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第15話 二度とないはずの
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プルルルル、プルルルル——。
眠っていた遥の意識にうっすらと内線の着信音が届く。
煩わしさに眉をひそめながら寝返りを打ち、どうにか薄目を開いて気怠い体を起こすと、鳴り続けている電話の受話器を取った。
「はい」
『なんだ、もう寝ておったのか?』
「寝ていてもおかしくない時間です」
祖父の剛三に開口一番あきれたように言われ、ムッとして言い返す。まもなく日付が変わろうかという時間だ。寝ていたところで非難されるいわれはない。しかし、その反論は見事なまでに無視された。
『話がある。執務室に来てくれ』
「いまからですか?」
『都合が悪ければ明日でもいい』
「行きます」
緊急というわけではなさそうだが、こんな時間に呼び出すくらいだから、それなりに重要な話なのだろう。仕事関係だと思うが心当たりはない。遥は溜息をつきながら受話器を置いた。
そのとき、隣で寝ていた七海がもぞりと身じろぎした。
「ん……でんわ……?」
「そう、じいさんに呼び出されたんだ。ちょっと行ってくるよ」
遥はそう言い、夢うつつでぼんやりとしている七海の頭に手を置いた。このまま見つめていたいがそういうわけにもいかない。すぐにベッドから下りて着替えると、再び寝息を立て始めた彼女を起こさないよう静かに扉を開けた。
七海が高校生になっておよそ二か月。
高校のブレザーもだいぶ馴染んできた。当初はネクタイが初めてだったので上手く締められず、何度も遥に助けを求めてきたが、もうひとりできっちりと締められるようになっている。
同じ中学校出身の二階堂とはクラスが分かれていた。最初こそひとりぼっちだと不安そうにしていたものの、中学のときのようにいじめられることもなく、いまではそこそこクラスに溶け込んでいるようだ。
一方、遥は橘の関連会社に一社員として入社していた。平行して剛三から後継者としての仕事を学んでいる。忙しい日々ではあるが、七海と過ごす時間だけは確保するよう努めていた。
今日はめずらしく定時で解放されて七海とゆっくり過ごした。剛三が夕方からどこかに出かけていて連絡もつかなかったからだ。内密に仕事の話をしているのではないかと思ったが——。
「実はな、武蔵が帰ってくることになったのだ」
煌々とした蛍光灯の下、遥は執務机の正面に直立したまま息を飲んだ。
三年半前、武蔵は七海をひとり残してはるか遠い故郷に帰ってしまった。彼自身はいつか戻りたいと願っていたようだが、現実的に二度とこの地を踏むことはできないだろうという話だった。なのに——。
「どういう事情ですか」
「かの国と我が国は秘密裏に交渉を続けているのだが、武蔵がその仲立ちをしている。その関係でこちらに来ることになったらしい」
かの国、というのは武蔵の故郷だ。日本領海にありながら、最近まで認知すらされていなかった共同体である。いまも国の最重要機密として秘匿されている。遥たちが知っているのは発見当初から関わりがあるからだ。
武蔵はもともと故郷と日本の橋渡しをするために帰った。双方の国のことをわかっているのも、双方の国の言葉を話せるのも彼しかいない。その仕事の成果でこちらに来られるまでになったのだろう。
彼のことが嫌いなわけではない。帰ってくると聞いて素直に喜べなかったのは、七海がかつて彼に恋愛感情を抱いていたからだ。おそらく、その気持ちはいまもまだ心のどこかで燻っている。
「どうした、難しい顔をして」
「何でもありません」
遥は表情を消して答えた。
この程度でごまかせる相手でないことは百も承知だ。しかし、剛三は物言いたげな視線を送りながらも何も言わなかった。執務机の上で手を組み合わせ、事務的な口調で本題を進める。
「交渉のあいだはこの屋敷に滞在させることに決まった。武蔵には警備をつける必要があるのだが、ホテルでは何かと不都合があるらしい。それで私のほうに打診をしてきたというわけだ」
「随分きなくさい話ですね」
交渉しているのは政府だろうが、警察庁や自衛隊もすくなからず絡んでいるはずで、警備に適した施設くらい用意できるはずである。何もわざわざ民間人に協力を要請する必要はない。だとすれば——。
剛三は口もとを上げ、遥の思考を読んだかのように言葉を継ぐ。
「客人なので監禁するわけにはいかないが自由にもさせたくない。それを実現するためには我々のところが好都合ということだ。武蔵をもてなすという意味ではこれ以上のところはあるまい。そして身内同然である我々の存在は精神的な枷となりうる。もちろん表立って口にはしないだろうが」
「つまるところ人質ですよね」
「心配はいらん。牽制のために我々の存在を利用するくらいで、実際に身柄を拘束したり危害を加えたりするわけではない。よほどの事態になればわからんが、武蔵が我々を裏切るようなことをするとは思えんからな。まあ、あやつらに貸しを作っておくのも悪くなかろう」
