【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第13話・それは仕事か、執着か

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C社から戻って数日後。
澪のもとに、営業部の課長から内線が入った。

「結城さん、朗報だよ。C社の早瀬さんが“今後も結城さんが担当なら契約する”って。正式に名指しでの要望が入ってる」

「……えっ」

思わず声が漏れる。
C社は、社内でも重要な大口クライアント。
その相手から名指しで評価されるのは、異例中の異例だった。

「正直、助かるよ。あそこを本格的に取り込めたら、今期の数字が一気に変わる。負担がかかるかもしれないけど、お願いできるかな?」

「……はい。ありがとうございます。やらせてください」

嬉しかった。
不安もある。
でも――澪は迷わず答えた。
“認められた”ことが、確かに胸に響いたから。


夕方、澪は崇雅から会議室へ呼ばれた。

いつもと変わらぬ無表情のまま、彼は淡々と口を開く。

「C社案件について、正式に結城を担当とすることを決めた。契約の見通しも立った。よくやったな」

「……はい。ありがとうございます」

淡々とした会話。
そのまま終わるかと思ったとき、崇雅がふと声を落とした。

「以降のC社案件には、すべて俺が同席する。訪問・会議・連絡すべて。これは決定事項だ」

「え……?」

思わず聞き返した。
あまりにも当然のように言われたその言葉に、思考が追いつかなかった。

(理由は?)

聞けなかった。
ただ、何かが違うと、本能的に感じていた。

(――そこまでする必要、あるのかな)

安心と戸惑いが胸に混ざる。
評価されたことも嬉しい。
崇雅のサポートも、心強くはある。

けれど。
やはり気になる。

「部長……他の人には、そこまでされないですよね?」

静かに問うと、崇雅は一瞬、目を細めた。
だが、答えはなかった。ただ一歩、近づいてきただけ。


沈黙。
問いかけた瞬間、少しだけ呼吸が浅くなるのがわかった。

崇雅は、無表情のまま澪を見つめていた。
その視線の奥に何があるのか、読めない。
けれど確かに、何かが揺れている気がした。

言葉は返ってこなかった。
代わりに、彼は静かに一歩、距離を詰めた。

至近距離。
思わず息を止めそうになる。

「……体調管理も含めて、すべて仕事だ」

低く、抑えた声だった。
正論に聞こえるその言葉は、どこか苦しげにも思えた。

(じゃあこれは、“仕事”なんだ)

そう思えば、安心できるはずだった。
だけど心の奥では、そう割り切れない自分がいる。

崇雅が先に会議室を出ていく。
澪はしばらく、その場から動けなかった。


翌朝。
澪が出社すると、数人の同僚がさりげなく話していた。

「結城さん、C社のメイン担当になったんだって?」

「へえ、すごい。部長も全部同席って噂本当?あの部長がそこまで動くなんて珍しくない?」

「まあでも、C社って大口案件でしょ?もしミスとかトラブルとかあったら…」

他愛もない雑談。悪意はない。
でも、耳に残る。

(……やっぱり、周りも気づいてる)

崇雅は変わらない。
挨拶もなければ、雑談もない。
なのに、私にだけ何かが違う。

「……結城さん?」

「あっ、はい。すみません、今行きます」

誰かに呼ばれて我に返る。
今日もいつも通りの一日が始まる。

でも、崇雅と話したあの“沈黙”だけが、胸の奥でまだ響いていた。


——————

C社との再打ち合わせが設定されたのは、前回の訪問からまだ一週間も経たない頃だった。
澪はその日、いつもより早く出社し、資料の最終確認に追われていた。

「結城さん、これでよさそう?」

「はい、完璧です。ありがとうございます」

営業部の水野が軽く親指を立てる。

「早瀬さん、なんか結城さんと話すの楽しみにしてたっぽいよ。次もお願いしますって何度も言ってたし」

「……え?」

意外そうな顔をした澪に、水野は何でもないように続ける。

「早瀬さんって目立つタイプじゃないけど、ああいうタイプは気に入った相手には一途らしいよ」

(……一途って、仕事の話よね?)

笑って返したつもりだったが、胸の奥に何かが引っかかった。


再びC社本社の応接室。
今回も澪・崇雅・水野の3名で訪問。
打ち合わせは、澪の資料をもとにスムーズに進行していた。

「今回も素晴らしい資料でした。細かい部分まで考えられていて、こちらとしても非常に助かります」

早瀬の穏やかな口調に、澪は頭を下げた。

「恐縮です。至らない点があれば、ご指摘いただければと」

「そんなことありませんよ。もしよければ、また別件で少し相談させてもらえませんか?」

「もちろんです」

早瀬の視線が、まっすぐに澪を捉えていた。
言葉も表情も丁寧だけれど、その眼差しには“好意”の色がほんのり混ざっている。

澪自身は、まだそれを正確に読み取れない。

だが、隣に座る崇雅は、確実にそれを感じ取っていた。

無言のまま、応接テーブルの上に並ぶ資料を整える手が、わずかに止まった。

(……またか)

自分の感情に名前をつけることは、まだできない。
けれど、彼女が他の男に見られている――ただそれだけで、胸の奥にじわりと苛立ちが湧いてくる。


打ち合わせが終わった帰り道。
社用車に乗り込むと、運転席の水野が軽く話しかけてきた。

「結城さん、ほんと頼りになるなあ。あれだけ相手に気に入られてるなら、もうこのままC社専属でもいいんじゃない?」

「そ、そんな……私なんてまだまだで……」

「そうか?早瀬さんのあの感じ、仕事以上に気に入ってそうだったけどな~」

水野の冗談に、澪は曖昧に笑ってごまかした。
後部座席に座る崇雅は、終始無言だった。

でも、ただひとつ。
その日以降、澪のC社案件には――
崇雅の“介入”が、より深く静かに入り込んでいくようになるのだった。
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