129 / 168
第124話・心を殺して、生きてきた
しおりを挟む
崇雅が一礼し、落ち着いた声で挨拶をする。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。結婚のご挨拶に伺いました」
その言葉を受け、澪も深く頭を下げた。
「結城澪と申します。本日は、お忙しい中お時間を頂戴し、ありがとうございます」
彼女の声はやや硬く、それでも誠実さがにじむ丁寧な口調だった。
しかし、応接間の空気は張りつめていた。
父・東條社長は無表情のまま、腕を組んで椅子に深く腰掛けている。
母はその隣でうつむいたまま、視線を上げようとしない。
唯一、崇徳だけが穏やかな表情でふたりに視線を向けていた。
しばしの沈黙ののち、父は低く、威圧的に口を開いた。
「……結婚、か」
声は抑えていたが、明らかに怒気を孕んでいる。
「お前たちの“付き合い”については把握していた。だが……まさか本気だったとはな」
視線は崇雅を貫いたまま、次の瞬間、冷たい刃のように澪へと移る。
「——調べさせてもらった。お前の“相手”についてな」
その言葉に、澪の肩がわずかに震える。
崇雅は彼女の手をそっと握るが、その様子を見た父は鼻で笑った。
「母子家庭育ち、地方の公立高校から国立大学。父親は不在。妹はすでに嫁ぎ、家系としての基盤もなければ、社会的影響力もない。——君に何がある? 何をもって“東條の嫁”を名乗るつもりだ?」
淡々とした口調でありながら、言葉のひとつひとつが澪を切り裂くようだった。
「君の育った環境に“品”はない。学歴を並べようが、身なりを整えようが、所詮は庶民の出。——東條の名を名乗るには、あまりに軽すぎる」
空気が凍りつく。
しかし父の言葉は止まらない。
「——それとも、崇雅。お前はそういう女が好みだったのか? 育ちが悪く、地に足もつかず、媚びへつらうしか取り柄のない女に」
澪の顔から血の気が引いていく。
「……くだらない。——情に流されて人生を棒に振るとは、愚か者の極みだな」
次に放たれた矛先は、崇雅自身だった。
「お前には期待していなかったが、まさかここまで“見る目がない”とはな。
会社を任せる以前の問題だ。女一人、まともに選べない男が、何を背負えるというんだ」
澪と崇雅の全てを否定する父の言葉に、応接間の空気が更に凍りついた。
澪は、絞り出すような呼吸だけで必死に姿勢を保っている。
その手はかすかに震えていた。
だが、崇雅自身は何一つ動揺していなかった。
父に否定されるのは、慣れきっていたからだ。
幼い頃からそうだった。
褒められた記憶などない。
何をしても兄と比べられ、「劣っている」「出来損ない」「東條の名を汚すな」と罵られてきた。
母は父に逆らえず、優秀な兄に付きっきり。
そんな家庭の中で、崇雅はただ感情を殺し、最低限言われたことだけをこなすようになった。
——期待することを、やめたのだ。
今さら何を言われようと、心は傷つかない。
しかし——
(澪を、俺の妻になる人間を、傷つけるのは許さない)
ゆっくりと、崇雅は顔を上げた。
「——もういいだろう」
低く、しかしはっきり通る声で、崇雅が口を開いた。
「あなたが俺をどう評価しようと構いません。
けれど、彼女を貶めるのは——やめていただきたい」
父の眉がわずかに動く。
「澪が“東條の嫁“にふさわしくないと言うのなら、それでいい。
俺は——彼女を東條の嫁にするつもりはありません」
一瞬、空気が止まった。
「……俺が、結城家に婿入りします」
沈黙。
父も、母も、崇徳さえも、その言葉の意味を一瞬で理解できずにいた。
「……お…前…な、にを……?」
父がようやく絞り出すように声を発した。
「婿入り、だと……? お前が、その女の姓を名乗ると……!?」
「ええ」
崇雅は一歩も退かず、まっすぐ父を見据えた。
「俺は澪と結婚したい。それがすべてです。
東條の名前がそれを阻むなら、そんなものは要りません」
「ふざけるな……!恩を仇で返すのか……!」
父の怒りが一気に膨れ上がった。
「誰がここまで育ててやったと思っている!? どれだけ金と時間をかけてきたかわかっているのか!?