剛三はニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
人質であることもすべて承知しているのであれば、もう止めようがない。確かにこれで警察庁に恩を売れるなら悪くないといえる。武蔵が裏切りさえしなければ何も問題はないのだ。ごく個人的な憂慮を除いては——。
「気が乗らないようだな」
顔には出していないつもりだが、会話が途切れたせいで悟られてしまったのだろう。頭を悩ませていることも、あまり賛成していないことも。それでも動じることなくごまかしの答えを紡ぐ。
「人質にされるなどいい気はしません」
「武蔵とは親しくしていたと思ったが」
「再会については楽しみにしています」
「七海も喜ぶだろうな」
一瞬、ドキリと心臓が跳ねた。
単に思ったことを言っているだけなのか、わかったうえで鎌をかけているのか、彼の表情からは読み取ることができない。そうですね、とこちらも素知らぬ顔をして軽く受け流す。
「いつこの屋敷に来るのですか?」
「七月一日の予定だと聞いている」
「七月三日の午後にしてください」
「理由は何だ」
鋭いまなざしで射抜かれる。唐突に日付まで指定したことを訝しんでいるのだろう。しかしながら剛三が警戒するほどたいそうな理由ではない。遥は目をそらすことなく淡々と答える。
「七海の定期試験です。試験期間中に動揺させたくありません」
「そうだな……わかった、交渉してみよう」
剛三は両手を組み合わせたまま、鷹揚に頷いた。
いまは六月上旬なのでまだ交渉の時間はある。二日遅らせるくらい何とかなるだろう、というのが彼の見解だ。受け入れ態勢など具体的な話は後日ということで、遥は一礼して執務室をあとにした。
暖色の常夜灯のみがついた自室に戻ると、蛍光灯をつけずにクローゼットで着替えて、そっとベッドに入った。上半身を起こしたまま隣に目を向ける。七海は起きる気配もなく静かに寝息を立てていた。
彼女が遥を好きになってくれたことは間違いない。一方で武蔵に想いを残していることも確かだろう。それでも構わない。心の片隅で想うくらい見て見ぬふりをしよう、そう決めたのだ。
ただ、それは二度と会うことがないという前提での話だ。武蔵と再会してひとつ屋根の下で暮らすとなれば、そんなに余裕でいられるとは思えない。七海の気持ちもどうなるかわからない。
僕は、どうすればいい——。
多分、いまの自分はとても情けない顔をしている。そう自覚すると、気持ちよさそうに眠る彼女のほうに向いていられなくなり、身を翻しながら布団にもぐりこむ。しかし、胸がざわついてとても眠れる気がしなかった。
眠っていた遥の意識にうっすらと内線の着信音が届く。
煩わしさに眉をひそめながら寝返りを打ち、どうにか薄目を開いて気怠い体を起こすと、鳴り続けている電話の受話器を取った。
「はい」
『なんだ、もう寝ておったのか?』
「寝ていてもおかしくない時間です」
祖父の剛三に開口一番あきれたように言われ、ムッとして言い返す。まもなく日付が変わろうかという時間だ。寝ていたところで非難されるいわれはない。しかし、その反論は見事なまでに無視された。
『話がある。執務室に来てくれ』
「いまからですか?」
『都合が悪ければ明日でもいい』
「行きます」
緊急というわけではなさそうだが、こんな時間に呼び出すくらいだから、それなりに重要な話なのだろう。仕事関係だと思うが心当たりはない。遥は溜息をつきながら受話器を置いた。
そのとき、隣で寝ていた七海がもぞりと身じろぎした。
「ん……でんわ……?」
「そう、じいさんに呼び出されたんだ。ちょっと行ってくるよ」
遥はそう言い、夢うつつでぼんやりとしている七海の頭に手を置いた。このまま見つめていたいがそういうわけにもいかない。すぐにベッドから下りて着替えると、再び寝息を立て始めた彼女を起こさないよう静かに扉を開けた。
七海が高校生になっておよそ二か月。
高校のブレザーもだいぶ馴染んできた。当初はネクタイが初めてだったので上手く締められず、何度も遥に助けを求めてきたが、もうひとりできっちりと締められるようになっている。
同じ中学校出身の二階堂とはクラスが分かれていた。最初こそひとりぼっちだと不安そうにしていたものの、中学のときのようにいじめられることもなく、いまではそこそこクラスに溶け込んでいるようだ。
一方、遥は橘の関連会社に一社員として入社していた。平行して剛三から後継者としての仕事を学んでいる。忙しい日々ではあるが、七海と過ごす時間だけは確保するよう努めていた。
今日はめずらしく定時で解放されて七海とゆっくり過ごした。剛三が夕方からどこかに出かけていて連絡もつかなかったからだ。内密に仕事の話をしているのではないかと思ったが——。
「実はな、武蔵が帰ってくることになったのだ」
煌々とした蛍光灯の下、遥は執務机の正面に直立したまま息を飲んだ。
三年半前、武蔵は七海をひとり残してはるか遠い故郷に帰ってしまった。彼自身はいつか戻りたいと願っていたようだが、現実的に二度とこの地を踏むことはできないだろうという話だった。なのに——。
