ひとつ屋根の下

瑞原唯子

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第14話 卒業

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「七海のセーラー服も今日で見納めだね」
 遥はベッドに腰掛け、隣の七海を無遠慮に眺めながら言う。
 彼女は中学の制服であるセーラー服を身に着けて、ベッドで紺の靴下をはこうとしているところだったが、戸惑ったような顔をして口をとがらせた。
「そういう感傷的なこと言うのやめろよな」
「今日くらいはいいだろう?」
 遥が笑顔を見せると、彼女はムッとしてはきかけていた靴下を引き上げる。感情を露わにしたような乱雑な手つきで。しかしその横顔はほんのりと薄紅色に染まっていた。

 今日、七海は中学校を卒業する。
 入学からあっというまにこの日を迎えた気がする。しかし、保護者として果たしてきた役割、様々な面における七海の成長など、あらためて思い返すと三年という月日の重みを実感した。
 そして、その三年をともにしたセーラー服も卒業となる。似合っていただけにすこし寂しい。彼女が元気いっぱいに跳ねて、セーラーカラーが大きくひらめくさまがとても好きだった。
 ただブレザーも悪くない。先日、高校の制服を注文するときに試着していたが、女子にしては高めの身長、すらりと伸びた脚、まっすぐな背筋によく似合い、セーラー服のときより幾分か大人びて見えた。

「じゃあ、僕はそろそろ行くね」
「玄関まで見送るよ」
 学生鞄を持って立ち上がった七海とともに、玄関に向かう。
 遥も卒業式に出席するが、保護者は開式に間に合えばいいようなので、もうすこしあとで出かける予定にしている。いまはシャツだけでスーツの上着は着ていないし、ネクタイも締めていない。
「じゃ、またあとで……あんま目立つなよ?」
「目立とうとしたことはないけどね」
 扉を開けようとした七海に念押しされ、遥は苦笑した。
 衣服などは時と場所に応じたものを選んでいるし、遥自身も目立つような行動はしていない。それでも中学生の保護者にしては若いからか、橘財閥の後継者だからか、どうしても注目されてしまうのだ。
 ヤキモチなら嬉しいが、単純に自分に面倒が及ぶのを嫌がっているだけである。遥について根掘り葉掘り尋ねられたり、非常識なことを頼まれたり、対応に窮することも少なくないらしい。
 手に余るようならこちらで対処するとは言ってあるが、頼ってきたことはない。気を使っているというより、自分に降りかかった問題は自分で対処するのだと、あたりまえのように考えているのだろう。
 七海が軽く手を上げながら玄関を出た。
 白線の入ったセーラーカラーが風をはらんでひらりと舞う。それも今日で最後だ。しっかりと目に焼き付けておかなければ——遠ざかる後ろ姿を、遥は瞬きも忘れるくらいひたむきに見つめ続けた。