お前は崇徳と比べて常に劣っていた。家の名に泥を塗り続けてきたくせに、何を今さら——!」
「ええ、言われた通りに生きてきました。
感情を捨て、心を殺して、最低限の義務だけを果たしてきた。
でも今、ようやく“守りたい人”を見つけたんです。
彼女です。俺は、澪を守ります」
「……勝手にしろ!」
父は怒鳴り声を響かせ、椅子を蹴るようにして立ち上がる。
「お前のような息子は、もういらん!二度とこの家の敷居を跨ぐな!」
怒りに満ちた足音とともに、父は応接間を出て行った。
母は一瞬だけ澪を見つめ、何も言わずその後を追う。
——ドアが閉まり、静寂が落ちる。
残された応接間には、崇雅と澪、そして崇徳の3人。
重苦しい空気の中で、澪の指先はまだ、微かに震えていた。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。結婚のご挨拶に伺いました」
その言葉を受け、澪も深く頭を下げた。
「結城澪と申します。本日は、お忙しい中お時間を頂戴し、ありがとうございます」
彼女の声はやや硬く、それでも誠実さがにじむ丁寧な口調だった。
しかし、応接間の空気は張りつめていた。
父・東條社長は無表情のまま、腕を組んで椅子に深く腰掛けている。
母はその隣でうつむいたまま、視線を上げようとしない。
唯一、崇徳だけが穏やかな表情でふたりに視線を向けていた。
しばしの沈黙ののち、父は低く、威圧的に口を開いた。
「……結婚、か」
声は抑えていたが、明らかに怒気を孕んでいる。
「お前たちの“付き合い”については把握していた。だが……まさか本気だったとはな」
視線は崇雅を貫いたまま、次の瞬間、冷たい刃のように澪へと移る。
「——調べさせてもらった。お前の“相手”についてな」
その言葉に、澪の肩がわずかに震える。
崇雅は彼女の手をそっと握るが、その様子を見た父は鼻で笑った。
「母子家庭育ち、地方の公立高校から国立大学。父親は不在。妹はすでに嫁ぎ、家系としての基盤もなければ、社会的影響力もない。——君に何がある? 何をもって“東條の嫁”を名乗るつもりだ?」
淡々とした口調でありながら、言葉のひとつひとつが澪を切り裂くようだった。
「君の育った環境に“品”はない。学歴を並べようが、身なりを整えようが、所詮は庶民の出。——東條の名を名乗るには、あまりに軽すぎる」
空気が凍りつく。
しかし父の言葉は止まらない。
「——それとも、崇雅。お前はそういう女が好みだったのか? 育ちが悪く、地に足もつかず、媚びへつらうしか取り柄のない女に」
澪の顔から血の気が引いていく。
「……くだらない。——情に流されて人生を棒に振るとは、愚か者の極みだな」
次に放たれた矛先は、崇雅自身だった。
「お前には期待していなかったが、まさかここまで“見る目がない”とはな。
会社を任せる以前の問題だ。女一人、まともに選べない男が、何を背負えるというんだ」
澪と崇雅の全てを否定する父の言葉に、応接間の空気が更に凍りついた。
澪は、絞り出すような呼吸だけで必死に姿勢を保っている。
その手はかすかに震えていた。
だが、崇雅自身は何一つ動揺していなかった。
父に否定されるのは、慣れきっていたからだ。
幼い頃からそうだった。
褒められた記憶などない。
何をしても兄と比べられ、「劣っている」「出来損ない」「東條の名を汚すな」と罵られてきた。
母は父に逆らえず、優秀な兄に付きっきり。
そんな家庭の中で、崇雅はただ感情を殺し、最低限言われたことだけをこなすようになった。
——期待することを、やめたのだ。
今さら何を言われようと、心は傷つかない。
しかし——
(澪を、俺の妻になる人間を、傷つけるのは許さない)
ゆっくりと、崇雅は顔を上げた。
「——もういいだろう」
低く、しかしはっきり通る声で、崇雅が口を開いた。
「あなたが俺をどう評価しようと構いません。
けれど、彼女を貶めるのは——やめていただきたい」
父の眉がわずかに動く。
「澪が“東條の嫁“にふさわしくないと言うのなら、それでいい。
俺は——彼女を東條の嫁にするつもりはありません」
一瞬、空気が止まった。
「……俺が、結城家に婿入りします」
沈黙。
父も、母も、崇徳さえも、その言葉の意味を一瞬で理解できずにいた。
「……お…前…な、にを……?」
父がようやく絞り出すように声を発した。
「婿入り、だと……? お前が、その女の姓を名乗ると……!?」
「ええ」
崇雅は一歩も退かず、まっすぐ父を見据えた。
「俺は澪と結婚したい。それがすべてです。
東條の名前がそれを阻むなら、そんなものは要りません」
「ふざけるな……!恩を仇で返すのか……!」
父の怒りが一気に膨れ上がった。
「誰がここまで育ててやったと思っている!? どれだけ金と時間をかけてきたかわかっているのか!?
