病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第68話・重なる声で、年を越す

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買ってきた食材をキッチンに並べると、奏一は手際よく支度を始めた。
エプロンをつけ、手早く出汁を取り、そばを茹でる。

その一つひとつの動作が静かで、落ち着いていて、どこか安心感がある。

「……やっぱり、そうちゃんすごいね。何でもできちゃう」

琴葉は隣で器を並べながら、ぽつりと呟いた。

「生活していれば、自然と覚えますよ。
でも……年越しそばを作って、琴葉さんと食べるのは、初めてですね」

「ふふっ、そうだね」

その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
ほんの数日離れていただけなのに、こうして並んで立っているだけで、涙が出そうになるほど嬉しかった。

やがてテーブルの上には、湯気の立つそばと、海老天の香ばしい匂いが並ぶ。
あたたかな照明が、ふたりの間をやさしく包んでいた。

「いただきます」

声が重なり、箸の音が静かに響く。

「……おいしい」

「よかったです」

ほっとしたように微笑む奏一を見て、琴葉の胸が満たされていく。
寂しかった時間も、戸惑いも、不安も——この一瞬のためにあったのだと思えるほどに。

食後、紅茶と一緒に苺のショートケーキを半分こする。
白いクリームにフォークを入れながら、琴葉が小さく呟いた。

「なんか……幸せだね」

その言葉を口にした瞬間、胸の奥がきゅっと疼いた。
こんな時間が、ずっと続く保証はない。
それでも今だけは、信じていたかった。

「そうちゃんと一緒に年越しするの、初めてなのに……
なんだか“いつも通り”って感じがするの」

「それは、いいことですね」

「うん。……ずっと、こうしていられたらいいな」

その言葉に、奏一は少しだけ目を細めた。

「――いられますよ」

短く、けれど迷いのない声。
穏やかな微笑みが、ふたりの間に静かな灯をともした。

***

部屋の時計は、いつの間にか23時を過ぎていた。
普段なら、とっくに眠っている時間。
けれど今日は、どうしても寝たくなかった。

眠ってしまえば楽だとわかっている。
でも、奏一と同じ年を迎えられるのは、この瞬間しかない。
隣のソファに座る奏一は、いつも通り穏やかな表情で、年越し番組を眺めている。

「……眠いですか?」

「ううん。大丈夫」

そう答えた声は、少しだけ震えていた。
瞼は重く、何度も落ちそうになる。
それでも頬を軽くつねって、必死に笑顔を作る。

「無理しなくていいんですよ」

「でも……」

琴葉は、そっと奏一の袖をつまんだ。

「そうちゃんと、一緒に“年越し”したいの」

その言葉に、奏一の指が止まる。
静かに息を吐き、彼女の頭を撫でた。

「……わかりました。では、一緒に起きていましょう」

その掌の温もりが、眠気よりも強く胸に残る。

そして、画面の中で、カウントダウンが始まった。

「10、9、8――」

ぼんやりしていた意識が、少しずつ研ぎ澄まされていく。
彼の体温、手のぬくもり、全部を感じていたかった。

世界が新しい年に変わる、その瞬間を――。

「3、2、1――」

「――明けましておめでとうございます」

小さな声。
それでもはっきりと、ふたりの声が重なる。

「おめでとうございます」

目が合った瞬間、ふっと琴葉の唇が緩んだ。

「そうちゃん……だいすき」

涙を滲ませて笑うその顔を見た瞬間、奏一の胸の奥で、張りつめていたものがほどけた。

彼はそっと腕を伸ばし、琴葉を抱き寄せる。
細い肩が胸にすっぽり収まり、体温が重なった。

「……会えなくて、寂しかったです」

低く囁かれた声は、わずかに掠れていた。

「わたしも……」

涙まじりの声が返る。

「声を聞かない日が、こんなに長く感じたのは……初めてでした」

「うん……私も」

彼女の背中を撫でながら、奏一は目を閉じる。
小さな体が震えるたび、腕に自然と力がこもった。

離したくない。
この体温も、声も、笑顔も。
自分の知らない場所で、ひとり泣いているなんて、もう耐えられない。

「……もう、離しませんから」

耳元で落とされた声は、やさしいのに、確かな熱を帯びていた。
琴葉は一瞬驚いたように瞬きをして、やがて小さく笑う。

「うん……離れないで」

その一言に、奏一は静かに頷いた。

外では、新しい年を祝う花火の音が、遠くで微かに響いている。
けれど、ふたりの世界は静かだった。

奏一はそのまま琴葉の髪に唇を寄せ、
額からこめかみへと、そっと口づけを落とす。

「おやすみなさい。――琴葉さん」

その声に安心したように、琴葉は彼の胸の中でゆっくりと瞼を閉じた。

呼吸が落ち着き、心臓の鼓動が重なっていく。
奏一は動かず、ただ彼女の髪を撫でながら見守っていた。

年の始まりの夜。
ふたりだけの世界は、静かに、あたたかく灯っていた。
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