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第11話 本物と偽物
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冬休み最後の日、遥は友人の富田を自宅に呼んだ。
子供のころにも何度か呼んだことがあるが、彼はいつもそわそわと落ち着きのない様子を見せていた。それは大人になったいまでもあまり変わらないようだ。背筋を伸ばして応接ソファにおさまりながらも目は泳いでいる。
「そんなに緊張しないでよ」
「そう言われてもな」
富田は困ったように苦笑した。
アンティークな調度品が並んだ重厚感あふれる応接室は、確かに普通の大学生には馴染みのない空間だろう。真面目な話がしたかったので応接室に通したのだが、遥の自室にしたほうがよかったかもしれない。
ほどなくして執事の櫻井がコーヒーを運んできた。ほかの使用人は近づけないよう申しつけてあるので、彼自ら運んできたのだ。手慣れた所作でコーヒーカップやミルクを並べ、一礼して退出する。
遥が勧めると、富田はブラックのまま口をつけてほっと息を吐いた。それで幾分か緊張もほぐれたようだ。ソファの背もたれに軽く身を預け、物言いたげなまなざしを遥に向けておもむろに切り出す。
「で、何か話があるんだろう?」
「まあね」
冬休み最後の日にわざわざ家に呼んだのは、外ではできない話があるからだ。富田もそのくらいは察しているのだろうが、内容までは見当がつかないようで、不安そうな顔をしていた。
遥はそんな彼を見ながらゆったりとコーヒーを飲み、本題に入る。
「彼女ができた」
「誰に?」
「僕に」
「…………」
富田はぽかんと口を半開きにして固まった。
好きなひとなんていない、恋愛なんかどうでもいい、女子が寄ってきても煩わしいとしか思わない——そういう遥の様子を幼いころからずっと見てきたのだから、驚くのも無理はない。
「マジで?」
「マジで」
そう返してクスッと笑う。
富田は細く息を吐き、ようやくすこし冷静さを取り戻したようだが、それでもやはりすぐには信じがたいのだろう。神妙な顔で何か葛藤するような様子を見せていた。
「その彼女って俺の知ってる子なのか?」
「七海だよ。富田も一度会ってるよね」
「……ちょっと待て」
開いた左手を遥に向けると、思いきり難儀そうな顔をしながらゆっくりとうつむいた。そのまま気持ちを落ち着けるように小さく呼吸をしたあと、そろりと視線を上げて尋ねる。
「七海って、おまえが面倒見てるあのちっちゃい子?」
「そう、もう中学生だしだいぶ大きくなってるけど」
「いやいやいや」
中学生でも十分まずいと思っていることは明らかである。だが言葉にはせず、ただ困惑と動揺が入りまじったような微妙な顔をしていた。そのまましばらくじっと動きを止めていたが、ふいにハッとして言葉を継ぐ。
「いくらなんでもまだ手は出してないよな?」
「……合意の上でならそういう行為はしたけど」
「マジか……」
彼は常識人なのだ。にわかに受け入れてくれないだろうとは思っていた。だからといってむやみに否定しないだろうとも思っていた。現時点ではそれ以上のことを望むつもりはない。
空調のかすかな音だけが聞こえる。
遥は富田の様子を眺めながらコーヒーに手を伸ばした。彼もつられるようにコーヒーに手を伸ばす。互いに無言のままカップに口をつけていると、カチャリと扉の開く音が響いた。
「櫻井さんに言われて来たんだけど」
「うん、入って」
姿を現したのは七海である。
もともと富田が来たときに連れて行くつもりだったが、部屋にいなかった。しかしながら家のどこかにいることはわかっていたので、見つけたら連れてくるよう執事の櫻井に頼んでおいたのだ。
彼女は股下くらいまであるVネックの白いニットに、デニムのショートパンツ、短いルームソックスという格好をしていた。当然ながら脚は露わになっている。おまけにシャワーを浴びていたのか髪が生乾きだ。
その無防備な姿を自分以外の男にさらしているという現状に、ひどく落ち着かない気持ちになる。こんなことなら身なりを整えてくるよう言っておけばよかった。いまさらではどうしようもない。
「七海ちゃん……なのか……?」
駆けてきた七海をまじまじと見つめながら、富田は唖然とつぶやいた。
七海は観察するようなまなざしを向けて軽く会釈する。
「えっと、遥のお友達の富田さんですよね」
「ああ……本当に大きくなったな……」
