病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第58話・小さな願いに、約束を添えて

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その日の夜。
夕食を終え、温かいお茶を手にしていたとき。
琴葉は少し迷ったように視線を落とし、それから意を決したように口を開いた。

「……そうちゃん、あのね。週末、綾花ちゃんと真奈ちゃんに誘われたの」

少し間を置いて、続ける。

「一緒に洋服とか、見に行かない?って……」

「……」

奏一の指が、ふっと止まった。

「その日は……私は仕事で、一緒に行くことができません」

少しだけ言葉を選ぶように、低く告げる。

「外出先で何かあった際に……私が傍にいられないのは不安です」

(……そうだよね。そうちゃんがいない時に、もし何かあったら大変だもん)

胸の奥で、琴葉は小さく息を吐いた。
少し前までの自分なら、それでも「行きたい」と反発したはず。

でも今は違う。

行きたい気持ちは、確かにある。
けれど、それ以上に――

(……そうちゃんに、迷惑かけたくない)

もし外で倒れてしまったら。
その知らせが仕事中の奏一に届いたら。
心配をかけて、負担をかけて、それで嫌われてしまったら。

想像するだけで、胸がきゅっと縮こまり、唇がわずかに震えた。

「……今回は断るね」

そう呟いた琴葉の横顔は、沈んだ影に覆われていた。
必死に気持ちを抑え込んで、諦めようとしているのが痛いほど伝わってくる。

奏一の胸が締めつけられた。

「……でも、行きたいのでしょう?」

そっと問いかけると、琴葉の肩が小さく揺れる。

「……うん、行きたい。……でも、難しいのもちゃんとわかってる」

か細い声。
正直な気持ちと、理性のせめぎ合いだった。

奏一は深く息を吐き、静かに頷く。

「わかりました」

一拍置いて、続ける。

「いくつか、守っていただきたいことがあります。その条件を守れるなら――行ってきても構いません」

「……え?」

「――人混みは極力避けること。長時間歩かないこと。体調に少しでも違和感を覚えたら、すぐ薬を飲み、私に連絡をすること」

視線をまっすぐ向ける。

「……守っていただけますか?」

「……うん、守る!」

一瞬で表情が明るくなり、琴葉は身を乗り出した。

「ちゃんと守るから!」

「……本当に?」

「うん!」

ぱっと花が咲いたような笑顔だった。
ついさっきまでの沈んだ影は、嘘のように消えている。

「ありがとう、そうちゃん! 本当にありがとう!」

抑えきれない喜びのまま、琴葉は彼の胸に飛び込んだ。

奏一はその体を抱き留め、そっと目を閉じる。
この小さな願いを叶えただけで、こんなにも嬉しそうに笑ってくれる。

この笑顔を守れるならどんな苦労でも、惜しくはない、と。


その後ー。
お風呂上がりにリビングのソファへ腰を下ろすと、琴葉はタオルで髪を押さえながらスマートフォンを手に取った。

グループトークを開き、指先で文字を打つ。

『週末、一緒に行けることになったよ』

送信してすぐ、「やった!」という文字と、楽しそうなスタンプが画面に並ぶ。
思わず、小さく笑みがこぼれた。

――ほんの少し前までは、友達と出かけるなんて想像もしなかったのに。

胸の奥にじんわりと広がる温もりが、週末への期待をそっと灯していた。


——————

週末の朝。
アラームが鳴る前に目が覚めてしまった。

友達と遊びに行く――
ただそれだけのことが、胸をわくわくでいっぱいにしている。

けれど、家の中に奏一の姿はなかった。
「今日は仕事で朝早く出ます」と昨夜告げられていたのを思い出す。

いつも出かける前に撫でてくれる手も、送り出してくれる声も今日はない。

その代わり、テーブルの上に一枚のメモが置かれていた。
奏一の、整った字。

『いってらっしゃい。是非、楽しんできてください。
くれぐれも体調には気をつけて』

それだけの言葉なのに、胸がぎゅっと温かくなる。

一人で出かける不安は、確かにある。
でも、このメモがあれば大丈夫な気がした。

身支度を整え、鏡の前で何度も髪を整えてから、玄関を立つ。
胸の奥で小さく息を吸い込んで――

「……いってきます、そうちゃん」

誰もいない家に向かってそう告げると、少しだけ足取りが軽くなった。
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