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番外編・ふたりで迎える日まで ①
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妊娠が確定して、数日が経った頃――
はっきりと、つわりの症状が現れ始めた。
朝はまだマシだった。
けれど昼を過ぎるころには、胃が重くなり、わずかな匂いにすら吐き気が込み上げる。
それでも澪は、責任感から会社に出勤し続けていた。
崇雅には「大丈夫」と繰り返していたが、それは本心ではなかった。
午後。
次の会議の準備をしながらも、澪の表情はどこか浮かない。
「……っ、……」
資料を手に立ち上がった瞬間、足元がふらつく。
「……澪?」
崇雅の声がすぐに飛び、視線が交錯した。
次の瞬間、彼は迷いなく立ち上がり、澪のもとへ歩み寄る。
「その資料、俺が持つ」
「だ、大丈夫です……部長、会議……ありますよね」
「それよりも、澪の顔色が問題だ」
低く淡々とした口調。
しかしそこには、明確な優先順位が滲んでいた。
澪と崇雅が夫婦であることは社内でも知られている。
だが、崇雅がここまで露骨に心配する姿を見るのは、多くの社員にとって初めてだった。
視線を感じながらも、崇雅は全く動じない。
無言で部下の一人に目をやると、即座に理解したように頷かれた。
「部長、会議の方は私が対応します」
「頼む」
簡潔に返し、そのまま澪のデスクへ。
私物やファイルを手際よくまとめ、澪がまだ言葉を探している間に、すべて崇雅の腕に収まった。
「崇雅さん……本当に、私は……」
「今日はもう無理だ。俺が判断する」
強くも優しい決意の声。
だがその瞬間、また吐き気が込み上げてきた。
「……っ、すみません」
咄嗟にハンカチを手に取り、澪はトイレへと駆け込む。
後ろ姿を見送りながら、崇雅は深く、静かに息を吐いた。
(限界だったか……もっと早く止めるべきだった)
ほどなく戻ってきた澪は、頼りない足取りながらも律儀に謝ろうとした。
だが、その言葉を最後まで言わせる前に、崇雅は背を支えた。
「行くぞ」
「……はい……」
彼の腕は当然のように背に添えられ、澪は自分の荷物に手を伸ばさなかった。
すでに、すべてが彼の腕の中にあったからだ。
あまりに自然な光景で、誰も何も言わなかった。
――帰宅後。
澪は寝室へと連れて行かれ、崇雅の手でスーツから部屋着へ着替えさせられる。
抗う気力もないままベッドに横たわると、ほんの少し呼吸が楽になった。
「……すみません。家に戻ってきたら、少し楽になった気がします」
「なら、よかった」
そう言いながらも、彼の眉間の皺は一向に緩まない。
静かに、崇雅の視線が澪の顔を見つめ続ける。
「崇雅さん……会社に戻らなくて、大丈夫ですか?」
ようやくそう口にした澪に、崇雅は無言で手を伸ばし、その額に触れた。
熱はそれほどない。
けれど、手のひら越しに伝わる汗ばみと、力の抜けた肌の温度が、彼女の不調を物語っていた。
「……戻らない。今は澪が優先だ」
「でも、もうすぐプロジェクトの……」
「澪が倒れたら、それこそ仕事どころじゃない」
迷いも、隙もなかった。
それは“部長”ではなく、“夫”としての覚悟だった。
「今日だけじゃ済まない。澪が落ち着くまで、家で面倒を見る」
「……え」
「俺にとって、今一番大切なのは、澪と――この命だからな」
澪の胸に、静かに重たく、そして温かい何かが落ちた。
震えるように唇が動く。
「……ありがとう、ございます」
「感謝するのは、治ってからでいい。今は、寝ろ」
そうしてそっと髪を撫でる彼の仕草に、澪は力を抜いて目を閉じた。
崇雅はそのままサイドテーブルにノートPCを開いた。
最小限の業務連絡だけを済ませ、澪の横顔に目をやる。
眉を寄せながら、それでも眠ろうとするその姿が、あまりに愛しかった。
