純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第五章:みんなと歩く日常

第65話・静かなる抱擁

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夜も更け、ルナの寝室に静けさが満ちていた。

扉がそっとノックされ、ルナが「どうぞ」と声をかけると、ユリウスが静かに姿を現す。

「失礼するよ、ルナ」

「……うん。ありがとう、来てくれて」

寝台の端に腰を下ろしていたルナフィエラは、わずかに緊張した面持ちでユリウスを迎える。

ユリウスはルナフィエラの前まで歩み寄り、柔らかな笑みを浮かべて目線を合わせる。

「無理はしていないかい?」

「うん、だいじょうぶ。でも……少しだけ、緊張してるかも」

「……君がそう感じるのは、当然のことだ。けれど、僕にできることなら何でもする。安心してほしい」

そう言うと、ユリウスはベッドの縁に座り、自分の前にルナを招いた。

「こちらへ。……背を向けてくれるかな」

ルナは促されるままにユリウスの前に座り、そっと背中を預ける。
ユリウスは両腕を彼女の肩越しに回し、やわらかく抱きしめるように支えると、自身の手首をそっと差し出した。

「牙は、まだ使えないんだったね。傷は僕がつけるよ」

そう言って、自らの手首に小さく魔力を走らせ、血がにじむ傷を作る。
ルナの鼻先を、鉄と甘さの混じった香りがくすぐった。

「……吸っていいよ、ルナ。
遠慮はいらない。……君が満足できるまで吸ってくれたらいい」

その言葉に、ルナは一瞬だけためらった。けれど、そっと手を添え、彼の手首に唇を寄せた。

一滴、また一滴。口の中に広がる熱と力。

(……ユリウスの血。あたたかい…やさしい……)

何よりも、彼の腕の中というその場所が、恐ろしいほどに優しかった。

しばらく吸った後、唇を離すと、ルナはそっと彼の手首を拭い、息を吐く。

「……ありがとう、ユリウス」

「こちらこそ。君が僕の血を受け入れてくれたことが、何よりうれしいよ」

ユリウスの声は穏やかだった。
ルナが少し身体を起こそうとした、その瞬間。

彼がそっと、ルナの肩に手を添え、彼女を自分の方へと振り向かせた。

「ユリ……?」

名を呼ぼうとした唇が、ふいに塞がれる。
柔らかく、優しい、それでいて強い意志を感じさせる口づけだった。

ルナの目が大きく見開かれる。
思考が追いつかない。何が起きたのか――
いや、わかっているのに、心がついていかない。

唇が離れると、ユリウスはまっすぐにルナを見つめた。

「……僕は本気だよ、ルナ」

彼のアメジストの瞳が、驚くほどまっすぐにルナフィエラの心を射抜く。
その意味が、遅れて胸に届いた瞬間――

「~~っ……!」

ルナフィエラの顔が一気に真っ赤に染まる。
恥ずかしさに耐えきれず、反射的に彼から距離を取ろうと身をひねる。

けれど、背中に回されたユリウスの腕が、それを許さなかった。
優しく、でも確かに、ルナフィエラの身体を抱きとめたまま、離さない。

「そんなに驚かなくてもいい。……でも、今は、逃がさないよ」

「っ、や……っ、あの、ちが……!」

「焦らなくていい。何も強要しない。ただ……君が忘れないように、伝えたかった」

後ろから抱きしめられたまま、ルナフィエラはますます顔を熱くしていた。
鼓動がうるさくて、自分の声すら掻き消されそうだった。

(……だめだ、これ、眠れないかも……)

けれど、そんなルナフィエラの耳元で、ユリウスはそっと囁いた。

「さぁ寝ようか。おやすみ、ルナ」

彼の声は深く優しく、まるで魔法のように、彼女の胸のざわめきをそっと包み込むのだった。


——————

朝の陽射しがやわらかく差し込む中、
食堂には焼きたてのパンと、温かいハーブスープの香りが広がっていた。

「ルナ、おはよ~。パン焼けてるよ」

フィンがエプロン姿で笑顔を浮かべながら、
焼きたてのクロワッサンをテーブルに並べていく。

その横では、ヴィクトルがいつものように静かにスープの味を整えていた。

「ありがとう、フィン。……すごくいい匂い」

「ふふっ、今日はヴィクトルのレシピだからね」

「ルナ様の顔色も良いですね。昨夜はよく眠れましたか?」

声をかけたのはヴィクトルだった。
湯気の立つスープをそっと差し出しながら、静かにルナフィエラを見つめる。

「う、うん。よく眠れた……気がする」

たしかに、体は軽い。
吸血によって身体は満たされ、魔力は自然に循環し、久しぶりに深い眠りを得られた。
血色も良く、体温も安定している。

でも――

(……なんだろう、この、ふわふわした感覚)

「……で、何があった?」

不意に、シグの低い声が飛んできた。

「えっ!?」

ルナフィエラが思わず反応すると、シグはルナフィエラの隣の席に腰を下ろし、じっと彼女を見据える。

「雰囲気が違う。わかる」

「……そ、そうかな?」

「朝からやたらと目が潤んでるし、動きが緩い。顔色も妙にいい。血が回ってる証拠だ」

「う……」

「昨夜は、ユリウスだったな」

ルナフィエラは目を瞬かせて俯く。
図星を突かれて、何も言えなかった。


「シグ。その言い方だと、僕が何か悪いことしたみたいじゃないか」

テーブルの奥から、いつの間にか会話に加わったユリウスが静かに笑う。
どこか満足げで、普段よりもほんの少しだけ、やわらかい空気をまとっていた。

「いや、悪いわけじゃねぇが……」と、シグ。

「でも、ルナってば……目が合うとすぐ逸らすし、パン持ったままぼーっとしてるし……やっぱり“何か”あったんだね?」

「っ、な、なにもないよ!」

「嘘だね?はい、嘘ついたらおしおきだよ~?」

「フィン、落ち着いて」

ヴィクトルが苦笑しながら小さく肩をすくめた。


「……なんで、こんなすぐバレるの……」

ルナはパンを両手で抱えたまま、ぽそっと呟く。
朝からこんなに視線を浴びるとは思っていなかった。

(……でも、バレても怒られるわけじゃない)

むしろ、皆の反応は、どこか楽しげで優しい。
嫉妬や責めるような空気はなくて――

(そうだよね……優しい人たちばかりだもん)

なのに。
昨夜のキスが頭から離れない。

“本気だよ”と囁かれた声が、鼓膜の奥に染みついている。
ユリウスのぬくもりが、まだ腕に残っている。

そしてルナフィエラは、薄々気づいていた。

(気づいちゃいけない。気づいたら、もう戻れなくなる)

誰かを想う気持ち。
それは、主従でも、絆でもなくて――

もっと、特別な感情。

ほんの少しだけ、怖くなった。
でも同時に、胸の奥があたたかくなっていた。

(……どうしよう)

朝の光の中で、ルナはそっと息を吐いた。
誰にも悟られないように――そう願いながら。
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