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第63話・沈黙が、恋を削っていく
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それからの時間は、ゆっくりと――けれど確実に、心を削っていった。
朝、目を覚ましても隣にいない。
夜、布団に入っても聞こえるのは、自分の呼吸音だけ。
たったそれだけの違いが、こんなにも胸を締めつけるなんて思わなかった。
(……会いたい)
何度もそう思いながら、無意識にスマートフォンを握りしめてしまう。
けれど、通知欄は静かなまま。
仕事が忙しいのは、わかっている。
だから、自分から連絡するのは控えようと決めていた。
今ごろきっと、休む間もなく働いている。
そんなときに私情を挟むのは、彼の負担になる気がして。
(……それでも)
たった一言でもいいから、「元気か」とか「ちゃんと食べてるか」とか。
もし、向こうからそんな言葉が届いたら、それだけでどれほど救われるだろう。
けれど、現実にあるのは沈黙だけ。
画面を閉じるたび、胸の奥に音のない波が広がっていった。
夕食時、食卓に並ぶ料理を前に、琴葉は黙って箸を動かす。
口には運んでいるけれど、動きはどこか鈍く、一口ごとに小さく間が空いた。
母は何も言わず、ただ様子を見守っている。
父だけが、ふと気づいたように声をかけた。
「……体調、悪いのか?」
一瞬、言葉に詰まる。
「ううん、大丈夫」
精一杯、いつも通りの笑顔を作って答える。
けれど、その声は少しだけ軽くて、
自分でも“いつもの調子じゃない”とわかってしまう。
食べていないわけじゃない。
それでも、心までは追いついてこなくて。
言葉で自分を支えるには、少しだけ、力が足りなかった。
──そして、30日。
昼過ぎの薄曇りの光が、カーテン越しに部屋を淡く照らしている。
琴葉はベッドの上で膝を抱え、窓の外を見つめていた。
スマートフォンは、枕元に伏せたまま。
もう、画面を見るのが怖かった。
軽いノックの音がして、母が顔をのぞかせる。
「……琴葉、ちょっといい?」
「うん」
母の手には、湯気の立つカップがあった。
「少しでも飲めそうかなと思って。ミルクティー淹れてみたの」
「ありがとう……」
カップを受け取る指先が、かすかに震えている。
それに気づいた母は、何も言わず、そっとベッドの端に腰を下ろした。
「朝も、お昼も……あまり進んでないみたいね」
「うん……食べてはいるんだけど、なんだかゆっくりになっちゃって」
「体調、悪い?」
首を横に振る。
けれど、視線は上げられなかった。
母は、その様子を静かに見つめている。
ここ数日、感じていた“違和感”の正体にようやく確信を持った。
少し間を置いて、やわらかく問いかける。
「もしかして……遠野先生のこと、かしら?」
琴葉の肩がぴくりと揺れた。
母はそれ以上、すぐには続けなかった。
ただ、そっと娘の髪を撫でる。
言葉より先に、寄り添うように。
母の問いに、琴葉の唇がかすかに震えた。
それでもすぐには言葉にならない。
静かな部屋に、時計の針の音だけが響いている。
「………どうして、わかるの?」
ようやく出た声は、驚くほど小さかった。
母は微笑みながら、「母親だからよ」とだけ答える。
その一言に、胸の奥が一気に熱くなる。
堪えていたものが、ふっと溢れ出した。
「……寂しいの。ずっと会ってないのに、連絡もなくて……
忙しいだけってわかってるのに、勝手に不安になっちゃって……」
言葉と一緒に、視界が滲む。
涙は止めようとする前に、頬を伝っていた。
母は黙って娘の肩を抱き寄せる。
小さな背中を包み込むように、ゆっくりと撫でた。
「好きな人のことを想って、寂しくなるのは、悪いことじゃないわ」
「……でも、重いって、迷惑だって思われたらどうしよう……」
「そんなふうに思うってことは、それだけ大事にしてる証拠よ」
母の声はあたたかく、小さい頃、熱を出した夜にかけてもらった言葉と、よく似ていた。
「……会えない時間が、辛くて我慢していたのね」
琴葉はこくりと頷く。
涙に濡れたまつげが、光を受けて揺れた。
母は琴葉の髪を撫でながら、ふと顔をのぞき込む。
「……ねえ、琴葉」
「うん?」
「今のあなたの顔、少しやつれてるわ」
「え……そうかな」
「うん。頬がちょっとだけこけてるもの。
そんな顔を見たら――先生、心配しちゃうわね」
母の言葉に、琴葉は一瞬、目を瞬かせた。
その“先生”という呼び方に、胸がきゅっと締めつけられる。
母は穏やかな笑みを浮かべながら続けた。
「数日ぶりに会うんだから……うんと可愛い顔で会わないと」
「……うん」
「ちゃんと食べて、ちゃんと寝て。ね?」
母の穏やかな笑みに、琴葉は小さく微笑み返した。
ミルクティーを一口飲む。
