【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第129話・“夫婦”になった日

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6月8日、平日。
午前の業務をそれぞれで終えた2人は、午後から有給を取り、連れ立って役所へと向かった。

婚姻届は、事前に準備していた。
署名も、証人欄も、すべて丁寧に整えられたそれを、澪が静かに窓口へ差し出す。

「受理いたしました。おめでとうございます」

窓口の担当者がそう告げた瞬間、澪は自然と崇雅の方へ視線を向けた。
彼もこちらを見ていて、柔らかく目を細めた。

「……じゃあ、今日から俺たちは夫婦だな。よろしく、澪」

崇雅がそう言って、ほんの少し照れたように笑う。
その言葉の響きに、澪は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

「……こちらこそ。よろしくお願いします、崇雅さん」

言葉を交わしながら、ふたりは自然と手を取り合い、穏やかな足取りで役所を後にした。


そのまま向かったのは、予約していたジュエリーショップ。
澪の左手の薬指には、既に婚約指輪がきらりと輝いている。

「これと重ねても、違和感がないものを」と、崇雅が先に口にする。
澪は婚約指輪は外すつもりでいたが、それを聞いた崇雅が静かに首を振った。

「……ずっとつけててほしい。俺が選んだ、大事な“目印“だから」

その一言に、澪は驚きつつも頷く。
結果、二人の指輪は重ね着けできるシンプルで上品なデザインに決まった。

澪の薬指に婚約指輪と重なるように、新たなリングがぴたりと収まる。
崇雅も、左手を差し出しながら、そっと自分の指輪を確かめた。

「似合ってる」

「……お互い様、です」

顔を見合わせたふたりは、ふっと笑みをこぼし合った。


その後、食材を買い込み、帰宅。
今日は結婚記念日、そして崇雅の誕生日でもある。

澪は夕食とバースデーケーキを自分の手で用意すると決めていた。

キッチンでは、エプロン姿のふたりが並んで立ち、自然に役割を分担する。
崇雅も手慣れた様子で野菜を切り、鍋を見て――気づけば、いつも通りの連携ができていた。

「この後、ケーキの仕上げしますね」

「手伝うよ。クリーム泡立てたり?」

「……もう泡立ててあります。あとは飾り付けだけです」

そんな会話をしながら、二人で料理を仕上げ、ダイニングテーブルへと運ぶ。

今日は、崇雅もグラスにワインを注いだ。

「飲むの珍しいですね?」

「今日は運転がないからな。……それに今日は特別だろ?」

澪は少しだけグラスを傾けただけで、頬がほんのり赤くなる。
ふたりで静かに笑い合いながら、あたたかな食事の時間が流れていった。


食後、澪がそっと出してきたのは手作りのバースデーケーキ。
いちごの季節ではなかったため、旬の桃とメロン、ブルーベリーをあしらった爽やかなケーキに仕上げた。

「生クリーム……ちゃんと立ってるかな」

「完璧だ。俺の誕生日、こんなにちゃんと祝ってもらったの……初めてかもな」

そう言いながらフォークを入れた崇雅は、一口食べて思わず目を見開いた。

「……すごく、うまい」

「そんなに大げさに言わなくても……」

「いや、本気で感動してる。……来年も、これ食べたい」

「ふふ……じゃあ、頑張って作ります」

そのやりとりが、なんでもないようで、かけがえのないひとときだった。

食後、コーヒーを片手にふたりでケーキを分け合いながら、
あたたかな灯りの下で、静かに、確かな幸せを味わっていた。

これから先、どんな日々が待っていたとしても。
この日を、きっと忘れない。

そう思える夜だった。


夜も更け、部屋の灯りが落とされたあと。
2人は並んでベッドに座っていた。

軽くお酒が入ったせいか、澪の頬はまだほんのりと紅を帯びている。
枕元に置かれたライトの柔らかな明かりに照らされて、澪の横顔が浮かび上がった。

「……明日、私だけ仕事なんて、ちょっと不公平かも」

ぽつりと澪が呟くと、隣からくすりと笑い声が返ってくる。

「だから有給取れって言っただろ。自分で私は何も手続きがないから仕事に行くって言ったんだ」

「そうなんですけど……今になってちょっと…
でも、送り迎えしてくれるんですよね?」

「ああ、もちろん。朝も送るし、帰りも迎えに行く。手続きは昼間のうちに終わるから、澪の仕事が終わる前に連絡して」

「ん……ありがとうございます……」

甘えるように崇雅の胸に顔を寄せる澪。

その仕草だけで、崇雅の胸がぎゅっと締めつけられるような感覚に包まれる。

「……今日の澪、ちょっと酔ってる?」

「……んー……そうかな…あったかくて、幸せな気持ち……なので……」

語尾が曖昧になりながらも、澪はぽつぽつと感情のままを言葉にする。
敬語はすっかり崩れて、いつもよりも素の声音が混じっていた。

「今日、入籍して……崇雅さんのこと、もっと好きになった気がする……」

その無防備な一言に、崇雅の理性がゆっくりと削られていくのがわかった。

彼女がふわふわとした目で自分を見つめ、手を伸ばしてきたとき――
崇雅はもう、これ以上我慢できなかった。

「……澪」

名前を呼ぶだけで、澪は自然と目を閉じた。
唇が重なる。優しく、ゆっくりと。

そのまま抱き寄せるように身体を寄せ、彼女の細い腰に手を回す。

「……明日、仕事なんですけど……」

「わかってる。ちゃんと優しくする」

澪がふっと笑う。

その笑みがあまりに柔らかく、あまりに愛しくて――
崇雅の最後の理性が、音を立てて崩れた。

「……はい。やさしく、してね?」

その囁きに応えるように、ベッドへとそっと押し倒し、唇を、指を、幾度となく重ねる。

澪の体温と、確かな心音。

それが、いまここにあること。
それだけで、崇雅の心は救われていた。

夜の静けさの中――
ふたりだけの、深く、甘やかな時間が流れていった。
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