「どういう事情ですか」
「かの国と我が国は秘密裏に交渉を続けているのだが、武蔵がその仲立ちをしている。その関係でこちらに来ることになったらしい」
かの国、というのは武蔵の故郷だ。日本領海にありながら、最近まで認知すらされていなかった共同体である。いまも国の最重要機密として秘匿されている。遥たちが知っているのは発見当初から関わりがあるからだ。
武蔵はもともと故郷と日本の橋渡しをするために帰った。双方の国のことをわかっているのも、双方の国の言葉を話せるのも彼しかいない。その仕事の成果でこちらに来られるまでになったのだろう。
彼のことが嫌いなわけではない。帰ってくると聞いて素直に喜べなかったのは、七海がかつて彼に恋愛感情を抱いていたからだ。おそらく、その気持ちはいまもまだ心のどこかで燻っている。
「どうした、難しい顔をして」
「何でもありません」
遥は表情を消して答えた。
この程度でごまかせる相手でないことは百も承知だ。しかし、剛三は物言いたげな視線を送りながらも何も言わなかった。執務机の上で手を組み合わせ、事務的な口調で本題を進める。
「交渉のあいだはこの屋敷に滞在させることに決まった。武蔵には警備をつける必要があるのだが、ホテルでは何かと不都合があるらしい。それで私のほうに打診をしてきたというわけだ」
「随分きなくさい話ですね」
交渉しているのは政府だろうが、警察庁や自衛隊もすくなからず絡んでいるはずで、警備に適した施設くらい用意できるはずである。何もわざわざ民間人に協力を要請する必要はない。だとすれば——。
剛三は口もとを上げ、遥の思考を読んだかのように言葉を継ぐ。
「客人なので監禁するわけにはいかないが自由にもさせたくない。それを実現するためには我々のところが好都合ということだ。武蔵をもてなすという意味ではこれ以上のところはあるまい。そして身内同然である我々の存在は精神的な枷となりうる。もちろん表立って口にはしないだろうが」
「つまるところ人質ですよね」
「心配はいらん。牽制のために我々の存在を利用するくらいで、実際に身柄を拘束したり危害を加えたりするわけではない。よほどの事態になればわからんが、武蔵が我々を裏切るようなことをするとは思えんからな。まあ、あやつらに貸しを作っておくのも悪くなかろう」
剛三はニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
人質であることもすべて承知しているのであれば、もう止めようがない。確かにこれで警察庁に恩を売れるなら悪くないといえる。武蔵が裏切りさえしなければ何も問題はないのだ。ごく個人的な憂慮を除いては——。
「気が乗らないようだな」
顔には出していないつもりだが、会話が途切れたせいで悟られてしまったのだろう。頭を悩ませていることも、あまり賛成していないことも。それでも動じることなくごまかしの答えを紡ぐ。
「人質にされるなどいい気はしません」
「武蔵とは親しくしていたと思ったが」
「再会については楽しみにしています」
「七海も喜ぶだろうな」
一瞬、ドキリと心臓が跳ねた。
単に思ったことを言っているだけなのか、わかったうえで鎌をかけているのか、彼の表情からは読み取ることができない。そうですね、とこちらも素知らぬ顔をして軽く受け流す。
「いつこの屋敷に来るのですか?」
「七月一日の予定だと聞いている」
「七月三日の午後にしてください」
「理由は何だ」
鋭いまなざしで射抜かれる。唐突に日付まで指定したことを訝しんでいるのだろう。しかしながら剛三が警戒するほどたいそうな理由ではない。遥は目をそらすことなく淡々と答える。
「七海の定期試験です。試験期間中に動揺させたくありません」
「そうだな……わかった、交渉してみよう」
剛三は両手を組み合わせたまま、鷹揚に頷いた。
いまは六月上旬なのでまだ交渉の時間はある。二日遅らせるくらい何とかなるだろう、というのが彼の見解だ。受け入れ態勢など具体的な話は後日ということで、遥は一礼して執務室をあとにした。
暖色の常夜灯のみがついた自室に戻ると、蛍光灯をつけずにクローゼットで着替えて、そっとベッドに入った。上半身を起こしたまま隣に目を向ける。七海は起きる気配もなく静かに寝息を立てていた。
彼女が遥を好きになってくれたことは間違いない。一方で武蔵に想いを残していることも確かだろう。それでも構わない。心の片隅で想うくらい見て見ぬふりをしよう、そう決めたのだ。
ただ、それは二度と会うことがないという前提での話だ。武蔵と再会してひとつ屋根の下で暮らすとなれば、そんなに余裕でいられるとは思えない。七海の気持ちもどうなるかわからない。
僕は、どうすればいい——。
多分、いまの自分はとても情けない顔をしている。そう自覚すると、気持ちよさそうに眠る彼女のほうに向いていられなくなり、身を翻しながら布団にもぐりこむ。しかし、胸がざわついてとても眠れる気がしなかった。
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