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第一章 仇を追う娘
1ー17 松倉宗徳の素性 その二
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水野が就任挨拶を兼ねて御所参内の折に、仙洞御所を訪ね、たまたま御所に母と一緒に呼ばれていた宗徳とが、上皇により引き合わされたことがあるだけである。
母の千代はその折三十路直前ではあったものの、その美貌は盛りであり、水野は余りの美貌に言葉を失ったほどであったらしい。
ために、側に控えていた宗徳の顔は余り覚えてはいなかったが、それでも母千代の名と宗徳の名は記憶に残ったのである。
特に、二十歳で正式な公家に非ずして正三位権大納言の位階を授けられた宗徳の名は公家ばかりではなく幕閣にも良く知られていた。
水野忠之は、宗徳に会った途端に千代の面影を見出し、そして宗徳の名を思い出してうろたえたのである。
宗徳が二十歳の祝いに権大納言の位階を賜っていたのは水野も十分に承知していた。
若年寄の水野は、従五位の官位に過ぎず、従って、上座に座るのは本来水野ではなく如何に浪人とは言いながら、宗徳であるべきであったため、腰を浮かしたのであるが、宗徳の突然の言上で言外に、お忍びの他出であることを察し、やむなくそのまま上座に座っていたのである。
彩華はそうした事実を知らされ呆然としていた。
白木屋に如何にお忍びで滞在しているにしても、藩主やそれなりの地位に有るものならば一月も家中に内緒で不在にすることなどあり得ない。
従って、彩華は宗徳がいずれかの御家中の高禄の直臣若しくは旗本の三男坊あたりではないかと思うようになっていたのである。
それが妾腹とはいえ皇族の和子であると知って驚愕した。
失礼を詫びて許嫁の約束を即座に解くことを申し出たが、宗徳にやんわりと説かれた。
「彩華殿は、儂が嫌いになったかな?」
「滅相もござりませぬ。
只、・・・余りに身分が違いすぎまする。」
「彩華は、身分で人を好きになったり、嫌いになったりするのか?
それはちとおかしかろう。
男であれ、女であれ、人に違いはない。
公方様であれ、市井に住む江戸町民であれ人に変わりはないのだ。
ただ、その役割が少し違うだけ、それぞれ身に負った職責を果たすことが肝要じゃ。
生まれながらの職責であるやもしれぬし、生まれ落ちた後に自ら望んで就いた職かもしれぬ。
あるいは、自ら望まぬ職種であっても、生きて行くために止むを得ず就いているやもしれぬ。
そのいずれであっても、人としての行いがその者の業績であり、傍から見た際の人格になるやもしれぬ。
儂は、人と付き合うときに高貴卑賤など気にせずに話をするようにしている。
儂の友人には、駕籠かきもおれば、博徒もおるし、女衒もおる。
生憎と遊女との付き合いはないが、そうした者との付き合いも望めば友人たちが誰ぞ紹介してくれよう。
儂はな、そうした諸々の人との付き合いを通じて、いかな身分、職種であろうと人としての生きざまに貴賤は無いと考えている。
だから、彩華殿との付き合いも大事にしたい。
一時の名目とはいえ、そなたの許嫁になることに随分迷いもした。
返事をするまで小半時はかかったであろう?」
彩華は思わずあの日の様子を思い出して、頷いた。
「名目であれ、何であれ、約束と言うのは、人と人を縛るものじゃ。
まして、そなたは年頃の娘じゃ。
一目惚れかどうかはわからぬが、仮にも許嫁となることでますます思いが深まれば、後には引けないところまで追い込んでしまうかもしれない。
じゃから悩んだ末に三月の期限を置いた。
三月の間にそなたの想いが変わらぬようであれば、許嫁となるかどうか改めて考えようとな。
その時、儂の頭に有ったのはそなたが武家の娘であることでも儂の身分でもない。
若い年頃の娘としてのそなたの想いに応え、なおかつ、如何様にすれば二人にとって良い方向に何事かをなせるかという思いだけだった。
じゃが、そなたは、その期限が終わらぬうちに己独りで舞台を降りようとしておる。
そなたの儂に対する思いがその程度のものであれば、儂も止めはせぬが、・・・。
儂の素性を知ったから取りやめるというのは些か困る。
もし、それが真実そうせざるを得ないものであれば、儂は少なくとも大納言の家格に応じた家から嫁を貰わねばならないと言うことになるが、それは如何にも無理があろう。
あの時、そなたは清水の舞台から飛び降りるつもりでと申していた。
もしその気持ちが変わらぬのであれば、後一月半余り、これまでと同じく伴侶の候補としてこの儂を見ていてはくれぬか。
儂もそなたが人として儂にふさわしい女か否か見定める。
その上で許嫁を継続するか否か決めることではどうかな。」
彩華は暫く考え込んだ。
それから、意を決し、居ずまいを正して言った。
「私は、松倉様をお慕い申し上げております。
その気持ちに些かも変わりはございませぬ。
それゆえ、お言葉に甘えとうございます。
当初のお約束通り、三月後に許嫁となすべき女子かどうかをお見極め下さりませ。」
松倉は笑顔を見せて言った。
「そうか、そうしてくれるか。
なれば、このまま白木屋に逗留なさい。
早晩、宗長殿と弥吉殿は岡崎に戻らねばなるまいが、彩華殿はそのまま江戸に残るがよい。
長月半ばには、決着がつこう。
許嫁の話がそのまま残るにせよ破断になるにせよ、彩華殿の身柄は儂が岡崎まで間違いなく送り届ける。」
「はい、松倉様の仰せのようにいたします。」
固唾を飲んで傍で聞いていた宗長と弥吉もほっとしたように笑顔を見せたのである。
◇◇◇◇ 第一章 ー完ー ◇◇◇◇
来週から第二章が始まります。
母の千代はその折三十路直前ではあったものの、その美貌は盛りであり、水野は余りの美貌に言葉を失ったほどであったらしい。
ために、側に控えていた宗徳の顔は余り覚えてはいなかったが、それでも母千代の名と宗徳の名は記憶に残ったのである。
特に、二十歳で正式な公家に非ずして正三位権大納言の位階を授けられた宗徳の名は公家ばかりではなく幕閣にも良く知られていた。
水野忠之は、宗徳に会った途端に千代の面影を見出し、そして宗徳の名を思い出してうろたえたのである。
宗徳が二十歳の祝いに権大納言の位階を賜っていたのは水野も十分に承知していた。
若年寄の水野は、従五位の官位に過ぎず、従って、上座に座るのは本来水野ではなく如何に浪人とは言いながら、宗徳であるべきであったため、腰を浮かしたのであるが、宗徳の突然の言上で言外に、お忍びの他出であることを察し、やむなくそのまま上座に座っていたのである。
彩華はそうした事実を知らされ呆然としていた。
白木屋に如何にお忍びで滞在しているにしても、藩主やそれなりの地位に有るものならば一月も家中に内緒で不在にすることなどあり得ない。
従って、彩華は宗徳がいずれかの御家中の高禄の直臣若しくは旗本の三男坊あたりではないかと思うようになっていたのである。
それが妾腹とはいえ皇族の和子であると知って驚愕した。
失礼を詫びて許嫁の約束を即座に解くことを申し出たが、宗徳にやんわりと説かれた。
「彩華殿は、儂が嫌いになったかな?」
「滅相もござりませぬ。
只、・・・余りに身分が違いすぎまする。」
「彩華は、身分で人を好きになったり、嫌いになったりするのか?
それはちとおかしかろう。
男であれ、女であれ、人に違いはない。
公方様であれ、市井に住む江戸町民であれ人に変わりはないのだ。
ただ、その役割が少し違うだけ、それぞれ身に負った職責を果たすことが肝要じゃ。
生まれながらの職責であるやもしれぬし、生まれ落ちた後に自ら望んで就いた職かもしれぬ。
あるいは、自ら望まぬ職種であっても、生きて行くために止むを得ず就いているやもしれぬ。
そのいずれであっても、人としての行いがその者の業績であり、傍から見た際の人格になるやもしれぬ。
儂は、人と付き合うときに高貴卑賤など気にせずに話をするようにしている。
儂の友人には、駕籠かきもおれば、博徒もおるし、女衒もおる。
生憎と遊女との付き合いはないが、そうした者との付き合いも望めば友人たちが誰ぞ紹介してくれよう。
儂はな、そうした諸々の人との付き合いを通じて、いかな身分、職種であろうと人としての生きざまに貴賤は無いと考えている。
だから、彩華殿との付き合いも大事にしたい。
一時の名目とはいえ、そなたの許嫁になることに随分迷いもした。
返事をするまで小半時はかかったであろう?」
彩華は思わずあの日の様子を思い出して、頷いた。
「名目であれ、何であれ、約束と言うのは、人と人を縛るものじゃ。
まして、そなたは年頃の娘じゃ。
一目惚れかどうかはわからぬが、仮にも許嫁となることでますます思いが深まれば、後には引けないところまで追い込んでしまうかもしれない。
じゃから悩んだ末に三月の期限を置いた。
三月の間にそなたの想いが変わらぬようであれば、許嫁となるかどうか改めて考えようとな。
その時、儂の頭に有ったのはそなたが武家の娘であることでも儂の身分でもない。
若い年頃の娘としてのそなたの想いに応え、なおかつ、如何様にすれば二人にとって良い方向に何事かをなせるかという思いだけだった。
じゃが、そなたは、その期限が終わらぬうちに己独りで舞台を降りようとしておる。
そなたの儂に対する思いがその程度のものであれば、儂も止めはせぬが、・・・。
儂の素性を知ったから取りやめるというのは些か困る。
もし、それが真実そうせざるを得ないものであれば、儂は少なくとも大納言の家格に応じた家から嫁を貰わねばならないと言うことになるが、それは如何にも無理があろう。
あの時、そなたは清水の舞台から飛び降りるつもりでと申していた。
もしその気持ちが変わらぬのであれば、後一月半余り、これまでと同じく伴侶の候補としてこの儂を見ていてはくれぬか。
儂もそなたが人として儂にふさわしい女か否か見定める。
その上で許嫁を継続するか否か決めることではどうかな。」
彩華は暫く考え込んだ。
それから、意を決し、居ずまいを正して言った。
「私は、松倉様をお慕い申し上げております。
その気持ちに些かも変わりはございませぬ。
それゆえ、お言葉に甘えとうございます。
当初のお約束通り、三月後に許嫁となすべき女子かどうかをお見極め下さりませ。」
松倉は笑顔を見せて言った。
「そうか、そうしてくれるか。
なれば、このまま白木屋に逗留なさい。
早晩、宗長殿と弥吉殿は岡崎に戻らねばなるまいが、彩華殿はそのまま江戸に残るがよい。
長月半ばには、決着がつこう。
許嫁の話がそのまま残るにせよ破断になるにせよ、彩華殿の身柄は儂が岡崎まで間違いなく送り届ける。」
「はい、松倉様の仰せのようにいたします。」
固唾を飲んで傍で聞いていた宗長と弥吉もほっとしたように笑顔を見せたのである。
◇◇◇◇ 第一章 ー完ー ◇◇◇◇
来週から第二章が始まります。
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