ひとつ屋根の下

瑞原唯子

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第13話 高校受験

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 七海と付き合い始めてから二年が過ぎた。
 別れの危機はこれまで一度もない。七海が口をとがらせることはあるが、せいぜいその程度で、喧嘩といえるまでには発展しないのだ。彼女のさっぱりした性格のおかげといえるだろう。
 遥と七海の関係を知っているのは、祖父とその秘書、友人の富田、妹夫婦、それに使用人くらいである。メルローズにはまだ言っていない。嫉妬をされて面倒なことになりかねないし、口止めも難しいと判断した。
 関係は秘密だが、憚ることなく二人であちらこちらと出かけている。表向きは家族なのだ。普通にしていれば一緒にいても何もおかしくない。手をつなぐなど、疑われそうな行動だけはしないよう心がけている。
 大学の同級生や他大学の女子などが街で目撃して、富田や妹に探りを入れてきたことは何度かあったが、二人とも心得ているので余計なことは言わない。あの子は橘の里子とだけ答えている。
 ただ、付き合っているのかと直球で尋ねてくる相手には、明確に否定してくれた。あの品行方正な遥が中学生と付き合うわけがないと。血の繋がりがないことで疑惑の目を向けていた人も、それで納得するようだ。
 遥としては、その押しつけがましい言いように思うところはあるが、実際にそれで助けられているのだから文句は言えない。だが、その方法が使えるのもあとすこしのあいだである——。

「高校、どこにするかもう決めた?」
 冬休み最後の日、七海を自室に呼んでそう切り出した。
 夏頃から何度か志望校についての話し合いをして、彼女がかなり悩んでいることも知っていたが、いつまでもこのままというわけにはいかない。そろそろ決めなければならない時期なのだ。
「今週中には聞かせてほしいんだけど」
「……有栖川学園にしようと思う」
 彼女は飲みかけのティーカップを戻して答えた。
 私立東陵学園の中等部ではほとんどの生徒が内部進学するが、遥は有栖川学園を薦めていた。遥自身の出身校だ。初等部、中等部、高等部と十二年も在籍していたので、校風もよく知っている。
 東陵学園は名家の子女が通う由緒正しい学校だが、内部進学する生徒が多いためか受験勉強には力を入れていない。一方、有栖川学園は国内屈指の進学校なので取り組みも熱心なのだ。
 七海は興味を示しつつも決めきれずにいた。東陵学園に思い入れはなさそうだが、それなりに馴染んだ環境を捨てるには勇気がいるのだろう。新しい学校でまたひとりぼっちになってしまうのだから。
 ただ、七海には有栖川学園のほうが合うのではないかと思う。華やかな御令嬢や御令息がそこら中にいる東陵学園と違い、地味で真面目な人が多く、遥の知るかぎり陰湿ないじめが起こったことはない。
 そのあたりのことも遥の見解として伝えてある。だが言いなりならず、自分自身でしっかりと熟慮して決めてほしいのだ。どちらを選んでも、望みどおりの道を進めるよう支援するつもりである。
「僕が薦めたからって無理はしなくていいよ?」
「僕なりにどっちがいいか考えたんだ。有栖川のほうが進学に有利みたいだし、校風も良さそうだし、うちから徒歩で通えるのもいいなって。知らない人ばかりのところへ行くのはちょっと怖いけど、いつまでもそんなこと言ってられないし」
 七海は慎重ながらも明確にそう答えると、吐息を落とす。
「受かるかどうかが問題なんだけど」
「七海の成績なら余裕で受かるよ」
「そう言われると逆に不安になるよ」
 気休めではなく、事実として十分すぎるくらいの成績である。ただ彼女の不安もわからなくはない。試験当日に何か大きな失敗をしてしまえば、内申点が良くても不合格になることはありうる。
「ま、落ちたら東陵の高等部に行けばいいんだし、神経質にならなくていいよ」
「うん……そうだよね」
 七海は気持ちをごまかすようにはにかんだ。
 いくら前向きでもそう簡単に不安は拭えないだろう。どうにかしてやりたいが、言葉を尽くしても逆に追いつめてしまいかねない。遥はぬるくなった紅茶のティーカップに手を伸ばし、静かに思案をめぐらせた。

 その日から、ふたりで出かけることも夜を過ごすこともなくなった。そういう気分になれないと七海に言われたからだ。そこまで思いつめて大丈夫なのかと心配にはなったが、無理強いもできない。
 それでも家族としては普段と変わりなく過ごしている。毎朝のトレーニングは継続していたし、時間さえ合えば食事も一緒にしていたし、たびたび学校や勉強についての話を聞いていた。
 保護者としても出来るかぎりのことはしているつもりだ。夜ふかしをしないよう言いつけたり、ときどきお茶に誘って休憩させたりと、根を詰めすぎることのないよう見守っていた。