 卒業式はきわめて伝統的なものだった。
 卒業証書授与は生徒のひとりひとりが名前を呼ばれて起立し、クラスの代表が受け取るという形だ。人数の関係だろう。七海は代表を辞退しているので受け取りはしなかったものの、それでも十分に感慨深い。
 卒業生は退場すると教室に戻ることになっている。最後のホームルームがあり、そこで担任からひとりひとり卒業証書を受け取るのだ。四十人ほどいるのでそこそこ時間がかかるに違いない。
 そのあいだに遥は理事長室に行くことにした。入学時に世話になったので挨拶しなければならないし、先方からも誘われている。保護者でなく、橘財閥の後継者としての遥と話をしたいのだろう。
 案の定、今後も橘財閥と関わりを持ちたがっていることが、理事長の言葉の端々から感じられた。当たり障りのない受け答えでお茶を濁していると、ふいに内ポケットの携帯電話が振動した。
 見るまでもなく七海からだと思う。ホームルームが終わったら電話をするように言ってあった。卒業祝いとして二人で食事に行く予定になっているのだ。理事長に断りを入れてから電話に出る。
『ごめん、ホームルームは終わったんだけど、ちょっといろいろあってさ。もうすこしだけ待っててくれないかな。十分くらい……そんなには遅くならないと思う。また電話するよ』
「わかった」
 遥はこの電話を利用することにした。電話の向こうの声は理事長に聞こえていないはずなので、七海を待たせているからともっともらしい嘘の理由を告げて、角が立たないように理事長室を辞した。
 桜——?
 どこで待っていようかと考えながら階段を下りていると、ふと風に揺れる満開の桜がガラス窓の向こうに見えた。時季にはいささか早いので、ソメイヨシノでなく別の品種ではないかと思う。
 踊り場に下りて、窓から下方の桜を眺めた。
 それは校舎脇に一本だけひっそりと立っていた。奥まった理事長室の近くという立地ゆえだろうか。あたりに人影はない。風が吹くたびに薄紅色の花々がきらめき、花びらがひらひらと舞う。
「なあ、どこまで行くんだよ」
 ふいに外から聞こえてきたその声にドキリとする。窓から身を隠してこっそりと声のほうを窺うと、やはりそこには七海がいた。学生服を着た男子と並んでこちらへと歩いてくる。
「あんまり時間ないんだけど……あれ、桜?」
「そう、坂崎にも見せたくてな」
 一緒にいるがっちりとした体格の男子には見覚えがある。七海がいじめで体操服を汚されたときに、予備の体操服を貸してくれた野球部のクラスメイトだ。七海は恩を感じて何度か大会の応援に出かけていた。
 先日、合格発表のときに一緒にいたのも彼だろう。調べたところ、この学園から有栖川学園を受験したのは、七海と彼の二人しかいなかったのだ。彼がどういう基準で進学先を選んだのかはわからないが、おそらく——。
「もう咲いてるなんて早いよな」
「早咲きの桜らしい」
「へえ、そんなのがあるんだ」
 七海は顔を上げたまま、大きな目をくりくりとさせて興味深げに眺めていた。楽しんでいるというより観察しているような感じだ。しかし、ふと思い出したように隣に振り向いて尋ねる。
「そういえば話があるんじゃなかった?」
「あ……ああ……」
 彼は口ごもり、曖昧に目をそらしながらうつむき加減になる。だが、しばらくすると意を決したように七海と向き合った。緊張していることがありありとわかる硬い表情で、ごくりと唾を飲む。
「いままで勇気がなくて言えなかったけど、今日は言おうと決めてきた。俺、坂崎のことが好きなんだ。一年のときからずっと好きだった。だから俺と付き合ってほしい」
「…………」
 いまのいままで気付いていなかったのだろうか。あるいは告白されると思っていなかったのだろうか。七海は思考が停止したように唖然としていたが、それでもどうにか言葉を絞り出す。
「ごめん、二階堂とは付き合えない」
「まだ好きじゃなくてもいいんだ。だから」
「悪いけど、僕にも好きな人がいるからさ」
 予想外だったのか、彼はショックを受けたように目を見開いて硬直した。そして体の横でひそかにグッとこぶしを握りしめていく。
「もしかして噂の保護者か?」
「そんなわけないじゃん」
「じゃあこの学校の生徒か?」
「二階堂の知らない人だよ」
 執拗な追及に、七海はふっと寂しげに微笑んでそう答えた。
 遥との関係は秘密なのだから言うわけにはいかない。それゆえ単にごまかしているだけかもしれないが、もし特定の誰かを思い浮かべているのだとすれば、心当たりはひとりしかいない——。
「そいつと付き合ってるのか?」
「それは、付き合ってない、けど……」
「だったら俺にも可能性はあるよな?」
「ごめん、無責任なことは言えない」
「…………」
 ひどく思いつめた様子を見せていた彼が、そこで息を吐いた。
「困らせることばかり言って悪かった。忘れてくれ、っていうのも勝手だし無理だよな。でも、このことで気まずくなりたくないんだ。坂崎が嫌じゃなければ、高校へ行ってもいままでどおり友達でいたい」
「うん、それはもちろん」
 七海はほっとしたように答える。
 二人はまだ桜の花びらが舞う中で話を続けていたが、遥は目をそむけ、音を立てないようそっと窓から離れて階段を下りた。聞いてしまったことをすこし後悔しながら——。

 玄関の外は卒業生であふれていた。
 友達とはしゃいだり、写真を撮ったり、みな思い思いに楽しんでいるようだ。雰囲気が明るいのは大半が内部進学だからだろう。しかし、涙ながらに別れを惜しむ子たちも少数ながらいる。
 遥はその様子を隅のほうで遠目に眺めていたが、目ざとい女子生徒たちに見つかり囲まれた。遠慮のない質問や誘いを適当にあしらっていると、ようやく七海から電話がかかってきた。
『ごめん、だいぶ遅くなって』
「もういいの?」
『うん、どこに行けばいい?』
「校門で待ち合わせよう」
『わかった』
 通話を切り、もう帰るからと彼女たちに告げて校門へ向かう。
 そう、七海と付き合っているのは僕なんだ——現実として彼女はここにいて遥の気持ちに応えてくれている。たとえ心のどこかに武蔵への想いを残していたとしても、もう会うことさえできない。だから。
 校門脇で足を止め、穏やかに晴れた空に目を向ける。
 まもなく校舎から歩いてくる七海の姿を視界に捉えた。彼女もこちらに気付き、はじけるようにパッと顔をかがやかせて駆けてくる。そのとき、白線の入ったセーラーカラーも軽やかにひらめいた。
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