病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第67話・ふたり分の、年越し準備

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涙も落ち着き、部屋に戻って荷物を片づけているうちに、気づけば空は夕方の色に変わっていた。
壁の時計を見上げて、琴葉がソファから顔を上げる。

「そろそろ、夕ご飯の時間だね」

「……そうですね」

奏一も腕時計をちらりと確認して頷いたが、すぐに少し眉を寄せた。

「……困りました」

「え?」

「家に、何もないんです」

「……え?」

「出張や当直が続いていましたから。冷蔵庫も、ほとんど空で」

「あの、そうちゃんが……?」

琴葉は思わず小さく笑ってしまう。
几帳面で、何でもきちんとこなす奏一の姿しか知らなかったから、そんな言葉が出るとは思わなかった。

「完璧なそうちゃんにも、抜けてるところあるんだね」

「抜けてる、ですか」

奏一がわずかに眉を上げる。

「だって……なんか新鮮」

琴葉が首をかしげて笑うと、奏一は観念したように小さく息を吐いた。

「まぁ……そうですね。
ひとりのときは、仕事が終われば適当に済ませていましたから」

「そうなの?」

「年末年始も、ずっと病院でした。
年越しも病棟のラウンジでインスタントのカップそばでしたよ」

「え……それは、ちょっと寂しいね」

「でも、今年は違います」

「……?」

そう言って、奏一は穏やかに微笑む。

「今年は、琴葉さんがいますから」

その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなる。

「……そうちゃん」

呼びかけた声が、わずかに震えた。

「じゃあ、今日はインスタントじゃなくて、ちゃんとしたご飯にしよう?」

「え?」

「おそばとか、天ぷらとか。
せっかくだし、年越しっぽいのにしようよ」

「……そうですね」

少し考えたあと、奏一は立ち上がった。

「では、買い出しに行きましょうか」

「うん」

琴葉も嬉しそうに頷く。

嬉しそうに頷く琴葉を見て、奏一はふっと微笑む。
さっきまで泣いていた彼女が、もうこんなふうに笑っている。

――あぁ、やっぱり帰ってきてよかった。

そう心の中で呟きながら、奏一はそっと琴葉のコートを手渡した。

***

スーパーの自動ドアをくぐると、年末特有のざわめきと、出汁の香りがふたりを包んだ。

「すごい、人多いね」

琴葉が思わず小さくつぶやく。

「皆さん、年越しの準備ですね」

奏一はそう言いながら、人の流れの中で琴葉の手をそっと取る。

「離れないように」

「……うん」

琴葉の頬がわずかに赤く染まる。

買い物かごを手に取ると、まずは年越しそばのコーナーへ。

「おそばは……乾麺でいいかな?」

「そうですね。茹でるだけならすぐできます」

「じゃあ、海老天とおネギも」

自然な流れで、視線は惣菜コーナーへ移る。
栗きんとん、黒豆、かまぼこ。
簡単なおせちも並んでいた。

「少し、おせちっぽいものも買いましょうか」

「うん。お正月だし」

「他に、食べたいものはありますか?」

しばらく考えてから、琴葉がぽつりと言う。

「……そうちゃんのお雑煮、食べたい」

「お雑煮ですか。いいですね」

奏一は笑みを浮かべながら、
「お餅と、三つ葉と……鶏肉も」と呟いてかごに入れていく。

「あと……」

琴葉がそっと手を伸ばした。

「これも、いい?」

指差したのは、苺のショートケーキ。
ケースの中で、赤い果実が小さく光っている。

「もちろん」

奏一が微笑む。

「甘いものも、必要ですから」

「ふふっ、ありがとう」

気づけば、かごの中はいっぱいになっていた。
年越しそばの材料、おせち、雑煮の具材、そしてデザート。
ふたりのための、初めての“お正月準備”。

レジを終えて外に出ると、街はすっかり夜の気配に包まれていた。
吐く息が白く揺れる中、買い物袋を両手に提げた奏一の背中が、どこか優しく見える。

「そうちゃん」

「はい?」

「なんか……不思議」

「不思議、ですか?」

「こうして一緒に買い物してるだけで、すごく嬉しいの。
普通のことなのに、私には……ずっと普通じゃなかったから」

「……そうですね」

奏一の声も少しだけ柔らかくなる。

「普通が、いちばん特別ですからね」

琴葉は小さく笑い、彼の隣に歩調を合わせた。
冷たい風が頬を撫でても、心の中はぽかぽかと温かかった。
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