまま沈んでいく。

独りになって300年。
長いはずなのに、年月の感触はもう失われて久しい。

けれど――今日だけは違った。

ヴィクトルの最後の笑み。
シグの声の裏にあった優しさ。
フィンのあどけない笑顔。
ユリウスのすり減った指先。

ひとつずつ、封じ込めていた記憶が、まるで古い扉を押し広げるように、静かに胸の中へ戻ってくる。

(……会いたい………会いたいよ……)

もう一度、声を聞きたい。
手を取りたい。
名前を呼ばれたい。

痛みも、苦しさも――
本来なら心を締めつけるはずの感情はすべて鈍くなっていて、ただ“輪郭だけ”が淡く胸に触れてくる。

(……みんな……)

名前は呼べなかった。
呼んでしまえば崩れてしまう気がしたから。

足元の石床は冷たいはずなのに、冷たさがわからなかった。
深呼吸をしても、肺に入った空気の温度が感じられない。

それでも、胸の奥には確かに“穴”があった。

今日一日で、4人を見送った記憶のすべてが蘇り、
まるでその痛みが、再びルナフィエラを“人”に引き戻したようで――
その引き戻しが、ただ苦しかった。


立ち上がり、ゆっくりと自室へ戻る。
灯をつけると、ベッドの上に、あのぬいぐるみがぽつんと横になっていた。

4人と旅した時に買ってもらったもの。
ルナフィエラが大切にしていた宝物の一つ。

そっと抱き上げる。
柔らかさも温かさも、もうよく分からないのに――
胸の奥だけが、きゅ、と締めつけられた。

(みんな……もう、いない)
(……ねぇ、どうして私だけ残ったの……)

寂しさとは違う。
もっと深く、どうしようもない空洞。
その現実を、はっきりと自覚したのはいつぶりだろうか。

(嫌いになれたら……よかったのに)

喉の奥で、そんな声が震えた。
けれど――

(……無理だよ。みんなのこと、一つだって忘れられない)
(……本当に、好きだった)

好きで、愛していて、失って、それでも愛したまま。

(いっそ……全部、忘れられたらよかったのに)

声にならない想いが、胸に滲む。
その言葉を最後に、ルナフィエラは静かに立ち上がった。


窓の外では、夜風が木々を揺らしている。
その音を聞いていると、なぜだか自然と足が――
古城の地下へと向かっていた。

灯りの少ない階段を降りるたび、胸の重さが薄くなっていく気がした。

(……ここなら、静かに眠れる)

辿り着いたのは、古い祭壇の間。
かつて精霊族の祈りの場だった場所。

柔らかな魔力がゆっくりと巡り、まるで空間全体が静かに呼吸しているようだった。

祭壇の上に横たわり、ぬいぐるみを胸に抱く。
長い銀髪が石の床にふわりと広がる。

瞼を閉じると、4人の笑い声が、風のように通り抜けた気がした。

(……もう、いいよね)

誰に問うでもない。
ただ心が、静かに頷く。

数千年の寿命も、強大な魔力も、今の彼女には何の意味も持たない。
会いたい人がいないのなら――
ここで眠ることに、もう迷いはなかった。

呼吸がゆっくりと浅くなる。
胸の上下もやがて小さく、静か落ち着いていく。

暗闇でも光でもない場所へ落ちていくように、
意識が静かに薄れていった。

最後の瞬間、ぬいぐるみの布越しに浮かんだ記憶。

フィンの明るい笑顔。
シグの照れた横顔。
ヴィクトルの優しい手。
ユリウスの穏やかなまなざし。

(……ねぇ、みんな……今度こそ、一緒にいられるよね)

その想いを胸に、ルナフィエラは静かに永い眠りへと落ちていった。
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