富田の視線は、無遠慮にも七海の胸元に注がれていた。
脛を蹴りつけたい衝動に駆られたものの、残念ながらテーブルが邪魔で物理的に不可能だった。代わりにじとりと冷ややかな視線を送る。それに気付くと富田はきまり悪そうに目を伏せた。
彼が驚いたのも無理からぬことだとは思う。前に会ったのは二年以上前で、そのときから身長は二十センチほど伸びているし、平らだった胸も成長している。ニットを着ていてもはっきりとわかるくらいには。
「七海、座って」
「うん」
七海は促されるまま遥の隣に腰を下ろした。
なぜこの場に呼ばれたのかもう察しがついているのだろう。斜め向かいの富田の手元をちらちらと窺い見ていた。その薬指には遥とのペアリングがはめられている。
「あ……そうか、もうコレいらないんだな」
「待って」
七海の視線でペアリングの存在を思い出した富田が、こころなしか寂しげにつぶやいて外そうとしたが、遥がそれを止めた。
「できれば継続してほしいんだけど」
「いや、でも七海ちゃんがいるのに」
「まだ公表するつもりはないからさ」
「ああ、そういうことか……」
遥の考えは富田にも伝わったようだ。
年齢的に批判的な目で見られることは十分自覚している。遥は何を言われても動じないが、攻撃の矛先が七海に向くことだけは阻止したい。そのためにはこの関係を秘密にしておくしかないのだ。
「俺のところにもいまだに来るもんな。あなたじゃ橘くんを幸せにできない、別れて、っていうようなのが……男の俺だからこのくらいですんでるけど、女で年下の七海ちゃんならもっとひどいことをされるかもしれない」
淡々と語られたその話を聞いて遥は驚いた。まさか富田がいまだにそんな目に遭っていたとは——最初のころはそういう話も何度か聞いたが、もうなくなったものとばかり思っていた。
「前から言ってるけど、富田が嫌なら終わりにするよ。無理はしなくていい」
「いや、聞き流せばいいだけだからな。本当に付き合ってるわけじゃないし」
そう言いつつも、彼の表情はどこかぎこちなかった。
彼が本当に無理をしていないのかはわからない。いや、やはり多少は無理をしていると見るのが自然だろう。それでも継続してくれるというのであれば、遥としてはそれに甘えたい。
「わかった。またごはんでも食べに行こう」
「おう」
富田は白い歯を見せて応じてくれた。
彼には報酬を払っていない。一緒にお茶や食事をするときにおごるくらいである。何年も偽装恋人として縛っているので、それに見合う報酬を払いたいと思っているが、いらないと言われてしまうのだ。
金銭以外で何か礼ができればいいが思いつかない。彼が何を求めているのかがわからない、というより見返りを求めていない気がする。そういう彼だからこそ友人でいられるのかもしれない。
じっと見つめていると、彼はかすかに頬を赤くしてふいと目をそらしたが、直後にハッと何かを思い出したように真顔になった。ペアリングに触れながら窺うような視線を七海に向ける。
「七海ちゃんは、遥と俺が付き合うふりを続けてもいいのか?」
「うん、全然構わないよ」
七海は即答した。
二人の関係を秘密にするために富田と偽装恋人を続けたい——その意向はあらかじめ彼女に伝えてあった。もっともそのときもすぐに賛成してくれたので、説得の必要はなかったのだが。
「もともと僕も学校では秘密にしようと思ってたからさ。遥と付き合ってるなんて知られたら、いろいろ面倒なことになりそうだもん。富田さんに押しつけるみたいで申し訳ないけど」
「いや、たいしたことじゃないから」
富田は左手を軽く上げて恐縮したように応じた。そしてふと思い出したように自身の腕時計を確認すると、おずおずと遥に切り出す。
「悪い、そろそろ帰らないと……」
家族で出かける用事があるので、あまり時間がとれないということは聞いていた。それでもいいからと出かける前に来てもらったのである。話すべきことは話したのでちょうどいいタイミングだろう。
「うん、忙しいのに無理言ってごめん」
「こっちこそ慌ただしくて悪いな」
「車で送らせようか?」
「いや、今日は自転車で来てるんだ」
富田は残りのコーヒーを飲み干して立ち上がった。急いでいることはその様子から見てとれる。遥はできるかぎりの早足で玄関まで案内すると、扉を開けて見送る。
「じゃ、あした学校でね」
「ああ……よかったな」