 そして受験当日。
 雨や雪が降ることもなく空は穏やかに晴れわたっていた。七海は若干緊張ぎみながらも体調にはまったく問題ないようで、元気に受験会場へ出かけていった。下見にも行ったので迷いはしないだろう。
 彼女を見送ったあと、遥は大学の図書館で卒業論文発表の準備をした。家でもできなくはないが、彼女の受験が気になって落ち着かないので、集中するためにあえて大学まで出向いたのだ。
「おかえり!」
 日が沈みかけたころに帰宅すると、廊下を歩く足音を聞きつけたのか、七海が元気よく部屋から飛び出してきた。遥は緊張を感じつつ、それでも逸る心をおさえて笑みを浮かべる。
「ただいま。入学試験はどうだった?」
「うん、問題は解けたと思うけど……」
「何かあった?」
「ううん、何となく心配なだけ」
 きまり悪そうに苦笑している七海を見て、遥は表情を緩めた。久しぶりにその手を取り、無言のまま彼女の部屋に連れ込んで抱きしめる。扉は閉めたので誰にも見られることはない。にもかかわらず彼女は身を預けようとしない。
「どうした?」
「これお疲れさまってこと?」
「僕がこうしたかっただけ」
 そう答えると、こわばったその体から力が抜けるのがわかった。表情を窺おうとするが胸元に顔をうずめられてしまう。彼女はそのまま遠慮がちに遥の背中に手をまわし、ぼそりと言う。
「あのさ……夜、そっちにいっていい?」
「もちろん」
 冷静に答えたものの、内心驚いた。
 これまで遥から誘うばかりで彼女からは初めてなのだ。しばらく触れていなかったので寂しかっただけかもしれない。でも、もしかしたら——武蔵への想いがもう消えたのではないか。そう期待して、苦しくなるほど心臓が早鐘を打つのを感じた。

 入学試験から数日が過ぎ、合格発表の日がやってきた。
 七海は朝からそわそわしていた。合格発表までにはずいぶん時間があるが、待ちきれないのかすっかり準備を整えている。
「じっとしていられないからもう行くよ」
「だいぶ待つことになるけどいいの?」
「うん、うちでじっとしてるよりはマシ」
 そう言うと、大学へ向かう遥とともに家を出た。
 途中までは同じ道なので並んで歩く。まもなく三月になろうというのに随分と寒い。雪こそ降っていないものの、今朝は霜が降りるほど冷え込んでいた。いまも吐く息はまっしろである。
「ごめんね、一緒に行けなくて」
「遥がいたらよけい緊張するよ」
 七海は明るく冗談めかして答える。
 遥としては、行けるものなら一緒に行きたかった。受験番号を探して一緒に喜びたかった。だが卒業論文発表会と重なってしまったのだ。さすがにこればかりは休むわけにもいかない。
「あとで電話する」
「うん、じゃあね」
 二人は十字路で手を振って別れる。遠ざかる七海の後ろ姿を眺めてから、遥は駅のほうへ足を進めた。

 卒業論文発表会は、朝から夕方まで二日間にわたる。今日は二日目である。
 ひとりひとりの持ち時間はそれほど長くないものの、人数が多いのだ。もっとも他学生の発表を聞かなければならないという決まりはなく、自分の発表さえ終わればさっさと帰る人も多い。
 ただ、遥を含めた数人はすべての発表を聞くことになっていた。所属する研究室の方針である。恨めしくは思うが仕方がない。昼休みになると、すぐさま講義室を飛び出して七海に電話をかけた。
『はい、遥?』
 この時間ならもう家に帰っているだろうと思ったが、電話に出た七海の背後はすこし騒がしかった。学校というより街中のようだ。引っかかりはしたものの、それよりもまず聞かなければならないことある。
「結果はどうだった?」
『うん、合格してた』
 彼女の声には安堵がにじんでいた。
 間違いなく合格するだろうとは思っていたが、事実として確定するとやはり遥も安堵する。よかったと吐息まじりにつぶやいたあと、おめでとう、とあらためて心からの言葉を伝える。
 そのとき——坂崎、と電話の向こうから七海を呼ぶ声が聞こえてきた。間違いなく男性のものだ。七海はちょっと待っててと応じてから電話口に戻る。
『合格発表のところでクラスメイトと会って、いま一緒にいるんだ。それでお昼を食べようって話になったんだけど……いい?』
「構わないよ。家にも連絡しておいて」
『もう櫻井さんに電話で言ったよ』
「そう。あまり遅くならないようにね」
『わかった』
 電話を切ると、遥はその携帯電話を握りしめた。
 七海の言うように相手はただのクラスメイトだろう。友達付き合いも許さないほど狭量な男にはなりたくない。他の子たちと同じように、彼女にも学生時代を楽しむ権利はあるのだから。
 ただ、彼女と付き合っているのは自分である。おおっぴらにすることはまだできないものの、それでもこの場所だけは絶対に誰にも譲らない。同級生にも、友人にも、そして武蔵にも——。
「遥、何かあったのか?」
「何でもないよ」
 よほど難しい顔をしていたのか、あとから来た富田に心配そうに声をかけられたが、軽く受け流した。触れてほしくないという気持ちを察してくれたのだろう。気にするような素振りを見せつつも追及はしてこない。
「じゃあメシ行こうぜ」
「うん」
 遥は携帯電話を内ポケットにしまいながらにっこりと笑顔で答え、富田と並んで食堂へ向かう。二人の左手には相変わらずプラチナのペアリングが輝いていた。
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