(……ちゃんと乗り越えよう。ふたりで)
胸の奥で、小さく、けれど確かな覚悟が息づいていた。
はっきりと、つわりの症状が現れ始めた。
朝はまだマシだった。
けれど昼を過ぎるころには、胃が重くなり、わずかな匂いにすら吐き気が込み上げる。
それでも澪は、責任感から会社に出勤し続けていた。
崇雅には「大丈夫」と繰り返していたが、それは本心ではなかった。
午後。
次の会議の準備をしながらも、澪の表情はどこか浮かない。
「……っ、……」
資料を手に立ち上がった瞬間、足元がふらつく。
「……澪?」
崇雅の声がすぐに飛び、視線が交錯した。
次の瞬間、彼は迷いなく立ち上がり、澪のもとへ歩み寄る。
「その資料、俺が持つ」
「だ、大丈夫です……部長、会議……ありますよね」
「それよりも、澪の顔色が問題だ」
低く淡々とした口調。
しかしそこには、明確な優先順位が滲んでいた。
澪と崇雅が夫婦であることは社内でも知られている。
だが、崇雅がここまで露骨に心配する姿を見るのは、多くの社員にとって初めてだった。
視線を感じながらも、崇雅は全く動じない。
無言で部下の一人に目をやると、即座に理解したように頷かれた。
「部長、会議の方は私が対応します」
「頼む」
簡潔に返し、そのまま澪のデスクへ。
私物やファイルを手際よくまとめ、澪がまだ言葉を探している間に、すべて崇雅の腕に収まった。
「崇雅さん……本当に、私は……」
「今日はもう無理だ。俺が判断する」
強くも優しい決意の声。
だがその瞬間、また吐き気が込み上げてきた。
「……っ、すみません」
咄嗟にハンカチを手に取り、澪はトイレへと駆け込む。
後ろ姿を見送りながら、崇雅は深く、静かに息を吐いた。
(限界だったか……もっと早く止めるべきだった)
ほどなく戻ってきた澪は、頼りない足取りながらも律儀に謝ろうとした。
だが、その言葉を最後まで言わせる前に、崇雅は背を支えた。
「行くぞ」
「……はい……」
彼の腕は当然のように背に添えられ、澪は自分の荷物に手を伸ばさなかった。
すでに、すべてが彼の腕の中にあったからだ。
あまりに自然な光景で、誰も何も言わなかった。
――帰宅後。
澪は寝室へと連れて行かれ、崇雅の手でスーツから部屋着へ着替えさせられる。
抗う気力もないままベッドに横たわると、ほんの少し呼吸が楽になった。
「……すみません。家に戻ってきたら、少し楽になった気がします」
「なら、よかった」
そう言いながらも、彼の眉間の皺は一向に緩まない。
静かに、崇雅の視線が澪の顔を見つめ続ける。
「崇雅さん……会社に戻らなくて、大丈夫ですか?」
ようやくそう口にした澪に、崇雅は無言で手を伸ばし、その額に触れた。
熱はそれほどない。
けれど、手のひら越しに伝わる汗ばみと、力の抜けた肌の温度が、彼女の不調を物語っていた。
「……戻らない。今は澪が優先だ」
「でも、もうすぐプロジェクトの……」
「澪が倒れたら、それこそ仕事どころじゃない」
迷いも、隙もなかった。
それは“部長”ではなく、“夫”としての覚悟だった。
「今日だけじゃ済まない。澪が落ち着くまで、家で面倒を見る」
「……え」
「俺にとって、今一番大切なのは、澪と――この命だからな」
澪の胸に、静かに重たく、そして温かい何かが落ちた。
震えるように唇が動く。
「……ありがとう、ございます」
「感謝するのは、治ってからでいい。今は、寝ろ」
そうしてそっと髪を撫でる彼の仕草に、澪は力を抜いて目を閉じた。
崇雅はそのままサイドテーブルにノートPCを開いた。
最小限の業務連絡だけを済ませ、澪の横顔に目をやる。
眉を寄せながら、それでも眠ろうとするその姿が、あまりに愛しかった。
(……ちゃんと乗り越えよう。ふたりで)
胸の奥で、小さく、けれど確かな覚悟が息づいていた。
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