【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第86話・任せる勇気、支える強さ

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翌朝。
薄い雲のかかる空から差し込む光が、車の窓越しに柔らかく揺れていた。

運転席の崇雅が、信号待ちの合間にふと口を開く。

「……昨日は、ちゃんと寝られたか?」

その問いに、澪は「はい」と頷いて、小さく笑った。

「今日は……昨日よりも、気持ちに余裕があります」

「そうか」

短い返事。
それだけなのに、視線の端に浮かんだわずかな笑みに、澪の胸はじんわりとあたたかくなるのだった。


午前10時。

プロジェクトルームに立つ澪は、ホワイトボードを背に、全体進行表を前にしていた。

「この資料の更新、Bチームの山本さんにお願いできますか?今の工程に一番詳しいのはあなたなので」

「わかりました。15時までに仕上げます」

「ありがとうございます。終わったら一度、私に目を通させてください」

これまでなら、自分で抱え込んでいたタスク。
けれど今日は、“任せる”という選択をした。

以降も、各所に的確な指示を飛ばし、状況の確認と共有を取りながら、プロジェクトを着実に前へ進めていく。

「——お疲れさまです。午後の打ち合わせ、議事録は川口さんにお願いしたいんですけど、大丈夫そうですか?」

「はい、問題ありません」

「助かります。何かあればすぐ声をかけてくださいね」

声にはまだ少し緊張が滲む。
けれど、澪の表情は以前よりずっと落ち着いていた。

“自分が全部やらなければ”という思考の檻から、一歩外へ出た。
小さな変化だけれど、そこに澪自身もちゃんと気づいていた。


夕方、澪はノートPCを抱えて、崇雅のデスクにやって来た。

「——今、お時間いいですか?」

「……ああ」

珍しく自分から来た澪に、崇雅は手元の資料を閉じ、視線を彼女へと向けた。

立ち上がり、そのまま2人で会議室へ移動する。

「進捗、今日の分まで一通りまとまりました。メンバーにも少しずつ分担できてきています」

「そうか。いい流れだな」

「……昨日、教えてもらった“影響範囲”と“流れを止めないこと”を意識してみました」

「それで?」

「難しかったけど、前より少しだけ、仕事がスムーズになった気がします。
あと……こういうこと、ちゃんと報告した方がいいかなと思って」

その言葉に、崇雅は少しだけ目を細めて、澪のノートPCを指差した。

「見せてみろ。進捗、確認してやる」

「……ありがとうございます」

澪がPCを開いたとき、その頬はほんのりと紅く染まっていた。


「……あの、今後のことで少し相談もいいですか?」

「ああ。責任者が“相談できる上司”を持っているのは、悪いことじゃない」

「はい……じゃあ、遠慮なく……」

そう言って澪は、今後のタスク割り振り、メンバーのフォロー体制、そして自分の体調管理まで、ありのままを崇雅に伝えた。

一つひとつ、言葉に迷いはあっても、逃げるような後ろ向きさはなかった。

崇雅はそれを真剣に聞き、上司として、そして恋人として、的確に返していく。


打ち合わせを終えたとき、澪はふと、静かに息を吐いた。

「……今日、少しだけ、自分を褒めてもいいですか?」

「そうだな。……じゃあ、今夜は澪の好きなもの買って帰ろう」

「……やった、楽しみです」

そんな何気ない会話が、澪の胸に深く沁みていた。

——ちゃんと、進んでる。

小さくても、崩れそうになっても、前に進めている。
支えてくれる人がいる今なら、もっと強くなれる。
澪はそんな確かな手応えを、胸の奥で静かに噛みしめていた。
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