富田はうっすらと笑みを浮かべてそう言うと、返事を待たずに身を翻し、軽く左手を上げて軽やかに走り去っていく。その薬指のペアリングが、降りそそぐ陽射しを受けてきらりと白く輝いた。
子供のころにも何度か呼んだことがあるが、彼はいつもそわそわと落ち着きのない様子を見せていた。それは大人になったいまでもあまり変わらないようだ。背筋を伸ばして応接ソファにおさまりながらも目は泳いでいる。
「そんなに緊張しないでよ」
「そう言われてもな」
富田は困ったように苦笑した。
アンティークな調度品が並んだ重厚感あふれる応接室は、確かに普通の大学生には馴染みのない空間だろう。真面目な話がしたかったので応接室に通したのだが、遥の自室にしたほうがよかったかもしれない。
ほどなくして執事の櫻井がコーヒーを運んできた。ほかの使用人は近づけないよう申しつけてあるので、彼自ら運んできたのだ。手慣れた所作でコーヒーカップやミルクを並べ、一礼して退出する。
遥が勧めると、富田はブラックのまま口をつけてほっと息を吐いた。それで幾分か緊張もほぐれたようだ。ソファの背もたれに軽く身を預け、物言いたげなまなざしを遥に向けておもむろに切り出す。
「で、何か話があるんだろう?」
「まあね」
冬休み最後の日にわざわざ家に呼んだのは、外ではできない話があるからだ。富田もそのくらいは察しているのだろうが、内容までは見当がつかないようで、不安そうな顔をしていた。
遥はそんな彼を見ながらゆったりとコーヒーを飲み、本題に入る。
「彼女ができた」
「誰に?」
「僕に」
「…………」
富田はぽかんと口を半開きにして固まった。
好きなひとなんていない、恋愛なんかどうでもいい、女子が寄ってきても煩わしいとしか思わない——そういう遥の様子を幼いころからずっと見てきたのだから、驚くのも無理はない。
「マジで?」
「マジで」
そう返してクスッと笑う。
富田は細く息を吐き、ようやくすこし冷静さを取り戻したようだが、それでもやはりすぐには信じがたいのだろう。神妙な顔で何か葛藤するような様子を見せていた。
「その彼女って俺の知ってる子なのか?」
「七海だよ。富田も一度会ってるよね」
「……ちょっと待て」
開いた左手を遥に向けると、思いきり難儀そうな顔をしながらゆっくりとうつむいた。そのまま気持ちを落ち着けるように小さく呼吸をしたあと、そろりと視線を上げて尋ねる。
「七海って、おまえが面倒見てるあのちっちゃい子?」
「そう、もう中学生だしだいぶ大きくなってるけど」
「いやいやいや」
中学生でも十分まずいと思っていることは明らかである。だが言葉にはせず、ただ困惑と動揺が入りまじったような微妙な顔をしていた。そのまましばらくじっと動きを止めていたが、ふいにハッとして言葉を継ぐ。
「いくらなんでもまだ手は出してないよな?」
「……合意の上でならそういう行為はしたけど」
「マジか……」
彼は常識人なのだ。にわかに受け入れてくれないだろうとは思っていた。だからといってむやみに否定しないだろうとも思っていた。現時点ではそれ以上のことを望むつもりはない。
空調のかすかな音だけが聞こえる。
遥は富田の様子を眺めながらコーヒーに手を伸ばした。彼もつられるようにコーヒーに手を伸ばす。互いに無言のままカップに口をつけていると、カチャリと扉の開く音が響いた。
「櫻井さんに言われて来たんだけど」
「うん、入って」
姿を現したのは七海である。
もともと富田が来たときに連れて行くつもりだったが、部屋にいなかった。しかしながら家のどこかにいることはわかっていたので、見つけたら連れてくるよう執事の櫻井に頼んでおいたのだ。
彼女は股下くらいまであるVネックの白いニットに、デニムのショートパンツ、短いルームソックスという格好をしていた。当然ながら脚は露わになっている。おまけにシャワーを浴びていたのか髪が生乾きだ。
その無防備な姿を自分以外の男にさらしているという現状に、ひどく落ち着かない気持ちになる。こんなことなら身なりを整えてくるよう言っておけばよかった。いまさらではどうしようもない。
「七海ちゃん……なのか……?」
駆けてきた七海をまじまじと見つめながら、富田は唖然とつぶやいた。
七海は観察するようなまなざしを向けて軽く会釈する。
「えっと、遥のお友達の富田さんですよね」
「ああ……本当に大きくなったな……」
富田の視線は、無遠慮にも七海の胸元に注がれていた。
脛を蹴りつけたい衝動に駆られたものの、残念ながらテーブルが邪魔で物理的に不可能だった。代わりにじとりと冷ややかな視線を送る。それに気付くと富田はきまり悪そうに目を伏せた。
