【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第7話・ただ、聞きたかっただけなのに

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翌朝。
目覚めると、まぶたが重くて、鏡の前で思わずため息をついた。

(……泣きすぎた)

昨夜、自分でも驚くほど涙が止まらなくて。
理由をうまく説明できないまま、布団にくるまって眠った。

今日は、何もなかったように仕事をしなければいけない。

(辞めたいって、あんなに思ってたのに……)

本当にそうだったのか、自分でもわからなくなる。
でも、それを考えることすら、今は怖かった。


午前の業務中。
崇雅が隣の部署から戻ってきたとき、澪の机の前で一瞬だけ立ち止まった。

「……このあと、少し話せるか?」

表情はいつも通りだった。
でも、その声だけが、いつもより少しだけ――柔らかく聞こえた。

(あ……)

うなずくことしかできなかった。


会議室。
スイッチですりガラスになる個室。外から見えず、落ち着ける空間。

けれど、崇雅とふたりきりになったその空間は、逆に緊張を倍増させた。

彼は無言で、手元の資料をめくっていた。
けれど、それは“話すため”というより“間をつなぐため”の動作のように思えた。

やがて、彼が口を開いた。

「……退職の気持ちは、もう変わらないのか?」

(……え?)

一瞬、意味が飲み込めなかった。

退職の意向を伝えてから、ずっと何も言ってこなかったのに。
どうして今、そんなふうに聞いてくるの?

「……そう…ですね……」

歯切れの悪い回答。
本当は、揺らいでいた。
でも、本当のことを言うのは怖かった。

崇雅は、しばらく黙っていた。
その沈黙が、答えを探しているように思えた。

(どうして……いま、そんなふうに言ってくれるの…)

期待してはいけないと思っていたのに。
このひとことが、胸の奥を強く揺さぶった。

「今のままでも、業務に支障は出ていない。だから判断は任せる」

結局、返ってきたのは、
“辞めるな”とも、“考え直せ”とも言わない、
確認するだけの、他人行儀な言葉だった。

それでも――最初の問いかけに、ほんの少しだけ“迷い”がにじんでいた気がした。

「……わかりました」

それでもうなずくしか、できなかった。


部屋を出たあと、胸の奥が重かった。
話せただけ、よかったはずなのに。

(ただ、……聞きたかっただけなのに)

それだけなのに――
何か言ってくれると期待した自分が、ばかみたいだった。

でも、わかってる。
あの人は、不器用だって。

その沈黙の奥に、何かがある気がしてしまうから。
澪はまた、答えの出ない感情を抱えたまま、席へと戻った。



ー翌日。
その日は朝から、どこか落ち着かない気持ちだった。
昨日、崇雅と話したことが、頭から離れない。

「気持ちは、もう変わらないのか?」

あの言葉が、どうしても心に残っていた。

(……変わってほしい、って思っていたのかな)

その答えを聞きたくて、彼はあんなふうに聞いたのかもしれない。

でも――やっぱり、わからない。

何も言わない人だから、想像するしかない。
それが余計に苦しくなる。


午前のミーティングを終えて、自席に戻る途中。
すれ違いざま、崇雅がふと足を止めた。

「資料、戻すの忘れていたな。結城、確認する前に一緒に見ておくか?」

(……一緒に?)

自分ひとりでも対応できる内容だ。
これまでなら、そんな提案はなかったはずなのに。

「……はい。お願いします」

それしか言えなかった。
隣を歩きながら、どうしてだろうと思う。

些細なやりとり、たったそれだけのこと。

でも、まるで“わざわざ時間を作っている”ような。
そんなふうに感じてしまう自分がいる。


会議室に入ると、崇雅は無言で資料を開いた。

「この工程、実際にはこう動いてる」

近くで話される声に、少し鼓動が速くなる。

(……距離が近い)

気のせいかもしれない。
けれど、ここ最近、彼が“自分にだけ”向けてくる行動が増えている気がした。

助けてくれた打ち合わせも、
負担を減らすよう調整されたスケジュールも、
そして今日の、この資料確認も。

全部が“偶然”であるには、少しずつ重なりすぎていた。


会議室を出るとき、少しだけ勇気を出して聞いてみた。

「……部長、最近よく見てくださってますよね。私の仕事のこと」

崇雅は立ち止まり、少しだけ視線を落とした。

「……仕事だからな」

それだけだった。

でも、言葉よりも、視線よりも――
その“間”がすべてを物語っている気がした。

(……やっぱり、特別なのかな)

確信と、困惑と。
そしてほんの少しの、喜び。

私は、自分の気持ちをごまかせなくなっていた。
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