お前は崇徳と比べて常に劣っていた。家の名に泥を塗り続けてきたくせに、何を今さら——!」
「ええ、言われた通りに生きてきました。
感情を捨て、心を殺して、最低限の義務だけを果たしてきた。
でも今、ようやく“守りたい人”を見つけたんです。
彼女です。俺は、澪を守ります」
「……勝手にしろ!」
父は怒鳴り声を響かせ、椅子を蹴るようにして立ち上がる。
「お前のような息子は、もういらん!二度とこの家の敷居を跨ぐな!」
怒りに満ちた足音とともに、父は応接間を出て行った。
母は一瞬だけ澪を見つめ、何も言わずその後を追う。
——ドアが閉まり、静寂が落ちる。
残された応接間には、崇雅と澪、そして崇徳の3人。
重苦しい空気の中で、澪の指先はまだ、微かに震えていた。
113
あなたにおすすめの小説
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
【完結】あなた専属になります―借金OLは副社長の「専属」にされた―
七転び八起き
恋愛
『借金を返済する為に働いていたラウンジに現れたのは、勤務先の副社長だった。
彼から出された取引、それは『専属』になる事だった。』
実家の借金返済のため、昼は会社員、夜はラウンジ嬢として働く優美。
ある夜、一人でグラスを傾ける謎めいた男性客に指名される。
口数は少ないけれど、なぜか心に残る人だった。
「また来る」
そう言い残して去った彼。
しかし翌日、会社に現れたのは、なんと店に来た彼で、勤務先の副社長の河内だった。
「俺専属の嬢になって欲しい」
ラウンジで働いている事を秘密にする代わりに出された取引。
突然の取引提案に戸惑う優美。
しかし借金に追われる現状では、断る選択肢はなかった。
恋愛経験ゼロの優美と、完璧に見えて不器用な副社長。
立場も境遇も違う二人が紡ぐラブストーリー。
冷徹社長の「契約」シンデレラ~一夜の過ちから始まる溺愛ルート!? 嘘つきな私と不器用な御曹司のオフィスラブ~
藤森瑠璃香
恋愛
派遣社員の桜井美月は、ある夜、会社の懇親会で泥酔し、翌朝目覚めると隣には「氷の彫刻」と恐れられる若き社長・一条蓮がいた。まさかの一夜の過ち(実際には何もなかったが、美月は勘違い)に青ざめる美月に、蓮は「責任は取る。だがこれは恋愛ではない、契約だ」と、彼の抱えるある事情のため、期間限定で恋人のフリをするよう持ちかける。破格の報酬と蓮の真剣な様子に、美月は契約を受け入れる。
定時で帰りたい私と、残業常習犯の美形部長。秘密の夜食がきっかけで、胃袋も心も掴みました
藤森瑠璃香
恋愛
「お先に失礼しまーす!」がモットーの私、中堅社員の結城志穂。
そんな私の天敵は、仕事の鬼で社内では氷の王子と恐れられる完璧美男子・一条部長だ。
ある夜、忘れ物を取りに戻ったオフィスで、デスクで倒れるように眠る部長を発見してしまう。差し入れた温かいスープを、彼は疲れ切った顔で、でも少しだけ嬉しそうに飲んでくれた。
その日を境に、誰もいないオフィスでの「秘密の夜食」が始まった。
仕事では見せない、少しだけ抜けた素顔、美味しそうにご飯を食べる姿、ふとした時に見せる優しい笑顔。
会社での厳しい上司と、二人きりの時の可愛い人。そのギャップを知ってしまったら、もう、ただの上司だなんて思えない。
これは、美味しいご飯から始まる、少し大人で、甘くて温かいオフィスラブ。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)
久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。
しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。
「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」
――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。
なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……?
溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。
王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ!
*全28話完結
*辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。
*他誌にも掲載中です。
その卵焼き俺にも食わせろ!―ワンナイトラブから逃げたはずなのに、契約で縛られてました!?―
鷹槻れん
恋愛
新沼 晴永(にいぬま はるなが/36)は俺様上司として恐れられる鬼課長。
そんな彼に毎日のように振り回されるのが、犬猿の仲(だと彼女が勝手に思っている)部下の小笹 瑠璃香(こざさ るりか/28)だ。
飲み会の夜、酔ってふにゃふにゃになった瑠璃香を晴永がまんまと持ち帰り――翌朝待っていたのはワンナイトの証拠と契約結婚の書類!?
晴永には逃げようとする瑠璃香を逃がすつもりはないらしい!?
笑いと誤解と契約の、ドタバタラブコメディ!
○表紙絵は市瀬雪さんに依頼しました♥(作品シェア以外での無断転載など固くお断りします)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる