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第6話 クラスメイト
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七海へのいじめはピタリとやんだ。
瑠璃子は前にもまして憎々しげに睨んでくるものの、あからさまな暴言を吐いたり物を壊したりということはなくなったらしい。二度としないよう父親に強く言いつけられているのだろう。
一部のクラスメイトは巻き込まれるのを怖れてか七海を避けていたが、いじめがやんでからは普通に接してくれるようになったと聞いた。ただ、校外で会うほどの友達はまだいないようだ。
それもあってか休日はあまり外に出ようとしなかった。遥が声を掛けないかぎり、宿題や勉強をしているか、小説などの本を読んでいるか、ジムで体を動かしているかのどれかである。
かつて何年も軟禁状態だったことも影響しているのかもしれない。彼女にとっては家から出ない生活があたりまえだったのだ。おまけにひとりにも慣れているので寂しがることもない。
それゆえ時間を見つけてはこまめに買い物や美術館、映画館、夏祭りなどに連れ出すようにしていた。外出が嫌いなわけではないので誘えばたいてい来てくれるし、楽しんでくれる。
もちろん勉学も疎かにはさせない。好きじゃないなどと言っていたわりには真面目に取り組んでいるようだ。成績も悪くない。定期テストで十位以内をキープしているのだから上出来といえるだろう。
夏休みが過ぎて二学期になっても、そんな平穏な日々が続いていたが——。
「野球?」
それは、秋めいてきた涼しい夜のことだった。
次の土曜日に映画を観に行こうと七海を誘ったのだが、野球を見に行くからと断られた。これまで野球なんて興味を示したこともなかったのに。怪訝に聞き返すと、彼女は屈託のない笑みを浮かべながら答えてくれた。
「野球部が準決勝に進んだんだって」
「友達と応援に行くってこと?」
「ううん、僕はひとりで行くつもり」
強豪校でもないのに準決勝まで進んだのなら快挙だろう。そんな野球部を応援しに行くというのはわからないでもないが、七海が自主的に思い立ったとは考えられない。
「学校から応援に行くように言われた?」
「そうじゃなくて……クラスメイトが試合に出るみたいでさ、応援に来てほしいって頼まれたんだ。そいつ、僕の体操服が汚されて使えなくなったとき、何度も予備のを貸してくれたから恩もあるし」
事も無げにそう言うが。
女子野球部がない以上、そのクラスメイトは必然的に男子ということになる。いじめがあったときにも話は聞いていたが、まさか借りた相手が男子だとは思いもしなかった。確かに体操服は男女とも同じなのだが——。
「行ったらダメ?」
いつのまにか真顔で深く考え込んでいたが、その声で現実に引き戻された。安心させるように優しく微笑みかけて答える。
「ダメじゃないよ。気をつけて行っておいで」
「うん」
七海がほっとしたように頷いたのを見て、部屋をあとにした。
彼女が休日に出かけるのも、クラスメイトと仲良くするのも、歓迎すべきことだ。なのに——無意識に眉を寄せてしまう。自室に戻って法社会学のレポートを書き始めても、心にかかる靄は晴れなかった。
「いってきまーす」
土曜日はすがすがしい秋晴れだった。
七海はショートパンツにパーカー、キャップといったいつもの格好をしている。しかし、もう昔のように男の子と間違えられたりはしない。ボーイッシュな格好だがどこをどう見ても女の子である。
背中には黒のリュックを背負っている。重量感があるのは二人分の弁当を入れているからだ。体操服のお礼として野球部のクラスメイトに差し入れるらしい。といっても七海の手作りではないのだが。
バタン、と扉の閉まる音で我にかえった。
誰もいない玄関ホールで溜息をついて部屋に戻る。先日買ったミステリを読もうとしたが、文字を目で追うだけでまるで頭に入ってこない。苛立ちまぎれに本を閉じて机に突っ伏す。
いっそ、見に行くか——。
我ながらどうかしていると思うが、何も手がつかず悶々としているくらいなら、とりあえず状況を確認してきたほうがいいだろう。そう自分に言い聞かせるとすぐに立ち上がり、クローゼットへ足を進めた。
カキーン——。
澄みわたった秋空に、金属バットの甲高い打球音が響く。
遥が球場に着いたときにはもう試合は始まっていた。スタンドに入ってぐるりとあたりを見まわす。応援団はおらず、制服や私服の中学生らしき子たちや、選手の親と思われる人たちがまばらに座っている。
七海は最前列のベンチにひとりぽつんと腰掛けて、試合に見入っていた。もとより彼女に声をかけるつもりはない。遥は迷わず最後列に座り、斜め後方から見下ろす形でひそかに様子を覗う。
「二階堂! 行っけー!! 打てー!!」
それまでおとなしくしていた彼女が急に立ち上がり、こぶしを突き上げながら絶叫ともいえる声援を送り始めた。バッターボックスに入った選手が例のクラスメイトなのだろう。遠目だが一年生にしては体が大きいようだ。
カーン——。
軽めの音がして白球が飛んだ。ヒットになるか微妙な当たりだったものの、俊足でセーフになった。やった、と七海は何度も跳びはねながら全身で喜びを表し、彼もスタンドの七海に振り向いてはにかんだ——ように見えた。
ただ、残念ながら得点には繋がらなかった。続く打者が凡打に終わり、一塁に彼を残したままスリーアウトチェンジとなる。彼も力みすぎたのかその後の打席では精彩を欠き、チームは完封負けを喫した。
観客たちが次々と席を立つ中、七海はじっと座ったまま動こうとしなかった。しばらくすると制服に着替えた彼がスタンドに姿を現し、七海の持ってきた弁当を一緒に食べ始める。
野球部といえば坊主頭というイメージだが、彼は清潔感のあるスポーツ刈りだった。若干の幼さを残しつつも精悍で男性的な顔立ちで、体つきもがっちりとしている。遥とは正反対のタイプだ。
七海はその大きくも丸まった背中をぽんぽんとたたき、笑顔で何かを言っている。だいぶ離れているため声までは聞こえないが、落ち込んでいる彼を明るく励ましているのだろう。その様子はまるで——遥は立ち上がり、がらんとしたスタンドに背を向けて球場をあとにした。
「ただいまー」
廊下から足音が聞こえた気がして部屋の扉を開けると、リュックを背負った七海が帰ってきたところだった。遥が帰宅してから一時間もたっていないので、弁当を食べたあと寄り道しないで帰ってきたのだろう。そのことにひそかに安堵する。
「野球、どうだった?」
「負けちゃった」
七海は肩をすくめる。
「僕、野球のルールとかあんまりわかんなくてさ。でも一点差だったし惜しかったんじゃないかなぁ。あいつも頑張ってたし……そうだ、来週の土曜日に残念会やろうって話になったんだけどいい? どこか近くのお店へお昼ごはんを食べに行くみたい」
「野球部のクラスメイトと二人で?」
「うん……ダメかな?」
「お昼ごはんだけなら構わないよ」
「ありがと!」
軽い足取りで自分の部屋へ入っていく七海を見送り、遥も部屋に戻る。
球場での様子からしても、二人が互いに憎からず思っているのは間違いない。それなら言うことは何もない。友人ができるのも、世界が広がるのも、彼女の保護者として歓迎すべきだろう。
もし付き合うとしても——思春期ならそういうことがあってもおかしくはない。交際禁止の校則がない以上、中学生なりの節度を守るのであれば反対はできない。彼に問題がないかぎり。
遥は扉を背にして立ちつくしたまま考え込む。自分がどんな顔をしているかなど気付きもしないで。
瑠璃子は前にもまして憎々しげに睨んでくるものの、あからさまな暴言を吐いたり物を壊したりということはなくなったらしい。二度としないよう父親に強く言いつけられているのだろう。
一部のクラスメイトは巻き込まれるのを怖れてか七海を避けていたが、いじめがやんでからは普通に接してくれるようになったと聞いた。ただ、校外で会うほどの友達はまだいないようだ。
それもあってか休日はあまり外に出ようとしなかった。遥が声を掛けないかぎり、宿題や勉強をしているか、小説などの本を読んでいるか、ジムで体を動かしているかのどれかである。
かつて何年も軟禁状態だったことも影響しているのかもしれない。彼女にとっては家から出ない生活があたりまえだったのだ。おまけにひとりにも慣れているので寂しがることもない。
それゆえ時間を見つけてはこまめに買い物や美術館、映画館、夏祭りなどに連れ出すようにしていた。外出が嫌いなわけではないので誘えばたいてい来てくれるし、楽しんでくれる。
もちろん勉学も疎かにはさせない。好きじゃないなどと言っていたわりには真面目に取り組んでいるようだ。成績も悪くない。定期テストで十位以内をキープしているのだから上出来といえるだろう。
夏休みが過ぎて二学期になっても、そんな平穏な日々が続いていたが——。
「野球?」
それは、秋めいてきた涼しい夜のことだった。
次の土曜日に映画を観に行こうと七海を誘ったのだが、野球を見に行くからと断られた。これまで野球なんて興味を示したこともなかったのに。怪訝に聞き返すと、彼女は屈託のない笑みを浮かべながら答えてくれた。
「野球部が準決勝に進んだんだって」
「友達と応援に行くってこと?」
「ううん、僕はひとりで行くつもり」
強豪校でもないのに準決勝まで進んだのなら快挙だろう。そんな野球部を応援しに行くというのはわからないでもないが、七海が自主的に思い立ったとは考えられない。
「学校から応援に行くように言われた?」
「そうじゃなくて……クラスメイトが試合に出るみたいでさ、応援に来てほしいって頼まれたんだ。そいつ、僕の体操服が汚されて使えなくなったとき、何度も予備のを貸してくれたから恩もあるし」
事も無げにそう言うが。
女子野球部がない以上、そのクラスメイトは必然的に男子ということになる。いじめがあったときにも話は聞いていたが、まさか借りた相手が男子だとは思いもしなかった。確かに体操服は男女とも同じなのだが——。
「行ったらダメ?」
いつのまにか真顔で深く考え込んでいたが、その声で現実に引き戻された。安心させるように優しく微笑みかけて答える。
「ダメじゃないよ。気をつけて行っておいで」
「うん」
七海がほっとしたように頷いたのを見て、部屋をあとにした。
彼女が休日に出かけるのも、クラスメイトと仲良くするのも、歓迎すべきことだ。なのに——無意識に眉を寄せてしまう。自室に戻って法社会学のレポートを書き始めても、心にかかる靄は晴れなかった。
「いってきまーす」
土曜日はすがすがしい秋晴れだった。
七海はショートパンツにパーカー、キャップといったいつもの格好をしている。しかし、もう昔のように男の子と間違えられたりはしない。ボーイッシュな格好だがどこをどう見ても女の子である。
背中には黒のリュックを背負っている。重量感があるのは二人分の弁当を入れているからだ。体操服のお礼として野球部のクラスメイトに差し入れるらしい。といっても七海の手作りではないのだが。
バタン、と扉の閉まる音で我にかえった。
誰もいない玄関ホールで溜息をついて部屋に戻る。先日買ったミステリを読もうとしたが、文字を目で追うだけでまるで頭に入ってこない。苛立ちまぎれに本を閉じて机に突っ伏す。
いっそ、見に行くか——。
我ながらどうかしていると思うが、何も手がつかず悶々としているくらいなら、とりあえず状況を確認してきたほうがいいだろう。そう自分に言い聞かせるとすぐに立ち上がり、クローゼットへ足を進めた。
カキーン——。
澄みわたった秋空に、金属バットの甲高い打球音が響く。
遥が球場に着いたときにはもう試合は始まっていた。スタンドに入ってぐるりとあたりを見まわす。応援団はおらず、制服や私服の中学生らしき子たちや、選手の親と思われる人たちがまばらに座っている。
七海は最前列のベンチにひとりぽつんと腰掛けて、試合に見入っていた。もとより彼女に声をかけるつもりはない。遥は迷わず最後列に座り、斜め後方から見下ろす形でひそかに様子を覗う。
「二階堂! 行っけー!! 打てー!!」
それまでおとなしくしていた彼女が急に立ち上がり、こぶしを突き上げながら絶叫ともいえる声援を送り始めた。バッターボックスに入った選手が例のクラスメイトなのだろう。遠目だが一年生にしては体が大きいようだ。
カーン——。
軽めの音がして白球が飛んだ。ヒットになるか微妙な当たりだったものの、俊足でセーフになった。やった、と七海は何度も跳びはねながら全身で喜びを表し、彼もスタンドの七海に振り向いてはにかんだ——ように見えた。
ただ、残念ながら得点には繋がらなかった。続く打者が凡打に終わり、一塁に彼を残したままスリーアウトチェンジとなる。彼も力みすぎたのかその後の打席では精彩を欠き、チームは完封負けを喫した。
観客たちが次々と席を立つ中、七海はじっと座ったまま動こうとしなかった。しばらくすると制服に着替えた彼がスタンドに姿を現し、七海の持ってきた弁当を一緒に食べ始める。
野球部といえば坊主頭というイメージだが、彼は清潔感のあるスポーツ刈りだった。若干の幼さを残しつつも精悍で男性的な顔立ちで、体つきもがっちりとしている。遥とは正反対のタイプだ。
七海はその大きくも丸まった背中をぽんぽんとたたき、笑顔で何かを言っている。だいぶ離れているため声までは聞こえないが、落ち込んでいる彼を明るく励ましているのだろう。その様子はまるで——遥は立ち上がり、がらんとしたスタンドに背を向けて球場をあとにした。
「ただいまー」
廊下から足音が聞こえた気がして部屋の扉を開けると、リュックを背負った七海が帰ってきたところだった。遥が帰宅してから一時間もたっていないので、弁当を食べたあと寄り道しないで帰ってきたのだろう。そのことにひそかに安堵する。
「野球、どうだった?」
「負けちゃった」
七海は肩をすくめる。
「僕、野球のルールとかあんまりわかんなくてさ。でも一点差だったし惜しかったんじゃないかなぁ。あいつも頑張ってたし……そうだ、来週の土曜日に残念会やろうって話になったんだけどいい? どこか近くのお店へお昼ごはんを食べに行くみたい」
「野球部のクラスメイトと二人で?」
「うん……ダメかな?」
「お昼ごはんだけなら構わないよ」
「ありがと!」
軽い足取りで自分の部屋へ入っていく七海を見送り、遥も部屋に戻る。
球場での様子からしても、二人が互いに憎からず思っているのは間違いない。それなら言うことは何もない。友人ができるのも、世界が広がるのも、彼女の保護者として歓迎すべきだろう。
もし付き合うとしても——思春期ならそういうことがあってもおかしくはない。交際禁止の校則がない以上、中学生なりの節度を守るのであれば反対はできない。彼に問題がないかぎり。
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