彼が驚いたのも無理からぬことだとは思う。前に会ったのは二年以上前で、そのときから身長は二十センチほど伸びているし、平らだった胸も成長している。ニットを着ていてもはっきりとわかるくらいには。
「七海、座って」
「うん」
七海は促されるまま遥の隣に腰を下ろした。
なぜこの場に呼ばれたのかもう察しがついているのだろう。斜め向かいの富田の手元をちらちらと窺い見ていた。その薬指には遥とのペアリングがはめられている。
「あ……そうか、もうコレいらないんだな」
「待って」
七海の視線でペアリングの存在を思い出した富田が、こころなしか寂しげにつぶやいて外そうとしたが、遥がそれを止めた。
「できれば継続してほしいんだけど」
「いや、でも七海ちゃんがいるのに」
「まだ公表するつもりはないからさ」
「ああ、そういうことか……」
遥の考えは富田にも伝わったようだ。
年齢的に批判的な目で見られることは十分自覚している。遥は何を言われても動じないが、攻撃の矛先が七海に向くことだけは阻止したい。そのためにはこの関係を秘密にしておくしかないのだ。
「俺のところにもいまだに来るもんな。あなたじゃ橘くんを幸せにできない、別れて、っていうようなのが……男の俺だからこのくらいですんでるけど、女で年下の七海ちゃんならもっとひどいことをされるかもしれない」
淡々と語られたその話を聞いて遥は驚いた。まさか富田がいまだにそんな目に遭っていたとは——最初のころはそういう話も何度か聞いたが、もうなくなったものとばかり思っていた。
「前から言ってるけど、富田が嫌なら終わりにするよ。無理はしなくていい」
「いや、聞き流せばいいだけだからな。本当に付き合ってるわけじゃないし」
そう言いつつも、彼の表情はどこかぎこちなかった。
彼が本当に無理をしていないのかはわからない。いや、やはり多少は無理をしていると見るのが自然だろう。それでも継続してくれるというのであれば、遥としてはそれに甘えたい。
「わかった。またごはんでも食べに行こう」
「おう」
富田は白い歯を見せて応じてくれた。
彼には報酬を払っていない。一緒にお茶や食事をするときにおごるくらいである。何年も偽装恋人として縛っているので、それに見合う報酬を払いたいと思っているが、いらないと言われてしまうのだ。
金銭以外で何か礼ができればいいが思いつかない。彼が何を求めているのかがわからない、というより見返りを求めていない気がする。そういう彼だからこそ友人でいられるのかもしれない。
じっと見つめていると、彼はかすかに頬を赤くしてふいと目をそらしたが、直後にハッと何かを思い出したように真顔になった。ペアリングに触れながら窺うような視線を七海に向ける。
「七海ちゃんは、遥と俺が付き合うふりを続けてもいいのか?」
「うん、全然構わないよ」
七海は即答した。
二人の関係を秘密にするために富田と偽装恋人を続けたい——その意向はあらかじめ彼女に伝えてあった。もっともそのときもすぐに賛成してくれたので、説得の必要はなかったのだが。
「もともと僕も学校では秘密にしようと思ってたからさ。遥と付き合ってるなんて知られたら、いろいろ面倒なことになりそうだもん。富田さんに押しつけるみたいで申し訳ないけど」
「いや、たいしたことじゃないから」
富田は左手を軽く上げて恐縮したように応じた。そしてふと思い出したように自身の腕時計を確認すると、おずおずと遥に切り出す。
「悪い、そろそろ帰らないと……」
家族で出かける用事があるので、あまり時間がとれないということは聞いていた。それでもいいからと出かける前に来てもらったのである。話すべきことは話したのでちょうどいいタイミングだろう。
「うん、忙しいのに無理言ってごめん」
「こっちこそ慌ただしくて悪いな」
「車で送らせようか?」
「いや、今日は自転車で来てるんだ」
富田は残りのコーヒーを飲み干して立ち上がった。急いでいることはその様子から見てとれる。遥はできるかぎりの早足で玄関まで案内すると、扉を開けて見送る。
「じゃ、あした学校でね」
「ああ……よかったな」
富田はうっすらと笑みを浮かべてそう言うと、返事を待たずに身を翻し、軽く左手を上げて軽やかに走り去っていく。その薬指のペアリングが、降りそそぐ陽射しを受けてきらりと白く輝いた。
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