純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第五章:みんなと歩く日常

第82話・異変の兆し、育ちゆくもの

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木陰で小休憩を取ったあと、ルナフィエラたちは再び森の中の小道を歩き出していた。

深呼吸をすれば、ひんやりとした空気が肺に入り込んでくる。
鳥の声も、さっきより近くで聞こえるようになっていた。

「……気持ちいいね、森って」

「ええ。空気が澄んでいます」

ヴィクトルがそう返し、横で歩くシグは何も言わずに、落ち葉を踏んで歩調を合わせている。

ルナフィエラはゆっくりと歩を進めながら、ふと思った。

(少しずつ、体も楽になってきてるのかも……)

――けれど。

「……ッ……!」

唐突に、胸の奥で“ドクン”と何かが鳴った。

強く、深く、身体の中心を揺さぶるような脈動。
その瞬間、視界が揺れる。

「っ、あ……っ」

思わず足が止まり、ふらついた身体が前のめりに傾く。
胸元を押さえたルナフィエラがその場に膝をつくと、落ち葉の上に軽い衣擦れの音が落ちた。

「ルナ様!」

「……っ、は……ッ……」

呼吸がうまくできない。
痛みではない。でも、身体の奥がずっと震えている。
自分の中の何かが、変わろうとしている――そんな感覚。

「ルナ、立てるか?」

シグの声がすぐ横で落ちる。
けれどルナは、首を振る余裕もなく、苦しげに眉を寄せたまま動けなかった。

次の瞬間――

「戻るぞ」

その言葉とともに、シグはしゃがみこむと迷いなくルナフィエラの身体を抱き上げた。
驚くほど素早く、そして無駄のない動作だった。

「シグ……っ」

「今は喋るな。……揺らさないようにする」

シグの腕の中で、ルナフィエラは必死に胸を押さえながら息を整えようとする。
けれど鼓動はなおも激しく、内側から全身に“熱”のようなものが巡っていく。

ヴィクトルはすぐに後ろに回り込み、周囲の気配を警戒しながら並走する。

「……古城まで、最短ルートで戻りましょう。あの症状は……」

言葉を濁す。
けれど、彼の目は鋭く、ただの体調不良ではないと悟っている。

(……これは、“異変”だ)

魔力の流れが整い始めたことによる、身体の変化。
それは新たな段階へと入ったことの証。

けれど当のルナフィエラは、それを理解できる余裕もなく、ただ強い動悸に抗いながら、
シグの腕の中で目を閉じた。

静かだった森に、空気の張り詰めた気配が漂い始める。
日差しはまだ穏やかで、鳥たちは変わらず囀っていた。

けれど、それはもう、何かが変わり始めたという予兆だった。


古城に戻ると、ルナフィエラはすぐに自室のベッドへと運ばれた。

微かに汗ばんだ額を拭いながら、ヴィクトルがそっと毛布をかける。

「……お疲れでしょう。横になっていてください」

「……うん」

ルナフィエラは小さく頷き、ゆっくりとシーツの中に身体を沈めた。
先ほどのような強い動悸はもうなかったけれど、まだ身体は少し重い。

全身に薄い膜をかけられたような、ぼんやりとした感覚。

(……なんだろう、これ)

隣では、ユリウスが診察の準備を進めていた。
いつもと変わらない、落ち着いた手つき。
薬瓶の蓋を開け、淡く香るハーブのにおいが部屋に広がる。

フィンとシグは扉のそばに控え、静かに様子を見守っていた。

「熱は……微熱程度かな。高くはないけど、だるさがあるだろう?」

「……うん。すこし、身体が重い……」

「ふむ、じゃああまり動かないほうがいいね。……心臓の鼓動は整ってきてる」

ユリウスはルナフィエラの手首に指を添え、脈を静かに確認する。
そのまま、額に軽く手を当てると、穏やかに言った。

「しばらくは、少しずつこういう日が増えていくかもしれないよ」

「……こういう、って?」

「身体が変化していく兆し。魔力の流れが安定しはじめたことで、今まで滞っていた部分が、ちゃんと動き出してる。……要するに、“育ちはじめた”ってことだね」

“育つ”という言葉に、ルナフィエラはほんのわずか眉をひそめる。

(育つ、って……そんな、突然……)

戸惑いはあった。
でも、それをどう表現したらいいのか、自分でもわからなかった。

不安じゃないと言えば嘘になる。
けれど、怖いだけでもなかった。

少しの間、言葉を見つけられずにいたルナフィエラに、ユリウスはやわらかく微笑んだ。

「不安にならなくていい。ちゃんと見てるし、何かあればすぐ言って。……ルナは、独りじゃないんだから」

その言葉に、胸の奥がふっと軽くなる。

ベッド脇に立つヴィクトルも、変わらぬ無言のまなざしでルナフィエラを見守っていた。
何も言わなくても、そこにいるという事実が、なぜだかとても心強かった。

「……ありがとう、ユリウス。ヴィクトルも……みんなも」

静かに言って、ルナフィエラはまぶたを閉じた。
布団の中で、微熱に浮かされた身体は確かに重かったけれど、
同時に、それを預けてもいいと思える安心感があった。

世界がほんのりとぼやけていく。

その中で、ルナフィエラは自分の中で何かがゆっくりと動き始めたのを、
ぼんやりと、でも確かに感じていた。
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