甘さが胸に広がり、ようやく息がしやすくなった。
赤くなった目をこすりながら、琴葉は小さく呟く。
「……ありがとう、ママ」
朝、目を覚ましても隣にいない。
夜、布団に入っても聞こえるのは、自分の呼吸音だけ。
たったそれだけの違いが、こんなにも胸を締めつけるなんて思わなかった。
(……会いたい)
何度もそう思いながら、無意識にスマートフォンを握りしめてしまう。
けれど、通知欄は静かなまま。
仕事が忙しいのは、わかっている。
だから、自分から連絡するのは控えようと決めていた。
今ごろきっと、休む間もなく働いている。
そんなときに私情を挟むのは、彼の負担になる気がして。
(……それでも)
たった一言でもいいから、「元気か」とか「ちゃんと食べてるか」とか。
もし、向こうからそんな言葉が届いたら、それだけでどれほど救われるだろう。
けれど、現実にあるのは沈黙だけ。
画面を閉じるたび、胸の奥に音のない波が広がっていった。
夕食時、食卓に並ぶ料理を前に、琴葉は黙って箸を動かす。
口には運んでいるけれど、動きはどこか鈍く、一口ごとに小さく間が空いた。
母は何も言わず、ただ様子を見守っている。
父だけが、ふと気づいたように声をかけた。
「……体調、悪いのか?」
一瞬、言葉に詰まる。
「ううん、大丈夫」
精一杯、いつも通りの笑顔を作って答える。
けれど、その声は少しだけ軽くて、
自分でも“いつもの調子じゃない”とわかってしまう。
食べていないわけじゃない。
それでも、心までは追いついてこなくて。
言葉で自分を支えるには、少しだけ、力が足りなかった。
──そして、30日。
昼過ぎの薄曇りの光が、カーテン越しに部屋を淡く照らしている。
琴葉はベッドの上で膝を抱え、窓の外を見つめていた。
スマートフォンは、枕元に伏せたまま。
もう、画面を見るのが怖かった。
軽いノックの音がして、母が顔をのぞかせる。
「……琴葉、ちょっといい?」
「うん」
母の手には、湯気の立つカップがあった。
「少しでも飲めそうかなと思って。ミルクティー淹れてみたの」
「ありがとう……」
カップを受け取る指先が、かすかに震えている。
それに気づいた母は、何も言わず、そっとベッドの端に腰を下ろした。
「朝も、お昼も……あまり進んでないみたいね」
「うん……食べてはいるんだけど、なんだかゆっくりになっちゃって」
「体調、悪い?」
首を横に振る。
けれど、視線は上げられなかった。
母は、その様子を静かに見つめている。
ここ数日、感じていた“違和感”の正体にようやく確信を持った。
少し間を置いて、やわらかく問いかける。
「もしかして……遠野先生のこと、かしら?」
琴葉の肩がぴくりと揺れた。
母はそれ以上、すぐには続けなかった。
ただ、そっと娘の髪を撫でる。
言葉より先に、寄り添うように。
母の問いに、琴葉の唇がかすかに震えた。
それでもすぐには言葉にならない。
静かな部屋に、時計の針の音だけが響いている。
「………どうして、わかるの?」
ようやく出た声は、驚くほど小さかった。
母は微笑みながら、「母親だからよ」とだけ答える。
その一言に、胸の奥が一気に熱くなる。
堪えていたものが、ふっと溢れ出した。
「……寂しいの。ずっと会ってないのに、連絡もなくて……
忙しいだけってわかってるのに、勝手に不安になっちゃって……」
言葉と一緒に、視界が滲む。
涙は止めようとする前に、頬を伝っていた。
母は黙って娘の肩を抱き寄せる。
小さな背中を包み込むように、ゆっくりと撫でた。
「好きな人のことを想って、寂しくなるのは、悪いことじゃないわ」
「……でも、重いって、迷惑だって思われたらどうしよう……」
「そんなふうに思うってことは、それだけ大事にしてる証拠よ」
母の声はあたたかく、小さい頃、熱を出した夜にかけてもらった言葉と、よく似ていた。
「……会えない時間が、辛くて我慢していたのね」
琴葉はこくりと頷く。
涙に濡れたまつげが、光を受けて揺れた。
母は琴葉の髪を撫でながら、ふと顔をのぞき込む。
「……ねえ、琴葉」
「うん?」
「今のあなたの顔、少しやつれてるわ」
「え……そうかな」
「うん。頬がちょっとだけこけてるもの。
そんな顔を見たら――先生、心配しちゃうわね」
母の言葉に、琴葉は一瞬、目を瞬かせた。
その“先生”という呼び方に、胸がきゅっと締めつけられる。
母は穏やかな笑みを浮かべながら続けた。
「数日ぶりに会うんだから……うんと可愛い顔で会わないと」
「……うん」
「ちゃんと食べて、ちゃんと寝て。ね?」
母の穏やかな笑みに、琴葉は小さく微笑み返した。
ミルクティーを一口飲む。
甘さが胸に広がり、ようやく息がしやすくなった。
赤くなった目をこすりながら、琴葉は小さく呟く。
「……ありがとう、ママ」
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